インターネットってクソだよねー的な話について

ガード下 Advent Calendar 2017

なんかインターネットはクソだみたいな議論があって、割りと一般に共有されてる感覚なんじゃないかなーと思い適当に書いていく。

まず、「インターネットはクソ」の類型を適当に並べると

  • 情報を探す媒体としては、中身がなかったり嘘だったりとクソみたいな記事が大量にある
  • コミュニケーション媒体としては、単に感情を吐き出す場になってて、集まっても炎上させたりろくなことしないからクソ

というあたりだと思う。

 もしインターネットしかなかったとしたら、インターネットは人々の日常なので、「人間クソだねー」という話になるので、そこには比較対象があると思うのだが、まあ現実世界のことだと思う。例えば組織におけるコミュニケーションはだいたいシュッとしているし、紙媒体もだいたい正しいことが、だいたいちゃんと書かれている。

 インターネット、というかWebの可能性として言われてきたことは、情報発信やコミュニケーションを個人が自由にできるようにすることで、これらの現実世界の特権から解放されてもっと良くなっていくんじゃないかということだった。そして、それはうまくいかなかった。裏切られた、インターネットはクソだ。そういったものだと思う。

オルタナティブとしてのインターネットはあまりスジがよくない

 この「現実世界の特権から解放されてもっと良くなっていくんじゃないか」というのは、明らかにオルタナティブ、つまり今の人生と違った代わりの人生を探す考えである。その観点では、今Webで流通していることとしては(そうでないことについては山下陽光「バイトやめる学校」などに詳しい)

  • アフィリエイトブログや仮想通貨など、多くの人がやっている方向をやるか
  • それとも、才能がある人間やすごい努力を出来た人間が「俺はやっていった」と新しい方向を切り開いていくか

のどちらかだと思う。まあこれは一種のディストピアである。昔からやっていった人間はやっていったし、流行っているものに飛びつくなら雑誌を読めばいい。インターネットに独自の「代わりの人生」などまるで流通していない。

 むしろ、それを阻害する要因をインターネットは多大に提供してきた。今の人生が嫌だと思っていたら、酒を飲んで、さらにソーシャルメディアで愚痴を書けば良い。また、「こういうことをやってみたぜ!」と報告しようとしても、SEOを行う大量のクソブログの中に埋もれてしまう。知識として溜まっていかない。そもそも、あまり大したことをしていないと思ったら、情報発信をするモチベーションがわかない。

しょぼい人生ノウハウを公開するという方法

 さて、ここから1つの可能性を検討するわけだが、その前に人生に関する問いをしよう。ここに、適当な人生を持ってきました。

表1 ライフプラン表の例 ― ヤングファミリーのためのライフプラン|知るぽると

これとほとんど同じ人生を送ってきた人はどれだけいるだろうか?まあいるとは思うのだが、本質的な話ではない。ここで言いたいことは、それぞれ異なった人生を歩んできて、それぞれの生活を楽にする習慣なり、少しでも何か他の人がうらやむことがあるかもしれない、ということだ。

 宗教だとここで「あなたの人生をグアっと変える方法があります!」とか言うのだが、私は宗教家ではないのでそれはやらない。重要なのは、いろいろな人がインターネットに参加して、情報発信とかコミュニケーションができるようになったにも関わらず、どうして生活を楽にする習慣とか、人がちょっとうらやむような物事や金を稼ぐ方法とかに簡単にアクセスできないのだろうか?ということである。そういうことは極めて基本的なレベルで共有されていない。私は、祖母がなくなって一人で実家に暮らすようになった際、まず洗濯機の使い方から学ぶことになった。

 ギークハウスの pha は、そのあたり書籍でうまくやっている。「持たない幸福論」(だったっけかな、違う、「ひきこもらない」だ)とか、本当に大したことのない生活習慣を大量に集め、パッケージ化して誰でもphaの生活をできるようにしている。先程紹介した山下陽光「バイトやめる学校」は、「誰でも自分なりの稼ぎ方ができる」と銘打っているが、正直彼自身の才能があるので俺は出来ないなーと思う。

 重要なのは、こういったなんでもない事柄をWebで発信したりアクセスできる状況にはないということである。ちょっとした工夫やノウハウは、金につながるものにせよそうでないものにせよ、人生を変えることにつながる。そういうのを手軽に発信して、自分に合ったもの合ってないものを探せて、自分なりにやれて、さらにその経験を共有して情報源にしていく。そういったものがあると良いんじゃないか。

 というのも、私は質問回答サイトStack Overflowの研究をしている。その中で、「なんでもない事柄」を気楽に共有し、アクセスできるようにすることが、どれだけ巧妙な仕組みで行われているかが少しずつわかってきた。そのなんでもなさは尋常ではなく、vimを終了させる方法が100万人の役に立っている。質問回答というのは人から知識を引き出す良い手段で、しょぼいことを発信することには障壁があるが、しょぼいことを聞いて答えるという形になったら一気に楽になる。そして、自分が当たり前だと思っていることでも、聞かれて答えることで言葉にできる。まあそういったことが積み重なって資源となる。

 今の段階では、Webエンジニアなどの職種が幅広い人々に門戸を開いていることからして、プログラミングをできるということがオルタナティブの1つとして見られることもあるが、それは知識に簡単にアクセスでき、オープンソースという形で道具にもアクセスできるということに基づいている。そして、質問回答はその手段の1つとして、メーリング・リストの時代から確立されている。だからといって誰でもエンジニアになれるわけではなく、N高のプログラミングコースの終了率や、今は手元に論文がないが、MOOCsのコースの終了率が高くないことに、それが見て取れる。しかし、知識だけはアクセスできる。

 そういったことを、もっと幅広い領域でできたら、インターネットはクソでなくなるのではないか。その中にはプログラミングと共通する方法もそうでないものもあるだろうし、簡単な道ではないだろう。だがしかし、今のインターネットの無力感を打破する一つの手段ではあるだろう。ここでは知識のアクセスの問題を扱ったが、ほかにも色々あると思う。