私の大学編入学について

あれの話をしますか。編入学をしたことがあります。

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 まずとりあえず何か言わないといけなさそうなので,編入学が「裏口入学」かどうかについて。一言で言えば,んなことを気にしている人は了見が狭いのではないか。大学が誰を受け入れるかというのは大学が決めることなので,受かった方法についてどう感じるかは個人の問題である。その中で「苦労して皆と同じ勉強をし,一般入試に受かった」ということの特権性をどこに感じるのか,何年経ってもわからない。

 いや,わかっていた時期はあった。高校入試までは,当時存在していた代ゼミの模試で偏差値72くらいあったので,そこそこ頑張っていたと思う。その中で,推薦で受かった連中をずるいと思うことはあった。「偏差値の高い学校に行く」ということは絶対的な尺度だった。学校独自の特色はたかだか二桁程度の数値に圧縮され,どれも同じに見える。そして,その数値が本質に見えるのだ。数値は簡単な指標を与える。つまり,高ければいい。

 高校の一般入試の結果が出始めた頃,俺が筑波大附属に落ち「俺の人生こんなものか」と思って登校したところ,隣の女子が「慶女受かった〜〜〜〜〜!!!!!」と全力で喜んでいるのを目にした瞬間に,自分の絶望的な知性と才能の無さにうんざりし,卒業まで実際に狂っていた。その時,俺は数値でしか自分を見ることができなかった。それとは関係なく,俺には絶望的に知性と才能がないと思う。

私が編入学に至ったきっかけ

 さて,本題に入りますか。大学3年のとき,編入学をしたことがある。その関係で2回3年をやっている。しかし,いろいろあって大勢を占める「高専からの理工系大学への編入学」とは異なる。違いをまとめると

  • 同大学(電通大,情報通信工学科昼間から人間コミュニケーション学科夜間)への編入学
  • 情報通信工学ではなく,社会学をやりたくなった

 工学系だったのだが,2005年後半からいろいろな界隈に顔を出しており,本も読んでおり,社会学を学ぶことを検討していた。現スマートニュースの鈴木健氏もその中に含まれていたと思う。主に知識と社会的行為への原理的な関心と,情報化社会論への関心である。その過程でいろいろな大学について調べていた。1年,2年はもうやりたくなかったので,編入学である。

 とはいっても,本当に編入学するかというと躊躇する部分はあった。社会学は趣味で良いのではないか,今の大学をとりあえず出てからの方がいいのではないか,とまあ行かない理由はいくらでも思いつく。しかし,一つきっかけがあれば決断は一瞬で進む。

 きっかけは実験である。工学の実験は恐ろしい。留年の主要な関門の1つである。特に厳しい講義や演習をくぐり抜けて精神がナーバスになった人間は,実験のレポート期限を守ることができず,さらには書くことができず,留年していく。そして次の年,精神が万全でない状態で,さらに留年という新たなカルマを背負って実験に挑んで,破れていく。そういったループに陥った人間を,私は何度も見てきた。

 ちなみに,本学では大学3年で「高専から編入学した人々」が合流する。そこで驚くのが,彼らの実験・レポート作成能力である。苦労する高校から入学した大学生を尻目に,「こんなものか」と実験やレポートをそつなくこなしていく。そんなサラブレッドが高専生だった。彼らは楽して編入学するのではない。その実力ゆえに編入学するのだ。

 私に関しては,情報通信工学科という海外で言うEECS,電子工学とコンピュータ科学の両方をやる学科に所属していたのだが,電子工学の方には完全にやる気をなくしていた。携帯電話オタクではあったんだが,その仕組みではなく「携帯電話で何ができるか」の方に関心があった。それは数年後スマートフォンという形で大変革を迎えることになる。そんなこんなで電子工学の実験はまるでできず,それに前年母親が亡くなったことによる鬱症状も加わってまるでレポートを書けなくなってしまった。

 2006年6月2日に「万事休す」となった。通学に間に合わなくなる12時が過ぎるのを秒針を見ながら確認し,「リスカ」をした。2006年にはいろいろあったのだが,この6月2日を暫定的に「人生破滅」の日とし,2016年に10週年を新宿「養老乃瀧」で行った。あの養老乃瀧は,10年以上渋い話をするのによく使っている。

 一回万事休すになったのだからある意味でその後は自由である。次の年実験で単位を取れるかと言うと取れないと思う。だとしたら進路を変えるしかない。次の日には編入学を決めた。

私の編入学

 編入学をすると決めたものの,現況を考えると選択肢はほとんど存在しなかった。まず鬱病でそもそも勉強ができない。手持ちの知識でどうにか受験するしかない。次に,単位認定の問題である。編入学にあたっては前の所属の単位が認定されるが,完全な文転だと理系の単位はほぼ認定されない。さらに,今入学できたとして,次の年に鬱病は治っているのか。そうでないとしたら学業は続けられるのか。

 以上を満たす大学の学部学科は1つしかなかった。まず,同じ電通大なら1-2年の基礎科目,つまり編入学試験に出る科目はだいたい同じである。次に,同じ大学なので全く同じ科目が存在する。単位認定の問題もOKである。最後に,電通大には夜学があり,夜学なら鬱病でも通える。

 そして,電通大には正統な社会学部・社会学科ではないが,社会学やメディアについてある程度学ぶことができる文理融合型の学科,悪くいえば寄せ集めの「人間コミュニケーション学科」が存在した。その頃,私が卒論指導を頂いた先生の院ゼミに参加させていただいていたのだが,そのときに読んでいたのがバーガー・ルックマン「現実の社会的構成」と「ハーバーマスルーマン論争」だった。前者については先日読み返した。十分なレベルだろう。

 ということで電気通信大学電気通信学部夜間主人間コミュニケーション学科に決定した。さて,受ける学科は決定したものの,即座に2つの巨大な問題が襲いかかってきた。まず,受験は7月中旬である。1ヶ月半しかない。さすがに短すぎる。次が受験倍率である。いや,あれは倍率などというものではない。学科ができた99年以来,人間コミュニケーション学科の夜間に編入学できた人間は,私以外には1人しかいない。そもそも,他の学科も夜間は基本的に受からない。昼はたくさん受かる。参考までに私が受けた年の結果を以下に掲載する。

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 これは夜間の学力試験(推薦じゃないやつ)の結果である。この結果を掲載したことで話の流れが滅茶苦茶になってしまったのだが,結論から言えば,私はこの年,夜間の学力試験でただ1人合格した。夜間には推薦でもう1人別の学科に受かっていた気がする。雨の日の合格発表で,私だけのために巨大な模造紙が掲示された。

 ちなみに,昼の方は全学科合計で53人(推薦36人,学力17人)合格した。学力試験の方の倍率は1.7倍だったようだ。そこまで高くはないが,「裏口入学」などといったものではない。入試システムはまったくもって機能しているといえる。

 話は前後するが,1ヶ月半何をやっていたかというと,毎日夕方に起きて己の不遇を嘆き,それを忘れるようにウイスキーを飲み屋に飲みに行き,帰って寝ていた。それだけである。細かくいえば「サブカル」界隈などでいろいろあったのだが,忘れよう。少し勉強した気はする。実際のところ,同じ大学の同じ基礎科目は,少し勉強すれば思い出す。さきほど「巨大な問題」と書いたが,そんなもん実際はどうしようもないのだ。結果が全てを肯定する。

俺にチャンスをくれたっていいじゃないか

 ということで,私は編入学制度を,高専生のようなまっとうな用途に使わなかった。申し訳ないと言っても良い。しかし,開き直りたい部分もある。結果的に,私は社会学を大手を振って行うことができ,それは博士課程にいる現在に続いている。実際に,文系の学生で途中で関心を移し,編入学制度を利用する学生はそれなりにいる。進路に修正が効くことは,学問への関心のある人間には強い武器となる。それは世界共通である。いわゆる大学院での学歴ロンダ問題についても,「学問に関心があって他の大学に行く人間なんてごく一部じゃないか」との主張を聞く。その「ごく一部」は少ないかもしれないが,学術コミュニティを支える一員となる。そういった人間にチャンスをくれても良いんじゃないかと思う。

 ここから先は私個人の話になるが,私自身は上述のような純粋に学問に燃える若者として編入学をしたわけではない。人生に行き詰まって,その時学問をやりたかった。それだけである。持ち直すこともあろうが,そうでないかもしれない。今も「持ち直して」いるかどうかはわからない。あの時うまくいっていて編入学をしていなかったらどうだっただろうか。その可能性は少なくとも消えた。それゆえ,私がドロップアウト組の1人であることには変わりはない。だが,しかし,

 夢が終わっても人生は続くのだ。

 生き延びた人生の先で、より美しい花を見つけることは確かにある。

(つづく)

「あの時負けていれば」――人生を賭けた一局、夢が終わった後に続くもの - ねとらぼ