研究者としての挫折から立ち直るのは難しい

前回の記事から1ヶ月強経っただろうか、

などを行い、2年折れていた心でゆっくりと進み始めた。しかし、単位取得退学した今、研究を続けることは難しい。このため、ChatGPTが研究に活用できないかということについて考えていた。

大学を去ってアクセスできなくなったことはいろいろあるが、最も大きいのはゼミにおける議論だろう。OBも発表はできるが、慣習上一定の出来でやらなければならないし、現役にも申し訳ない。

このため、ChatGPTから研究に関するフィードバックを得る手法を検討していた。しかし、質問や指摘をさせる能力はChatGPTには不完全だった。

そんな中、Bingのチャット機能へのアクセスを得た。どうやらChatGPTとは次元の違う能力のようだ。質問をさせてみた。できる!しかも実用的だ。

この段階で頭は研究としてまとめるように動き出した。札幌でより理解の深まったエスノメソドロジーの方法なら、今行ったチャットの記録だけでもいけるだろう。あとはいくつか肉をつければいい。自然言語処理に関する基礎知識はCertificateで得ているから教科書的に述べれば良い。それをどう現象とつなげるかが重要だ。

なんか揃ってきた気がする。しかしこれは研究として成立するのか。1週間後、出身のゼミで発表をした。ChatGPTには既に多くの人が注目しており、議論が盛り上がった。その中で「できるだけ速く発表したほうがいい」というエンカレッジメントをもらった。

しかし時間的制約がある。3日でアブストラクトを仕上げ、そこから1週間で論文を書かなければならない。さすがにこのスピードは無茶だ。しかし、ここでやらないと「次」「次の次」となる気がした。研究者として復帰するなら、ここが分水嶺の気がした。私は発表の申し込みをし、論文を書いた。

さて、それから2週間、仕事が忙しい中なんとかスライドもいい感じに仕上がってきた。既に発表をするには足りるだろう。恐らく国内でGPT-4を分析した最初の研究というアドもある。しかし、なんとも言えない不安と恐怖が私を襲う。

私は、挫折したのだ。他の人がわかるものを科学哲学の力を借りて何年もかけ、雑誌論文は仕上がらず、ろくでもない社会人院生だった。社会人としてもだめである。そんな私が、学会で発表してなんになるのか。

つまるところ、私は自分が研究者として活動を再開することに納得できていない。実際は既にしている。しかし、その直前には挫折がある。背水の陣からの出発である。今の「できている」とともに、多くの「できなかった」が未だに背中にのしかかっている。基本的に、成果を出せなかった人間がいきなり大成功することはない。あとは発表をすればいいだけ、しかしそれをやるのはできない俺だ。

先日ある方を励ました際に、自分は挫折してきた人間だから励ましの言葉は気休めにしかならないと知ってしまったと述べた。恐らく心情としては、そこから脱しきれていないのだ。いくらCertificateを得ようと、論文や発表の完成度が上がろうと、最終的に自分の挫折にケリを付け、前に進み始める意志を持つのは自分の力しかない。それができるだろうか。

発表までの日時が迫ってくる。