揃えるおじさん、捨てるおっさん

30代後半の生き方で1つ分岐が生じる気がする。

おおよそ人の生活で想定されるものを、関心ないものも含めてすべて揃える方向を目指す人と、自分の好きなものに集中して徹底的に守り抜き、それ以外を捨てる人だ。

雑なネーミングだが前者をおじさん、後者をおっさんとする。

Prosとしては、おじさんはだいたいどんな場面でも快適にやれるようになる。一方でおっさんは好きな領域では最高だがそれ以外は目を背けるしかない。

Consとしては、おじさんは多くのもの、地位、家族、車、服飾、家などを手に入れて維持しなければならない。おっと、「時計」を忘れていた。一方でおっさんは好きなものを好きでい続ける保証はなく、またそれ以外の領域ではマイナスになる。群青色や深緑の色彩を下げた色のジャケットを想像すればよいだろう。

ということでQoLとしては似たようなものだと思う。できるかできないか、向いているか向いていないかの違いだけで、どちらも強いられている場合もある。自分で自分の人生のコースを選ぶ余裕がなくなってくるのだ。

私に関しては、この半年間おっさんからおじさんへの変更を試みていた。弁護士からの最後通告的な話を聞いてショックを受けてから、それを払拭するために「まともになる」算段を組もうとしたのだ。人間追い詰められると好きなことだけでは生きられない。

アメリカ大学院に入学したのもその1つだ。2年耐えることによる長期的なベネフィットは高い。コンピュータを学ぶのは好きでもある。しかし、そこはストロングな世界だった。おじさん、責任を果たす者はストロングでなければならない。耐えることこそ美徳で、それで地位、家族、ラグジュアリーなどを得る。ゲラゲラ笑える楽しい遊びをし、ネット配信を観る余裕などない。おじさんとおっさんの両立、これは最も難しいルートだ。

まあ2年は耐えられる。でないと日本の博士課程もとうてい耐えられなかっただろう。しかし、メキシコ人、インド人、どこかの国のストロングな人々と話し、感じたことがある。大学院を出ることでプロフェッショナルとしての認証を得る、それによって手に入れられるものは、さらなるストロングな世界に行く権利なのだ。それは、私の求める楽しみの世界ではない。また、長期的なことを本当に考えるなら、もたないだろう。

だとしたら、その経験自体は損ではないし、非常に価値があるが、その先にあるおじさんルートは長期的には目指さない。要は金が問題だが、おっさんルートでも金を稼いでいる人間はいくらでもいる。おじさん=ストロング=金持ち、おっさん=ウィーク=貧乏というわけではない。アメリカではそうなのかもしれないが。町工場の社長は色彩のない群青色の作業服を着ている。ソフトウェアエンジニアにとっての作業服は本質的には全裸だ。

ではどうするか。仕切り直しだ。可能性の有りそうなルートを拾っていってもそれが合うとは限らない。好きなことで食っていく?寝言は寝てから言ったほうがいい。寝てから言った寝言は本当になる可能性もあろう。

UoPeopleのMSITで早速失敗した

niryuu.hatenablog.com

の続き。

1term8週間のうち最初の半分はうまくやっていたが、5周目に転機が訪れた。

COVID-19ワクチンの4回目を受けたのだが、副反応が5日間引かなかった。

課題提出日の午前2時にようやく調子が良くなり、急いで課題を仕上げようとするも、午後2時になり提出期限を過ぎてしまった。いくら英語力が上がったとはいえ、12時間で6ページは無理だ。これは事情を説明し、提出することができた。

が、3つ提出したうちの1つ、ディスカッション課題の点数が低かった。Linuxが他のOSよりもセキュリティ面で優れているとされている理由を述べよというものだったのだが、他の学生からコメントを貰うことができなかった(そもそも期限直前に送信した)のだ。オンライン大学においては学生同士のフィードバックが重要で、加点の対象となる。これに関しては、Linuxをよくわかっていないと言われたので、いやいや調べた結果こんな感じでと詳細に講師に送ったら点数が上がった。

そこまではよかった。次の課題で終わりが訪れた。

Linuxコマンドを実際に打ってスクリーンショットをWordに貼り付けて出す課題だったのだが、ファイル添付の方式が悪く、学習支援システム内部であってもハイパーリンクの形式で添付してはいけなかったようだ。100点満点中60点がついた。講師から今までうまくやっていたのにdisappointedだとコメントが来た。

正直何が起こったのかわからなかった。学生が有志で立ち上げたチャットで事情を書いたら、1人のメキシコ人が答えてくれた。ハイパーリンクは差し替えが効くからだめとのこと。そりゃそうだ。しかし悔しく、日本の大学ではそんなことなかったのにと愚痴った。メキシコ人は事情をわかったようで、アジア人に関する特徴とアメリカでやっていくときのつまづきについて述べた。日本人を含むアジア人は罰をよく感じると言う。否定できなかった。涙が出てきた。「泣いてくる」と述べたところ「泣け、しかし諦めるな」と返ってきた。そして、アジア人と付き合った遍歴について語り始めた。彼は恐らく本物の男だ。

diehardtales.com

この記事を読んでからそうではないかと思っていたが、メキシコは本物の国だった。

閑話休題、次の課題も同じ形式で送ってしまった。取り返しがつかない。もうケチがついてしまったのでこの科目は諦めるしかない。単位を取るのに必要な300ドルはドブに捨てた。思い切ってやめ、失敗から学ばないと、次には進まない。俺は所詮ただのおっさんであり、すぐに殺されるモブだ。強くもないし頭もキレない。できるのは前を見て、クソみたいな世界を体現することだけだ。 幸せ?そんなもの甘い人間の現実逃避・自己肯定の言葉にしか聞こえない。もし私にそんなものがあるとすれば目の前のピザにしかないだろう。

UoPeopleのMSITに入学した

NOTICE: UoPeopleの方々,皆真面目か有能な方ばかりなのですが,私及びこの記事はとてつもなく低い領域です。

niryuu.hatenablog.com

の続き。まあ今後何をするにせよ食っていけなければならない。10年所属している会社にこの先10年いられるとは限らない。自分から人に積極的にアプローチできず,出社もできず,定時も守れないため,簡単には転職はできないだろう。ということで博士課程を出たあとは海外のコンピュータの修士を取ろうと考えていた。でまああれこれしていたら入学してしまった。一週間経ったので記事にする。

University of the People(UoPeople)はカリフォルニア拠点のオンラインの高等教育に触れる機会を増やすべく作られた大学で,MBAとコンピュータ・サイエンスの学士が有名だった。コンピュータ・サイエンスではないが,情報技術(Information Technology)の修士課程が2月にできたのは知っていた。コースの内容はコンピュータ・サイエンス7割,MBA3割。Redditなどでこれ意味あんのみたいに言われていたが,調べてみたらこの学位がどういうもので,どういう価値があるかくらい自分で説明しろという種類のもののようだ。それでよい。縁があり昨年の冬学期に「図書館情報技術論」という司書課程科目を非常勤でやらせていただいたが,「情報技術とは何か」から始めた気がする。

必要となる書類等は他の大学院と比べ少ないが,英語力の証明が必要なので躊躇していた。UoPeopleの英語力の証明方法は主に2つあり,1つは英語の試験,TOEFL,IELTS,Eikenなどを受ける方法,もう1つはENGL0101という講義を受けて合格するという方法だ。しかし,英語の試験は日程を決める段階でだるくなり,ENGL0101は調べると「大変」という声が大量に出てくる。

さて時間は経ち4月,インターネットで記事を見ていたらなにか学びたくなり,仏教とコンピュータのどちらかに専攻を絞って調べていた。で,UoPeopleについて調べていたらそのまま入学金を払ってしまった。75ドルなので引き返せはするが,もう腹を決めよう。修士課程なので,学部の卒業証明書と数学,プログラミングの受講証明が必要である。理系の学科を中退し,同じ大学の文理融合学科を出たため,卒業した大学に行き,18年前から変わらない陰鬱とした洞窟のような学務から卒業証明と成績表をもらってきた。英語の試験はEikenの準一級が必要で,少し勉強したらいけそうだったのだが,日程を決めるのがだるくそのままENGL0101に登録された。

ENGL0101が始まった。内容については調べれば出てくるので割愛する。英語と基礎的なアカデミックスキルである。なぜ皆大変大変と言っているのかわかってきた。多くの人が課題ですべき内容を正確に読んでいないのだ。一旦わかればどうにかなる。ジョイスの「ダブリン市民」を読む課題があったのだが,その辺のどうしようもない人々がどうもない生き様を晒しているだけで,よくわからなかったので作中に出てきたアイリッシュウイスキーを飲んだらどうやらわかった。

ただ,最終試験のOxford English Placement Testには少し手を焼いた。このテストはリーディングとリスニングを問うもので,軽めだがEikenなどの代わりなのだろう,120点満点で50点取れなかったら足切りされる。試しに別機関で受けてみたら51点,特にリスニングがひどい。本番に弱いのでこのままだと落ちる。じゃあどうしよう。限られた時間内で上げるとしたらリスニングしかない。

で,どうしたか。Hololive ENのWatson Ameliaの配信を延々と観ていた。それ以外何もしていない。

www.youtube.com

Guraの英語はちょっと癖がありすぎる。他のメンバーは聴き易すぎる。Ameの英語はほどよい難しさで,基本的には聞き取れなかったがだんだんいけるようになってきた。

当時はVTuberの配信を観る方便として英語学習を捉えていた。サボって試験落として配信を観たりSFを読んだりするどうしようもない生活を終わるまで続けようと考えていた。しかし,もう1回試験を受けてみたらリスニングの成績が顕著に上がっていた。え,本当に上がっちゃった,もっと配信観ないと。

ということで時は過ぎ,無事突破できた。試験当日に少し熱があり,「これコロ…」というところまで考えてからやばそうなので考えるのをやめた。特徴的な症状が少ないのでおそらく違う。調子が悪かったので点数は下がったが,とにかく突破だ。おめでとうメールが届き,次の学期に登録された。Operating SystemsとDatabasesに自動登録されたが,働きながらなのでDatabasesはやめた。

さて,専門の科目の分量はENGL0101の比じゃないよと聞いていたが,いやまあ最初は即ドロップアウトを考えた。先週の段階で入学記事を書こうとは思ったが,入学則ドロップアウトはあまりにもあまりなので今まで書かなかった。多い週(最初の週はWritingがあるので多い)ではA4で10ページほど書く。初日(先週の今頃)の段階で,1日半ページでヒイヒイ言っていた。専門的な内容を書くのはもっと無理。

と思いながらやっていたら凄まじい負荷に自律神経も吹き飛び,酒を飲んで鎮め,課題に取り組んでいたら1日半ページから1時間1ページまで書く速度が上がり,課題を終わらせ,こんな記事を書く余裕ができた。なんか苦労した気がする。まあ能力が上がったので来週からはましになるだろう。課題を書いた熱量でブログを書いた。眠いのでここまで。

6月2日を人生終了の日としている

私の人生が終わって16年目になる。今年もこの日がやってきた。

事実だけ見れば,2006年6月2日に終わったわけではない。それ以降様々なことをやり,様々な人と出会ってきた。もっとひどいこともあった。しかし,あのとき人生に区切りを付け,終わらせる必要があり,それを今も保たなければならない理由がある。あのときの人間の冷たさが忘れられず,それゆえに毎年この日を忘れないようにしている。

前年の2005年,私が成人する直前に片親が亡くなったあと,しばらくはちゃんとやっていた。しかし,恐らく2006年初の成人式で同年代の皆が幸せにやっているのを見てから,徐々に鬱状態になっていった。

私が「終了」したかはわからないが,精神と社会関係の崩壊は5月から始まり,8月中旬頃に一段落した。当時理系の大学にいたが,必修の実験のレポートが一切書けなくなった。そして,留年が決定したのが6月2日である。その後,女性関係でいろいろあったり,様々な方から縁を切られたりしたが,最もわかりやすいのが6月2日だったのでこれを人生終了の日としている。

当初は,周りも少なくとも上辺上は悼んでくれた。しかし,しばらくは精神が安定せず,不規則なネガティブな言動をしていた。そのうち,私が「厄介者」になっているのに薄々感づいてきた。そして,実際に私は厄介だった。話を聞いてくれる人は少なくなり,「テラウザス」(普通は「wwwwww」がつくが,真剣にそう言われた)などと言われたこともあった。そして,あまり親しくない人にも俺はダメだ的なことを喋ったり,逆に攻撃的な言動をしたりもした。多くの人が冷淡になり去っていった。最終的に,ごく親しい人だけが残った。その方々には今も感謝しきれない。それ以来私も少しずつ落ち着いてきた。

まあなんだろうか,今までの日常が少しずつ無くなっていき,孤立無援になっていった。それが私に起因することも知っていた。これ以上人に迷惑はかけたくないし,私も人が怖くてしかたがない。しかしどうしようもない。だからここで人生を終わらせ,その後のことは終了後のこととして一旦の区切りをつけることにした。しかし今でも私に冷淡な態度を見せ去っていった方々のことを忘れられない。あれは本当に恐ろしい体験だった。今でも思い出す。それを普段表に出さないように,いろいろひっくるめてこの日を記念日にした。年忌かもしれない。

当時失って,今からやり直してどうにかなるものはどうにかしている。実際に,働きながら人文系の博士課程を去ってからコンピュータ系の修士に入ろうとしており,現在英語クラスの最終試験を受けようとしている。また,恋愛は他に何人か好きになったがどうにもならなかったので区切りを付けた。しかし,私に対して集団が冷淡になり,去っていった,そのことは忘れることができない。

1年限定の鬱をやっていた

 今年、生きる柱となっていたすべてを失った。当然鬱状態になることは予想されていたのだが、それを緩和しながらしばらくやっていくか、それともドップリ喪に服すか、いろいろ考えた結果後者にした。15年がある種空白になったので、付け焼き刃では対応できないというのと、思いきり病んだほうが恐らく結果的に残らないだろうと考えたからだ。

 4月は大学院を単位取得退学し、前日に好きだった女性に告白して振られたところから始まった。そして、月末に第二の家となっていた店が公式に閉店することが決まった。鬱の気配が走り寄ってきた。これは早々に外に出られなくなるだろう。今のうちにやれることをやっておこう。今後のいかなる研究に必須の文献を途中まで読み、力尽きた。

 5月、宗教的な基盤が必要だと思い、ゴールデンウィーク築地本願寺に泊まった。細かい話になるが、先祖代々浄土真宗大谷派で、築地本願寺浄土真宗本願寺派なので、実質的に改宗したことになる。まだ文献は読んでいたようである。

 6月、7月はいろいろ覚えていない。鬱を自覚し、なんとか生きていた。ワクチンの2回目まで受けた。7月末に、店が非公式にも閉店した。

 8月、何もないところから始まったが、突然LINEでシェアハウスで揉め事が起きていると連絡が来た。結局8末まで相談に乗っていた。

 9月、大学の講義が始まった。喋れなくなっていたので、これでは講義できないと思い、YouTubeで配信をしてリハビリしていた。なんとか1回目の講義は突破した。

 10月、初めに担当していた案件がなくなった。年度末までの予算を9末で一度切るということだったが、プロジェクトそのものがなくなるようだ。そんな状態で2回めの講義。講義資料のアップロードは間に合わず。オンライン講義のURLは当日に送り、録画はされないので撮り直した。学生に謝罪を行った。しかし、次回が来る。やるしかない。立て直し、少しずつ慣れてきたが息切れしながらやっていた。案件がないので時間だけは合った。

 11月、文化の日で講義が1回休み。これで少し立て直した。しかしこれから7回連続。ギリギリでやっていたが、えっと情報社会論の回だから11月末か。そのあたりで少しずつ回復してきた。あと、案件が何故か復活した。

 12月、パッシブだがいろいろなものに参加した。

  • 2日、京都図書館大会。著作権法改正とデジタルアーカイブについて。直接講義のネタになった。
  • 7日から3週連続で「浄土三部経」の講義を受けた。
  • 13日、大学院のゼミに復帰した。修士の学生に助言をしたかったが、いつものように言葉が出ず。
  • 15日から都知事杯オープンデータハッカソン。前にハッカソンに参加したのは6年前なので、講義で「俺も昔は」と話すのは良くないと考えた。まあ多少は貢献できたかと。

案件の方も締めることができ、よかった。講義の方もあと1回、どう締めようかは考えどころである。記憶、発言などに鬱は残っているが、まあ回復の基調だろう。もっと時間かかるかな、最悪一生だめかなとか考えていたが、講義の最後にこのコンディションまで持ち直せてよかった。

ひどい1年だった。

地域資料とオープンデータに関するメモ(2)

Calendar for CivicTech & GovTech | Advent Calendar 2021 - Qiita

空いている日があったのでこちらにも登録しました。

niryuu.hatenablog.com

の続き。

 前回は、図書館がオープンガバメントに踏み切れない理由を、根本先生のブログ記事から、その前身の1つとも言える地域資料公開という切り口で考察した。

 図書館において、行政資料を含む地域資料の提供は、貸し出しと比べてニーズがないこと、行政情報の開示が行政評価にポジティブな影響を及ぼさないことが原因で、あまりうまく行かなかったのではとの考察がなされていた。行政資料のセンターになるポテンシャルがあったにもかかわらず、記事を読むだけでも肌感覚としてたしかに難しいと感じる。

 今、行政に関するデータ流通のセンターとなっている、データカタログサイトに関する課題解決に、都知事杯オープンデータハッカソンで取り組んでいる。このプロジェクトがどう進むかわからないが、現段階での整理を行う。

 地域資料の提供に関する問題は、突き詰めれば資料を提供することが評価されるかということだとまとめられる。確かに、ネガティブな評価ばかり受け取る事業は廃れるし、自治体などの予算編成にも影響するため予算規模=事業の規模も縮小する。

 そこでオープンデータの方を見ると、ポジティブなものもネガティブなものも含め、評価軸そのものが増えているように思う。つまり、データの透明性だけでなく、データを活用することの透明性も高まっており、それがデータの評価につながるのである。これはオープンソースの文化に由来する。

 課題解決の当初案では、ダメなオープンデータ公開を指摘できることが念頭に置かれていた。それはそれで意義がある。デジタルアーカイブにしてもオープンデータにしても維持と更新を続けるのは難しい。その中で、維持と更新がうまくいっていないところなどを調べる作業は重要である。

 ということで1つの可視化を行った。

データカタログサイトからデータの一覧を取得し、存在しないデータを可視化したものである。これをシステム化すればデータの維持管理がより透明になるだろう。

 一方で、私はもう1つの側面も可視化しなければならないと考えている。つまり、データに関する良いことを可視化することだ。存在しないデータがカタログに乗っていることは、平たく言えば都合の悪い情報である。その点で、方向性は本質的に地域資料が廃れた方向性と変わらない。Open by defaultとはいっても、担当するのは行政機関という組織で、予算には限りがあり、評価もされる。理念や制度だけではなかなか動かない。

 別にネガティブなことをしないほうがいいというわけではない。オープンデータに関するイベントでは、問題点や実現不可能性などをできるだけ取り上げないようにする風潮が強い。しかし、データの透明性を突き詰めると、「ネガティブな事実もポジティブな事実も等しくできるだけ」透明であるべきであると考える。

 その点で、オープンデータには地域資料にない強みがある。地域資料は図書館の資料のため、その資料が利用者にどう利用されたかを本質的に問うことができない。しかし、オープンデータならそれができる。そのためにライセンスや、機械判読可能性がある。

 ここで具体的なポジティブな評価として念頭に置いているのは、「このデータはこのように使える」といった、データの活用可能性や、その先にある社会課題解決である。それらは、データ公開の良いアウトカムと直接つながる。だから、アイデアやデータの解説、扱い方などもカタログで扱えればいい。

 この点で、地域資料をオープンデータ化することは、図書館の資料としてのある種ネガティブな立ち位置に、1つポジティブなルートを追加することにつながる。これは「図書館がオープンガバメントを推進する理由」の1つになるだろう。今まで評価されていなかった事業が実は良かったということになるかもしれない。あくまで可能性の話である。そして、オープンデータ活用の現状を見るに、これは長い道のりである。ただ、原理的には細い道があり、それが少しでも行政資料の現状を良くできるならやってみるのが良いだろう。

 これでもまだ図書館関係者の方々には楽天的に過ぎると感じられるかもしれない。そのとおりである。データをプログラムと手入力でそれなりに苦労して整え、GISで可視化して、少なくともその瞬間はいろいろなことを抜きにして楽天的になれるのだ。それ以上のことはわからない。

地域資料とオープンデータに関するメモ

Calendar for CivicTech & GovTech | Advent Calendar 2021 - Qiita

 私は、今年3月まで6年間図書館・情報学の大学院博士課程で、Webにおける共同作業による専門的知識に関する研究をおこなってきた。それまではオープンデータ関連に関わっていたので、オープンデータを研究対象にすることも考えたが、今はまだ時期尚早、オープンデータで博士号を取るのはリスクが高すぎると考えた。それと同時に、入学後オープンデータ関連のことをするのもやめていた。やってしまうからだし、どちらかに集中しないとどちらもできない。とはいえ、国会図書館でハッカソンに参加したら好評だった

 オープンデータ、特に行政データに関しては、従来から知識を扱っており、公共性もある市民に開かれた図書館が重要な役割を果たせるのではないか、というアイデアが定期的に提起されてきた。一方で、図書館は今のところ多少オープンデータに取り組んではいるが、行政データのオープン化推進の中心的な役割を果たしているとはいえない。そのGapとして、図書館の実際がオープンデータの理念とかけ離れたものではないかと考えていた。しかし、それを言葉にできないでいた。図書館も公共施設であるため、「図書館や資料に関するオープンデータ」はあるが、図書館がオープンデータ自体を推進することはあまりない。

 そんな中、2018年に根本彰先生が「図書館はオープンガバメントに貢献できるか」というワークショップを開催した。当時私と根本先生は同じ専攻におり、当然情報も流れてきたのだが、本気になったらそっちに行ってしまうという危惧から参加しなかった。しかし、その後先生がブログでワークショップの意図について公開したのだが、そちらの方が驚くべきものであった。

oda-senin.blogspot.com

 ワークショップの着想のもとになったのは、行政資料や行政支援サービスを含む地域資料論である。そのアップデートが求められている状況で、オープンガバメントというテーマを、図書館の中立性とオープンデータの透明性を踏まえながらも行政資料に関する議論の呼び水とする「実を言えば単なる思いつきだった。」と述べている。

 ワークショップの結果としては、意見はまだ漠然としたもので、「参加者の多くはこの問題には解決策が用意されているのではなくて、これから皆でつくっていくべき性質のものであることをご理解いただいたのではないかと思う。」ようだ。

 しかしながら、オープンガバメント・オープンデータを地域資料の延長として捉えたことは注目に値する。確かに、2013年に地元の予算書と政策文書を図書館に見に行ったことがある。それらは当然図書館にあるのだ。とりあえずそれらがちゃんとデジタル化されて図書館から提供されていたら、例えば「税金はどこへ行った?」などの展開は大きく変わっただろう。2018年から地元の図書館のデジタルアーカイブでは決算書が掲載されていたが、ライセンスの問題などもありオープンデータとして一端に扱うのは難しいだろう。あと、新しい決算書を掲載して欲しい。

 デジタル庁の発足に見るように、日本の行政の仕方は驚くほど変わっていない。その時代から行政資料の公開をおこなってきた図書館の地域資料取り扱いの方法は注目に値するだろう。オープンデータは単に公開されたものだけではなく、それを公開する行政などの過程がある。そこを解明できたらよりデータの改善や公開の推進につながるだろう。その過程に昔から関わってきた図書館から学ぶものは多くあるだろう。というかこんなものが隠れていたのか。

 しかし、根本先生の考えはペシミスティックである。図書館における行政資料の公開は利用者のニーズがなく、また図書館への評価にもつながらない。だから廃れてきた。ブログ記事(2)の最後はオープンガバメントに踏み切るべきだが、そうできないジレンマで締められている。

 しかししかし、それは図書館の事情だけを見た話にも思える。図書館の地域資料は一端に報告書が出る(2014-17)程度には成功している。一方、積極的にオープンデータ・オープンガバメント・シビックテックに関わる人はまだまだ少ない。比較的新しいから曖昧な評価は得られるが実績を出せないと長期的な評価にはつながらないだろう。事情はだいたい同じだが、こっちはポジティブだ。技術者ややっていく気持ちのある行政の人間が少しでも状況をよくできるかもしれない。だから、図書館とオープンガバメントの関係については、オープンガバメント側から今一度答えるべきだと考える。

 これを図書館員側が見たら何をお気楽なと思うかもしれない。私も司書課程の講義を担当しておりオープンデータについて取り扱う予定だが、手放しでポジティブにはなれない。また、もう色々取り組んでいるという意見もあるだろう。しかし、まだ体系化されていない。そもそも、まだ十分な検討はされていないし、検討する価値はある。まずは勉強だ。