対話型AIから自身の考えや問いを引き出す手法で、人類のための技術にする

 ChatGPTなどの対話型AIが話題になっている。その出力は人が活用できる程度に洗練されており、対話というインタフェースも相まって様々な分野で活用されている。

 対話型AIにたいしてまことしやかに言われていることが、「頭の良い人でないと使えない」という問題だ。具体的には、問いを立てる能力、明確に指示をする能力などが求められる。そして、そのような能力に欠けている人間は対話型AIをうまく使いこなせないという格差が生まれるという筋書きだ。確かに、これらの能力を研究者として鍛えてきた私は、対話型AIに指示をする際はそのようにする。

 しかし、この考えには情報技術が普及して以来何度も直面した問題がある。パソコン登場以降のコンピュータの歴史は、人を支援する技術としてのコンピュータの歴史でもある。しかし、多くの場合、頭の良い人やできる人ばかりを支援してきたように思う。例えばソーシャルメディアは、文章などをアウトプットできる能力を持った人を積極的に支援してきた。

 それではだめだと思う。能力に恵まれていない人こそ、AIによって支援されるべきだ。諦めてはいけない。人類が対話型AIの恩恵を受けるべきだ。だとすれば、問いを立てられない、指示をできない人に対してはどうすればいいのか。問いや指示をすることを支援してやればいいのだ。

 人間には、記憶に埋もれてしまっていること、漠然としているが思考に現れないこと、考えたいが言葉にできないことなど、様々な隠れた問いや考えがある。それらは、表に出てくる言動に影響する。人同士なら、一種の空気を読む技術や、一緒にいた経験で補うことができたりできなかったりする。それらも、表に出てきた言動を手がかりにして行うことだ。

 よって、AIにやらせるべきタスクを1つ考案した。「自分が考えていることについて、深堀りしたり欠けているものを提示する」ことだ。このための1つの手法として、人間同士のやり取りにインスピレーションを受け、「与えた文章に質問をさせる」という手法を考案した。よい質問は、相手が何を考えるべきかについて的確に突いてくる。そして、そこから考えを言語化し、問いや本当に必要な指示を引き出すことができる。それが対話型AIにできたならまさに言語化が難しい人に支援を提供できる。

 しかしこれは難しい。対話型AIの典型的なタスクは、質問に答えることだ。質問をさせるというのは、逆のタスクであり、論文を調べたところ難しいことがわかった。ChatGPTでも微妙だった。ところが、ふと思い立ってBingのチャット機能に「以下の文章に質問をしてください。[文章]」と入力したところ、実に的確な質問をしてくれた。BingがGPT-4ベースであることに気づいたのは1ヶ月後だった。GPT-4ベースのChatGPTでも明らかに的確な質問をしてくれたため、明らかにGPT-3.5と比べて能力が向上していると考えられる。

 これをもとに、まさに問いと不確実な情報を扱う作業である、学術研究を支援することを試し(順番としてはもともと研究支援に関心があり、対話型AIを使った)、3月28日に「大規模言語モデルに基づいた対話型AIによる研究支援に関する初歩的分析」という表題で学会発表をした(予稿)(スライド)。このブログ記事は研究発表から話題を広げたものだ。

 対話型AIは学術研究のような難しい問題にも、専門家には及ばないものの研究者なら普通にするような的確な質問をしてくれた。だとしたら、対話型AIは様々な領域に対応できるため、例えば仕事などで悩んでうまく行かないときや、考えがまとまらないときなどにも役に立つのではないか。実は、仕事をする際に既にそのような使い方をし(匿名化、オプトアウトなどは前提)、様々なプロジェクトで問題となっていたコミュニケーションの問題に着手しようとしている。しかし、表に出せないのが残念だ。

 多くの対話型AIの使い方は、文章を生成させることだ。それには、対話型AIが生成型のAIだという出自も関わっているだろう。しかし、せっかく対話型AIがあるのだから、対話によってなされてきた様々なことを支援させてみるのはどうだろうか。とりあえず「以下の文章に質問をしてください」を状況に合わせてカスタマイズするだけである程度はいけます。