それくらいしかやることがなかったから

ガード下 Advent Calendar 2017 - Adventar

本題に入る前のイントロ

 なんだろうか,今感じている自分のクソさなり,閉塞感なりがあり,それを人にどうもわかってもらえない。32になり「田島さんも安定してきましたね」「社会人やって博士課程にも行ってるんでしょ,別に不満なんて言う必要ないじゃん」「『俺はもうだめだ』とか言うのをやめろよ」などと言われるようになったが,実際はそうということはなく,毎年綱渡りである。

 個人的にはそのギャップを吐き出す場として「ガード下 Advent Calendar」を作ったのだが,結局それを具現化したのは最初の橘ありすに関する記事のみで,それ以降に書いた3件の記事は「自分を含め皆がどうインターネットやそれが人を幸せにする可能性を信じられるか」のプログラムの素描であり,その裏返しにあるインターネットにおいても現実世界においても,つまりどこにおいてもうまくいっていない,可能性くらいしか依拠できるものがない現状について書くことから,ある意味で逃げてきた。そして私自身は少なくない人に良くないとされる言動を繰り返してしまい,「荒れて」いた1ヶ月だった。

 そんな中,はてブを適当に巡回していたらこの記事が目に止まった。

d.hatena.ne.jp

これそのものは見出しを見て情報社会論として読むべきものだと思ったが,それ以上に,「ネットにしか居場所がないということ」という見出しに目が行った。こういった書き方をする人は今はあまりいない。ということで電子書籍を買わず(後でどこかの予算か,もしくは自腹で買う),ウェブ連載を基にしているということでその記事を探して読んだ。

wirelesswire.jp

wirelesswire.jp

 この記事は,思ったより渋かった。職のない精神疾患を持った男や,引きこもりの男がWikipediaに自分の活動できる拠り所としての価値を見出し,うまくいったりうまくいかなかったりする。対するWikipedia側としてはそういった「問題児」に寛容ではなく,「精神疾患を持った人のためのセラピーではない,治療を受けてから来い」というエッセイが共感を得て一種の規範となっている。それに対して警鐘を鳴らす人もいる。

 こういった状況は,Webにおける共同体や開かれた活動への参加,つまり21世紀我々に残されたフロンティアにとって非常にedgeな事例だと思う。だからこそ,Stack Overflowとwebにおける活動のゆるさに関する記事を書いた際にも,また今論文を書いていて助言を戴いた際にも,私の根底にある考え方自体は賛否両論である。

 つまり,「Webにおいても,活動に参加する人は『まとも』であるべきか」という問いに,私は一貫してノーと言い続けてきた。最低限の規則を守っていれば,人間自身の素性に関わらず参加できていいんじゃないかと主張し続けてきた。日本のWikipediaに多大な貢献をされている方は,そういったように見える仕組みを回すことがどれだけ難しいかを身をもって知っており,私の考えの楽観さを「見抜いた」。また,論文の書き出しを必死になって書いて,ゼミで見てもらった際,「知識をちゃんと管理するには,規範をちゃんと守れる人に参加を限るべきだろう」というように読める草稿を書いてしまったことをご指摘頂いた。

 この議論は上記記事中にも登場する。

ジョセフ・リーグルは、ウィキペディアの文化について書いた本に『Good Faith Collaboration(善意にもとづく共同作業)』というタイトルをつけていますが、実態はそんなきれいなものではない……と腐したいわけではありません。

ネットにしか居場所がないということ(後編)

 わざわざこのようなことを書いているということは,Reagle"Good Faith Collaboration" がそう読まれうることの裏返しである。本書では,Wikipediaで使われている様々な明示された規範が,百科事典を作るというプロジェクトをどれだけ巧妙にうまくいかせたり,いかせなかったりしているかということを主張している。有志による日本語訳があるので,読むと良いと思います。

good-faith-collaboration-ja.github.io

 この本は思い出深い本である。今の指導教授が帰国し,院生向けの輪講を本格的に始めた時に選んだ本が本書だった。私は「社会」というものを研究する際に,人々がどうやってその場の秩序を理解し,それを身をもって示しながら秩序を組み立てているかを見るエスノメソドロジーという研究プログラムに興味を持って,社会学に移ってきた人間である。しかし,エスノメソドロジー研究の主流は,対面会話や,そこから広がった実世界の身体や物体とのインタラクションの研究であり,Webでのやりとりや「知識」といった実体を持たない対象については研究できるかどうかもわからない状態であった。その中で,本書はエスノメソドロジーに影響を受けたアプローチでWikipediaを研究していた。いけるんじゃないかと思って博士課程に入って3年目になる。

 「いける」というのはどういうことかというと,もっとウェブでいろんな領域でいろんなことができるんじゃないか。特に,できるだけ障壁が少なく,専門的な領域に参加することができれば,その人がWebでもリアルでも生きる可能性が広がる。そういったことは楽観論なのだが,その芽が出ているのなら拾わないといけない。それを「いける」んじゃないかということである。

本題

 こう書いていくとまた可能性の話に戻ってしまう。違うんだよ。俺が書きたいのは「なんで俺が可能性を必要としているのか」ということだ。その前に「社会人」「博士課程」「ギークハウスを元にした界隈で楽しくやってそう」が全部うまくいっていないことを語る。

 俺は朝起きることができない。日中に外に出ることも難しい。昔はちゃんと規則正しい生活を送っていたのだが,2006年に一回社会から切り離されてから,主に夜にしか活動していない。というのも,朝型夜型といったものではなく,「人生を楽しんでいる人」「ちゃんと生きている人」を見るのが本当に辛くなったからである。朝に起きること自体は難しくないのだが,外を歩く人が辛くて嫌になってしまう。家で朝作業をすることは,そんなに悪くないのでよくやっている。

 この段階で,日本の,そして恐らく世界のほとんどの企業に入社することはNGである。修士号をいただいてから,1年曖昧に過ごしていたら,それでもよいという条件で今の社長からオファーをもらった。

 で働いてみたら酷い酷い。これは会社のことではなく俺のことだ。受託であっても共同開発であっても,プロジェクトが一定の段階を過ぎると,何らかの揉め事なりアンフェアなことなりがおこる。進捗が出ていない人が見過ごされ,出ている俺に心理的圧力がかかる。ありえない無茶を振られることもある。2回,大きなブチ切れを起こした。この段階で,日本の,そして恐らく世界のほとんどの企業においてはNGである。2回めの時はさすがにもうできる仕事がないのではと思った。

 困り,とても困った結果,割と空間データの中でも特殊な(空間データはだいたい特殊である)新しいものを扱っていたため,それを深く掘って強みとする「研究開発」を提案した。弊社は技術を売りにしたベンチャーである。通った。そして,その2週間後にどんぴしゃりな研究開発系案件が来た。さすがに過去の失敗から学んだので,同僚の非常に多大な助けを借りながら,なんとか続けている。他の仕事も少しずつ始まっている。この記事を書いたらコードを書く。

 常に困っていることがある。まず,根本的に俺の個人に起因する問題点はゼロにはできない。発達障害障害者手帳はすぐに降りた。なので,今うまく行っていても,常に失職する可能性はある。というか,もう最期の手を使ってしまったので,次なにかやらかしたらさすがに辞めるしかない。辞めたら,日本の,そして恐らく世界のほとんどの企業に入社することはNGである。まあ死だろう。これを「即死リスク」と呼ぶ。

 そんな俺が考えたのが前述のWebの「可能性」である。しかし,今のWebの現状を見るに,自由な参加によって価値を生み出し,それで生きていくことは難しい。俺が死んだらそれは運命で仕方のないことだが,次の世代に俺のような苦しみを背負わせたくない。だから,俺は「可能性」を自分で研究することにした。

 会社の次は博士課程か。嫌になってきたな。会社は博士課程に入ることを快諾してくれた。専攻も融通を効かせてくれた。しかしその道は厳しい。1つには,研究そのものの難しさがある。特に,Webの「可能性」を研究するなら,アラン・ケイの言うとおりシステム提案が常道である。しかし,私は「今Web社会で行われていることの,先端的事例」を理解することで,可能性を追求することを目指した。ということで調べてみたところ,Social Webの研究では「現状」の分析は行われているが,それがどのような可能性を切り開くかについては及び腰である。研究テーマとして成立させることがそもそも難しいのだ。

 もう1つ,大学院という環境は,俺の生活やコミュニケーションの問題を一定以上考慮しない。要は辛い。14時45分から始まる専攻全体の英語論文を紹介するゼミがあり,日中活動できない俺はなんとか起き,英語力だけで乗り切った。今年は一応3年なのでスケジュールや担当の割り振り,司会などを引き受けた。なぜ俺のような人間がやっているのだろうか,ちゃんとできるだろうかと思っていたが,昨日ようやく終わった。終わった時は「ちゃんと終わらせることができました。ありがとうございます」と頭を下げた。

 また,ゼミで感情的になってしまうこともしばしばある。突然自分のしたい議論をぶっこんでしまうこともある。そういうことをやるたびに,申し訳無さでいっぱいになる。酷いのは学会である。1回無理しすぎて倒れている。その他その他小さいことも含めるといろいろある。

 もう1つ酷いのは無力感である。博士課程なので,俺よりできる人がたくさんいる。彼らは査読論文も出しているし,有名な学会で発表もしている。俺は「社会人学生だから」と言ってその問題から逃げるとともに,実際に割けるリソースが少ないので,難しい文献を積極的に選んで読んできた。リソースが少なかったら簡単なのを選ぶんじゃないの?違う。難しい中身の詰まった文献は短い時間で多くのことを語る。そして,それを読めるということをもって,なんとか自身を保ってきた。先週は会社を1週間休み,論文の構成と,理論的な文献購読に使った。結果かなり良い成果が出せた。会社がなかったら実は俺はけっこうできるんじゃないか。思ったがそうはいかない。結果的に俺は無力である。

 で,次か。「ザ・ノンフィクション」で今年ギークハウスが取り上げられ,少し出演したところ思った以上に多くの知り合いが観ていた。日曜の15時にテレビ見てるなんて奇特だなー,インターネットやれよとか思ったりするのだが,ギークハウスは1年毎に不義理をしてコミュニティを変えていた俺を,長い間居させてくれた界隈である。いろいろなことをやろうとしたし,集まってくる人はそれぞれの事情があったりなかったりするので,いざこざや揉め事,不義理もある。「ザ・ノンフィクション」では良い部分をピックアップしてくれているのだが,それが良いことなのかはわからない。

 その中で常に思っているのが,家があって集まっているだけではまだ足りないということである。phaさんは有名になった。phaさんのいる場所も何度も変遷を遂げながら継続している。それ自体は素晴らしいことで,救われた人も多いと思う。しかしそれで全ての問題が解決するかというと,もちろんそういうことはない。だったらギークが社会に何ができるか。

 例えば行政のデータ公開を市民参加に結びつけるオープンデータ活動をやったりした。割とやったところ,議員の方なり行政の方なりNPOの方々なり,各所で「猛者」な人々と知り合って,一緒になにかやったりもした。しかしそこはやはりコミュニケーションの支配する空間,簡単に言うとうまくやれなかった。

 で,ギークハウスに関して言えば俺は住人ではない。両親が離婚し実家に夜逃げしてきて,母や祖母も亡くなったので結果的に生き残った俺が実家の1階を継いで,そこに住んでいる。はっきり言って俺の配慮のなさと生活能力のなさは酷い。毎日同じ所で暮らしていたら,あっという間にボロが出るだろう。そうでないから,界隈にずっといるのだ。それでも,軽率な言動や不義理をしてしまい,人間関係に支障があることもある。

 なんか,嫌になってきた。本当に嫌になってきた。この感覚が伝わってくれると本懐である。結局,会社では周囲に助けられながら常に不安を抱えているし,強い意志を持って入った大学院も実力とコミュニケーションが伴っておらずうまくやれない。ギークハウス界隈には居させてもらっているのにろくなことができていないばかりか迷惑をかけている。それが,実情なのである。

 だったら全部やめちまえよ。不満を言わず迷惑もかけずおとなしく暮らせ。もっともである。周囲が見ているほど俺はまともではないし,ギリギリで生きている。その上でいろいろなことをやってろくな成果も出せず迷惑をかけている。「自分の成果をあまり卑下したら助言や協力をしてくれた人に失礼」と言われてハッとしたことがあるのだが,それを踏まえると,これだけ助けてもらってこれだけのことしかできない自分に後ろめたさがある。もっともこれは主観であり,やめてひっそりと生きるべきかということについては正直判断がつかない。

 結局俺は「やっている」だけなのである。「できる」からやっているのではない。単にやっている。で,その選択肢も広くないので,特定の何かをずっとやっている。それだけなのである。だから苦労があってもしがみつくし,できないことを常に悲しむ。不義理をしてしまったらそれは俺の責任として引き受けるしかない。良いことがあればそれに越したことはない。

 表題に戻る。今の俺の立場にはいろいろな見方や評価があるだろう。しかし,それに至った経緯はこう表現するしかない。それくらいしかやることがなかったから。できることを武器にしてガンガン進んでいくような能力も自信もない。Linusのように「それが僕には楽しかったから」とクールにも言えない。それくらいしかやることがなかったから。

 だから,「それくらい」の範囲を増やすため,活動への参加の敷居を下げるWebの「可能性」にもまた,しがみつくしかないのである。