「若者」時代の終わり

niryuu.hatenablog.com

の続き。5年後どうなったか。

「高円寺は若者の街です!」つきあいで参加した高円寺再開発反対デモの参加者が叫ぶのを聞いた。しかし、その実は参加者の多くは「若者」とは言えない年齢だった。彼らが「若者の街」を守るべきなのか、本物の若者に任せるべきではないのか、そのような思いもありながら私も既にアラフォーだ。ちなみに再開発に対しては反対寄りのニュートラルである。そもそも街に一定以上の活気がなかったら、古い街を活かすこともできない。箱だけに目を向けては解決しない。

だがまあ、「若者の街」という表現は合ってはいる。この街は、年齢に関係なく、一般的な価値観ではない何かを達成しようとして道半ばの人間が非常に多い。だいたい才能のあるやつは20代後半には去っていく。というか、追い出される。その間、高円寺は拠点、居場所、棲家、そんなものを与えてくれる。その意味では若者にとって良い街だと言えるだろう。

あれだが成功できなかったやつはどうなるか。高円寺に居続け、夢を見ながら街に同化していく。年齢を重ねるにつれ成功の可能性は下がる。30代では職について結婚してと一般的な方向に進んで去っていく連中が多い。そうでなかったら飲み続ける。どうにもならない日々を消化しながら。もちろんそうでない人も多い。高円寺そのものに向いている人々、高円寺で多くの友人に恵まれ、活動をし、店などをやることができた人々などは、一種の成功者と言えるだろう。そのほかにもいろいろある。

とまあ高円寺で成功するといい意味で追い出される。私はというと、ただの飲んだくれで終わるのだろうと思っていた。その意味で、拠点としていた飲み屋がなくなっても、他の場所で少し居心地の悪さを感じながら残っていた。

そんな日々に終わりが来た。先日の記事

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で「最終的に自分の挫折にケリを付け、前に進み始める意志を持つのは自分の力しかない。それができるだろうか。」と締めた。結果的に前に進むことができた。詳しくは言わないが失ったものはあった。学会発表は成功し、いろいろ良い話が動いている。シンポジウムにも呼ばれるようになった。本物の若手だったらアカポスも夢ではないだろう。その後どうなるかは分からないが、できるところまでやってみようと思う。

そして、高円寺から「追い出し」の時が来たように思う。正直現役でやっている人間に対しては周りの視線は冷たい。徐々にそれは強まっていった。ちょっとしたいざこざはつきものなのだが、ある事件をきっかけに私は常連客だったバーに行くのをやめた。高円寺では飲まないだろう。追い出しの時が来たのだ。

「若者」卒業だ。

そんなこんなで、人間関係全体がいろいろあった結果、自分の専門分野の学者数名と、今関わっている活発なプロジェクトのメンバー、そして腐れ縁になった。正直これは理想としていた。「こういう交流をしたい」というものが今ここにある。しかし、それに至る過程には多くの別れがあった。心の整理はまだできていない。

まあ本音を言うと独特の存在感は出してはいたが、成果出したの38だしなー。今関わっている方々はさすがに皆もっと若く結果を出している。キャリアとしてはかなり変な感じで扱いづらい。遅咲きすぎる訳では無いが、すでにとっくに諦めた人間が多いほどには遅い。あと、いわゆる中年の危機もあり、人間関係再構築の時期でもある。悪いことだけは普通の人と同じ時期に来るのがしゃくだ。

結局色々ごちゃごちゃした状況になったが、今は前に進むことを考えた方がいい。今を逃したら次のチャンスはおそらく50、少なくとも再挑戦なんてできないし、生きているかもわからない。