学術的正しさと教養主義

id:thirが言ってもわからないようなので、記事にしてみる。


まず述べておくが、

あのー、それ、普通にいじめなんですけど
http://d.hatena.ne.jp/thir/20080706/p1

およびこれに派生した分析の正しさに異議を唱えるつもりはまったくない。いじめの構造分析に関しては先行研究が多くあり、それを踏まえた上で、適用範囲を把握した上できちんと分析していると考えられる。この分析自体への学術的反論があったとしても、十分にそれを理解して答えることができるだろう。


さて、学術的生産物を理解するためには、当然当該学術コミュニティで使われている言語を理解しなければならない。これはただ大学生であるだけでは駄目で、少なくとも共通の専門用語、理論を扱っている学部群に所属していないといけない。もちろん、教養学部がきちんと機能しているごく一部の大学の出身者なら、それは問題にはならないだろう。


となると、特にはてなにおいて、それを持っていない人間は数多い、と言うことは容易に理解できる。そして、彼らは、この記事に対して「学術的バックボーンがある」こと自体を知らないか、もしくはバックボーンを持っていてもこの記事を学術的であるとは解さない場合もある。その場合、この分析の正しさの土台になる知識、プロセスまで読み手に伝わるかどうかは、もはや保障できない。繰り返して言うが、これでもこの分析の正しさが反故になったわけではない。


さて、ブログという個人メディアでは、さまざまな人が記事を読みうるし、書きうる。となると、共通の学術的バックボーンのあるなしでブログの読み手を分類することができる。そこで、ここが私が権力的だと思うのだが、彼は他の記事を書いた人間、あるいはおっさん本人が「共通の学術的バックボーンがない」、つまり「教養がない」からという理由で反論記事を書いているように思われるのだ。これは一種の教養主義だ。例えば、記事中の

バカ野郎。


と言う言葉にも見られるし、また彼のネット上の別のこの騒動に関する言動にも見ることができる。また、彼を支持するユーザーにもそのような傾向がある。それがまさに

■学級委員長たちは自分の意見を何としても正当化したいのですね、わかります
http://d.hatena.ne.jp/massunnk/20080709/p1

で「委員長」と呼ばれる理由でもあると思われる。はっきり言うと、彼がこれだけいい議論展開をしているにもかかわらず、これだけの反感を買っているのも、これが理由だろう。さらに、ハゲのおっさんにもハゲである以外に「教養がないおっさん」という新たなレッテルすら存在しうる。


つまり、まとめると、id:thir教養主義を振りかさしており、学術的な真偽の基準ではなく教養のあるなしで人の記事を判断している。私はそれが気に食わない。また、これはまさにいじめによる排除の構造に近いものだ。はてななら大丈夫だが、例えば駒場で同じ議論をしている中に私が入り込んだ場合、そこではいじめが発生するだろう。