設計と分析など

なんかどうも界隈で意見が割れている話題として、

新しいインタラクティブなものを作る際に、アイデアを重視するか、分析や観察を重視するか

というものがある。パソコンでのGUIの発展とか、バーチャルリアリティとかの分野では、伝統的にまじめな工学から少し浮いた人間がいて、そいつがとんでもない発想をして時代を進化させるみたいな風潮がある。それに対し、まじめに数式とか計算とかをして分析をして、改善していくみたいな人たちや、近年の社会的な製品に対応するために社会学からやってきた連中が、こいつらが作っているものは、本当に世の中を良くしているのかわからんということを言い出したのが最近の話。

結果がどうであるかというと、どっちもどっちである。イマイチなアイデアでも、少し分析と改善を回しただけで凄まじいものになる場合があるし、逆に最初の製品のイメージがないと、分析のプロセスは回らない。典型的なのがAppleとMSで、Appleはアイデア重視にしたとたん爆発し、MSは研究所で分析の専門家をふんだんに入れた結果、地味だが良いものを出し始めてきた。これに関しては甲乙つけがたい。

で、いろいろなところでいろいろな態度が取られているわけだ。

  • 設計と分析を完全に分ける。分析からインスピレーションを得る
  • 自分の目で見たもの、体験したものを克明に記録し、それを設計に取り入れたりブレインストーミングしたりする
  • 分析なんてどうでもいいからアイデアを作ってとにかく出す
  • 最初から作るものは決まっている。あとは分析で洗練させる

まあこんな感じが典型かと。この内部でもいろいろあるので、一人一言あるといってもいい。一応デザイン思考とか人間中心設計とかある程度の方針はあるが、ほぼ必ずと言っていいほどアレンジがある。

一応近年の風潮としては、某国際的に権威のある会議では、アイデアを出すだけのが中心だったのが、分析をちゃんとやるのが通りやすくなっていると聞いた。で、「安易に参与観察とか取り入れるのはどうよ」みたいなセッションが中にある。

問題は、別の立場の人々と組む場合である。私が今まさにそれを考えているところである。私は基本的に社会学の人間である。しかし、過去のしがらみからバーチャルリアリティに関する制作物、コンセプトを出しているという感じである。だから、一応私個人で制作から分析まで見通せることにはなる(実際はとても無理)が、それでは単純に体が持たない。

今考えている態度としては、どうせみんな設計に対する立場が違うのだから、共同作業ではなく分業という側面でとらえるとうまく行くんじゃないかと思う。例えば、全く新しい技術コンセプトなどを出す場合、技術自体が定まっていないのだから、アイデアが主になる。一方、ある新技術が決まっていて、それを特定の場面に適用していくとなると、Workplaceの分析が不可欠である。しかし、この2つは矛盾しないし、ある程度の情報交換があれば平行して行うこともできるし、お互いにとってリソースとなる。

例えばだが、実際の場面の分析からはニコニコ動画は生まれない。ないからだ。しかし、「芸術鑑賞でのニコニコ動画の利用」(俺はあんまり関わりたくないが…)などとすれば、ある程度分析の余地がある。

要は、インタラクティブなものに関わってる人は、まじめなやつにしても変なやつにしてもみんなアクが強いから、「何を作るか、分析するか」についてコンセンサスを得る必要がないし、互いになんか似たようなことをやって影響を与え合うのが良い。以前のように「いろんなアイデアを持った人がいて、アイデア同士が影響し合う」という時代ではなく、「いろんな態度を持った人がいて、分業を意識しないと話が通じない」という妥当な結論。