ゲームと、メディア-コンテンツの境界

ニコニコ動画がゲームでない理由は、遊ぶ側にルールを必要としないからだ。

ゲームとはルールである。

制約ではない。

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ニコニコ動画を「正しく遊ぶ」ためのルールは誰も規定していないし、それを強制的に守らせるような審判にあたる力も働かない。

なんでも「これはゲームだ」とってしまうのはゲーム脳だと言ったら - shi3zの日記
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20080402/1207089330

私が
ニコニコ動画はメタメディアである、パソコンがそうであったように
http://d.hatena.ne.jp/kybernetes/20080310
で言わんとしたことが、鮮やかに書かれている。
「しかし、ニコニコ動画はユーザーの使い方しだいでまったく違うメディアになるのだ。」
の文脈での「ユーザーの使い方」の部分が、ゲームで言うところのルールだと考えていい。要するに、ニコニコ動画自体を体験するというのはありえず、何らかのルールを介して体験するのだ。まあ、ほかのメディアでもそれはあるのだが、ニコニコ動画においてはルール自体を意識しなければならないほど、今までのメディアからずれていたと言える。その上で、ルールがすでに複数存在し、それに応じたコミュニティができていると考えられる、というのが私の見た現状だ。

大雑把に図示すると、
ニコニコ動画->使い方->動画、コメなどコンテンツ->ユーザー
という順序でニコニコ動画はユーザーの前に現れる。

ただ、以前からのメディアと、それに含まれるコンテンツという図式に、「使い方」あるいは「ルール」がどのように反映されるのかというのは難しいところだ。「コンテンツを正しく理解させるもの」という位置づけなら、それはメディアに含まれる。一方、「使い方まで含めてコンテンツ」あるいは「コンテンツが使い方を語っている」と見るなら、それはコンテンツに含まれる。その辺はゲームの世界ではどうなんだろう。

それを踏まえた上で、ニコニコ動画を分析する手があるとしたら、人の間でルールがどのように守られ、利用され、可視化されているかを見ることに他ならない。そして、経験をデザインする方法の一部にそれは取り入れられている。それについては追って書こう。何しろ書きすぎるとネタが切れるからな。

とりあえずshi3z氏には敬意を表する。あと、電通大をあまり悪く書かないで下さい。未踏に通った人間を4人知っていますが、3人は駄目で一人有望です。