インターネットによる政治参加の敵、日本左翼

米国でのObamaの勝利には、積極的な独自サイト、twitterなどを用いたオンラインコミュニティでの戦略が貢献したことが知られている。以前の大統領選挙でのウェブ戦略は古い、これからはマスへの情報発信媒体ではなく、支持者自身が選挙活動を盛り上げていくのだとばかりに、それを支援するようなネットの使い方をしており、実際にそれが功を奏したという格好だ。そのような例は、少し古いが韓国のオーマイニュースの成功などにも見られるし、左翼運動でも、今年初頭のギリシャでの運動がこれほどまで早く国を渡り、米国のNew Schoolにまで到達したのは、ネットの威力がある程度貢献しているだろう。

さて、日本のインターネットでの政治参加の現状であるが、これがひどい。現状では、以上のような政治への影響は起こりそうにない。もちろん、うまく行っている、行ってしまった例も多い。外山恒一氏の政治的パフォーマンスのニコニコ動画での流行は特筆すべきであり、また主に社会学系の論壇では、インターネットを発信の場としてそれなりに有効に活用していると思われる。

しかし、それ以外の分野ではインターネットを活用して政治を盛り上げるどころか、インターネット自体を否定する動きがある。例えば、あの素人の乱にて、東京都知事選挙の際に、私はとてつもない時代錯誤としか思えないことを耳にした。「ネットの動画がどれくらい伸びたかよろこんでいる奴がいるが、政治活動というのはそんなものではない。やはり、一人一人の人間の対話しかない」ということを、20台後半の某活動家に言われたのだ。まるで動画を見た人間と、彼の考えたこと、感じたこと、それらをまるっきり無視するような言動である。ましてや、動画を見た人間が政治に興味を持ち、さらに周囲の人間と対話を始めることも考えられる。しかし、そのすべての営みは否定された。2ちゃんねるの場合もそうだ。そこで排外的な風潮が凄まじい勢いで広まっていくにもかかわらず、「あそこは議論じゃなくてただの炎上だから」と一切取り合おうとしなかった。その結果、排外主義そのものが現在問題になっている。

また、一部の人間のインターネットでの振る舞いは、目に余るものがある。主に南京○虐殺(伏せ字にしないとボコボコにされる。中国のネットでの六四事件検閲と同じ)の議論に参加している左翼である。彼らは、歴史学、政治思想、運動史、倫理などさまざまな道具立てを持って、近年一気に流行した「南京○虐殺はなかった」説と数年に渡る抗争を行っている。私はその論調に一切異議を唱えないし、教養がないので議論に参加するつもりはない。

しかし、彼らは「反-南京○虐殺否定」論を一切ネット上で、多くの人間に伝わるように表現しようとしない。「その場その場のブログ記事で反論を行う」程度で、せいぜいホットエントリが関の山だ。現在、何も知らない人間がネットで南京に関する真実めいたものを知ろうとする場合、やはり最初に触れるのは「なかった説」じゃないだろうか。また、左翼の攻撃的な論調のエントリは、「何か論争が起きている」と感じさせるに十分である。「学問とかは知らないけど、政治的な決定をする情報が欲しい」という大多数の人間は、混乱するか、その敷居の高さにあきらめてしまうだろう。

オンラインコミュニケーションについて、左翼は基本的な部分から間違っている。彼らはあらゆる記事に対して「議論」だとして、反論をふっかけるのだ。現実はそうでないのは明らかである。例えば、床屋談義などは、明らかにちゃんとした政治的議論ではない。

また、実際の政治でも、政治的意志決定、例えば選挙などを行う際に、ほとんどの有権者は議論のバックボーンとなるような知識を持っていない。普通の人は、議論のベースになる学者の知識などを「知らなくていい」し、実際知らなくても政治は動いてきたのだ。「歴史学をやらないと政治参加するな」などと言った場合、それは政治を一部の知識人に任せることになる(もっとも、現在の官僚制はある程度そうなっている)。だいたい、反南京○虐殺の人々の根拠が「歴史学」であるわけはないし、「相対主義」をきちんと理解して、相対主義の立場で不関与を表明しているわけがないじゃないか。それはもはや誤解である。

だから、政治的な議論として南京○虐殺を語る場合、議論の枠組みを持たない人間とのコミュニケーションは、内部での議論の洗練と同じくらい重要になる。また、それは知識を持つものの役割だろう。ネットはそれを支援できるのだ。

しかし、彼らがそのような形式でネットを利用した例を見たことがない。「なかった論者」は退場し、「いつもの面々」が残るばかりである。ちゃんとした議論の枠組みを持って正しい議論をした場合、正しい結論になるのは「当たり前」である。問題は、それを知らない人間とどう関わっていくかである。おっとそこで啓蒙主義なんて持ち出すなよ。

さて、今後もし「南京○虐殺はなかった」説が広まった場合、怖いのはなにか。「正しい知識を持たない人間が増える」だけでなく、彼らが実際に数で権力を行使してしまう場合である。それが危惧される状況になってしまったとき、彼らがまともに振る舞えるか見ものである。

個人的には

自身の価値観を押し付ける人間より、自身の価値観を前提とする人間のほうが嫌いです。東京大学の人文系などは特に嫌いです。少なくとも議論のバックボーンがあるなら、それを提示もしないで「あなたには知識がない」などと言うのは良くないと思います。世の中には、あなた方から見れば「恐ろしいほど」知識がない人間が非常に多く、彼らもまたあなた方の持っているような問題に関して素朴な意識を持っているという現実がわからないのでしょうか。こういう人間がいるから、私は書籍と議論を全ての基礎にする道を捨てて、製作と実世界の観察、分析を基礎とする世界に入りました。