みんな頑張っているね!応援しているよ!

38年間生きてきた人生もままならず、世の中には嫌いな人間の方が多いと知り、実際にインターネットでは皆攻撃性が高く、少しの失敗もいさかいの元になる。嫌になって引きこもり状態にある。そんなおかしい人間のための処世術を紹介する。

まあ、色々な人々と出会ってきた。

  • 恵まれた人間とそうでない人間
  • うまくやっている人間とそうでない人間
  • 成功した人間とそうでない人間
  • 自身の行動に自覚的な人間とそうでない人間
  • 悪口を言う人間ともっと酷い悪口を言う人間

その中で劣等感に苛まれ、情報や人間関係の波の中で「俺はもうだめだ」と20代の間言い続けた。

人の助言や仏教的な世界観によると、人のことは気にしないのがよいので、「不快な発言を見聞きしても、頭を切り替える」「上を見たらきりがない」「自分もこれだけのことをやっていると考える」などいろいろ試してみたが、どうもうまくいかない。また、もともと人に関心を持ちやすいたちのようだ。

もちろん、気が合うというか純粋に良いと思える人も多い。そのような人々は純粋に尊敬なり応援なりしてきた。そのような方々との閉じた交流が心の支えになってきた部分はある。今はない。

そんな中で表題の『みんな頑張っているね!応援しているよ!』という若干茶化した言い回しを心の中で使うようになった。最初は純粋に頑張っているけど関われない人に向けてだったが、ある日不快な情報を見た際にふと思った。「ここであのフレーズを使ってみてはどうか?」

効果はてきめんだった。悲しいニュースからインターネットの過激発言まで、あらゆることにそう思っていなくても『みんな頑張っているね!応援しているよ!』と心の中で言うことで今までにない距離をおくことができるようになった。とはいえ本当に無関心な方々にはまだ及ばないので更なる精進が必要である。

一方で、本当に頑張っていると思い、応援している人に対しての関心も薄まっていった。「みんな」の中に吸収されていき、宝石は砂漠の中に埋もれて行った。これは寂しいことだが、寂しさは常に感じているので問題はない。心のやり取りではなく情報や知識のやり取りをすればよい。

今年、リアルでもインターネットでも急激に人間関係が減って、もしくは減らしていった。一方で研究はかつてないほどうまくいっており、困難さも増している。そんな中で押しつぶされ蒸留された結果こうなった。多くの人間にはおすすめできない。

この記事を訪れてくださった方々にかける言葉があるとすれば、この一つである。

みんな頑張っているね!応援しているよ!