地域資料とオープンデータに関するメモ(2)

Calendar for CivicTech & GovTech | Advent Calendar 2021 - Qiita

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niryuu.hatenablog.com

の続き。

 前回は、図書館がオープンガバメントに踏み切れない理由を、根本先生のブログ記事から、その前身の1つとも言える地域資料公開という切り口で考察した。

 図書館において、行政資料を含む地域資料の提供は、貸し出しと比べてニーズがないこと、行政情報の開示が行政評価にポジティブな影響を及ぼさないことが原因で、あまりうまく行かなかったのではとの考察がなされていた。行政資料のセンターになるポテンシャルがあったにもかかわらず、記事を読むだけでも肌感覚としてたしかに難しいと感じる。

 今、行政に関するデータ流通のセンターとなっている、データカタログサイトに関する課題解決に、都知事杯オープンデータハッカソンで取り組んでいる。このプロジェクトがどう進むかわからないが、現段階での整理を行う。

 地域資料の提供に関する問題は、突き詰めれば資料を提供することが評価されるかということだとまとめられる。確かに、ネガティブな評価ばかり受け取る事業は廃れるし、自治体などの予算編成にも影響するため予算規模=事業の規模も縮小する。

 そこでオープンデータの方を見ると、ポジティブなものもネガティブなものも含め、評価軸そのものが増えているように思う。つまり、データの透明性だけでなく、データを活用することの透明性も高まっており、それがデータの評価につながるのである。これはオープンソースの文化に由来する。

 課題解決の当初案では、ダメなオープンデータ公開を指摘できることが念頭に置かれていた。それはそれで意義がある。デジタルアーカイブにしてもオープンデータにしても維持と更新を続けるのは難しい。その中で、維持と更新がうまくいっていないところなどを調べる作業は重要である。

 ということで1つの可視化を行った。

データカタログサイトからデータの一覧を取得し、存在しないデータを可視化したものである。これをシステム化すればデータの維持管理がより透明になるだろう。

 一方で、私はもう1つの側面も可視化しなければならないと考えている。つまり、データに関する良いことを可視化することだ。存在しないデータがカタログに乗っていることは、平たく言えば都合の悪い情報である。その点で、方向性は本質的に地域資料が廃れた方向性と変わらない。Open by defaultとはいっても、担当するのは行政機関という組織で、予算には限りがあり、評価もされる。理念や制度だけではなかなか動かない。

 別にネガティブなことをしないほうがいいというわけではない。オープンデータに関するイベントでは、問題点や実現不可能性などをできるだけ取り上げないようにする風潮が強い。しかし、データの透明性を突き詰めると、「ネガティブな事実もポジティブな事実も等しくできるだけ」透明であるべきであると考える。

 その点で、オープンデータには地域資料にない強みがある。地域資料は図書館の資料のため、その資料が利用者にどう利用されたかを本質的に問うことができない。しかし、オープンデータならそれができる。そのためにライセンスや、機械判読可能性がある。

 ここで具体的なポジティブな評価として念頭に置いているのは、「このデータはこのように使える」といった、データの活用可能性や、その先にある社会課題解決である。それらは、データ公開の良いアウトカムと直接つながる。だから、アイデアやデータの解説、扱い方などもカタログで扱えればいい。

 この点で、地域資料をオープンデータ化することは、図書館の資料としてのある種ネガティブな立ち位置に、1つポジティブなルートを追加することにつながる。これは「図書館がオープンガバメントを推進する理由」の1つになるだろう。今まで評価されていなかった事業が実は良かったということになるかもしれない。あくまで可能性の話である。そして、オープンデータ活用の現状を見るに、これは長い道のりである。ただ、原理的には細い道があり、それが少しでも行政資料の現状を良くできるならやってみるのが良いだろう。

 これでもまだ図書館関係者の方々には楽天的に過ぎると感じられるかもしれない。そのとおりである。データをプログラムと手入力でそれなりに苦労して整え、GISで可視化して、少なくともその瞬間はいろいろなことを抜きにして楽天的になれるのだ。それ以上のことはわからない。