好きに生きて死ぬということについて

昨日,博士課程の最後の在学延長書類を提出してきた。

祖母が亡くなり身寄りを失った障害者になった中で,「これで終わりか。無理に決まっているが博士号だけが心残りなので,一通りやって,好きに生きて,それから死ぬなりなんなりすればいい」と覚悟を決めて入学してから,書類が通れば6年目になり,1年後に単位取得退学となる。

正直,職業研究者にはなれない。優秀な人は一瞬で私を追い抜き,とっくの昔に私からは見えない場所にいる。入学してからこの年まで,業績という観点では私はビリであり続けてきた。社会人学生であることを鑑みてもあまりにもひどいといえる。今日も論文に向き合っているが,26ページを25ページにおさめるのにどこを削ったらいいか皆目見当がつかない。

一応大義名分として,インターネットという障害者である私がある程度平等に振る舞える場が,どのようにうまくいっている(もしくはいない)のかを研究するということがある。しかしそれが私の生きやすい世につながるかというと研究だけでは足りない。率直に言って,自分の知性がどこまでいけるか試したいという願望だけがあった。

私はそれに多くの犠牲を強いた。2015年以前の多くを失ってしまったし,30代前半という一種の人生の地ならしをする期間に何をやっているのだというのもある。また,この数年間会社に居続けられたのは奇跡としか言えず,関係する皆様には感謝しかない。

この時期になると,「次何をするか」を考えないといけない。今までのことを続けても数年は生きられないだろう。かといってさっさと死ぬのも怖い。だから新しい生産や社会参加の手段をいろいろ模索したり,新しい心の拠り所としてVTuberを開拓したりしている。

それら外部のことが整って初めて研究もうまくいくものだろう。人文の研究は実家に恵まれていないとできないという身も蓋もない話があるが,私に実家はない。もしくは才能があればやり遂げることができるが,私にはなかった。しかしそれでも,ある程度まで続けてしまった以上この研究テーマとは1年後も付き合っていくことになる。

結果的に中途半端な生き方を続けていくことになる。まあそうなると思っていた。それも因果だと思うしかない。そういう生き方をしなかったらとっくに死んでいる。

そこで人生の「最期」というものが見え始めてくる。死ぬとき私はどういう状況にあるのだろうか。粘って社会にかじりついて日銭を稼いでいくか,それとも諦めて破産して生活保護を受けるか,他にも絵空事を含めて色々浮かぶがどれも現実味がない。現実味はないが現実はやってくる。そんなに遠くはないだろう。体感で15年ほど人生の猶予をもらってきた。しかしその先の15年も私の存在が許されるとは思わない。

「好きに生きる」ことのゴールとしての「好きに死ぬ」ことは,私には贅沢すぎる。

デブになった

まあこの一言で全部終わりではある。昔は155cm35kgで「ヤセ」でいじられていたが,標準体重を超えた瞬間にデブと呼ばれるようになった。標準体重は参考になる。心当たりはいくらでもある。

  • 元々の体質:父親が30を過ぎたら痩せていたのが太ったらしい。なので私も「いつ太るか」という感じだったし,実際にそうなった。
  • 筋肉が絶望的にない:これは痩せていたときから言われていた。贅肉はそこそこあるが筋肉がなさすぎるみたいな(ちなみに,「筋肉がない」と私に指摘していた人には最近デブと言われている。そのへんのことを言ってもいい文化圏の人間だと思う)。
  • 昼間外に出ない:対人恐怖症が出ているので昼間あまり外に出ない。大学は夜学で出ました。会社はリモートワークです。その頃から少しずつ体重が増え始めたので「いつかは太るだろう」と思っていた。
  • イベントに行かなくなった:博士課程に入ってから飲み会やオープンデータのイベントなどに行かなくなった。数少ない外に出る機会が相当に減っていった。
  • ピザを頼む:鬱で外に出られないときでも昔は這ってコンビニまで行ったものだが,最近はピザを頼むようになった。ピザは麻薬だ。
  • 抗鬱剤の影響:飲み始めたのは最近だし,体重の増加は止まったのだが,抗鬱剤を飲み始めた時期からデブを指摘されるようになった。因果関係は不明。

ということでいかんともしがたい部分は除いていろいろ試している。

  • 筋肉が絶望的にない→体幹レーニング。短時間で高負荷をかけるため,ADHD傾向でも最後までやれる。やりはじめてわかったが,あらためて本当に筋力がない。
  • 昼間外に出ない→夕方以降はガンガン外に出るよう心がけている。昼間にちゃんと動いたり恋愛をしている真人間はやはりとても怖い。「普通の生活」が怖い。「普通」の人々は片親が亡くなったとき一斉に私を見捨てた。
  • イベントに行かなくなった→人間関係を再構築している。まあ何もできない人間じゃないし一度呼ばれたらフットワークは軽い。ただ時間がない。
  • ピザを頼む→頼まない。這ってコンビニまで行け。

これらを一気にやるようになったらガタが来て,2週間前に友人宅に行ったら筋肉痛などでフラフラとなって転んで証券会社のガラスに突っ込んだ。筋トレの成果か受け身は取れたので頭は大丈夫。足は怪我したのでしばらく筋トレはやめろとのこと。まあ無理のないようにやっていこう。

面白い人や場所と一瞬の輝きについて

乱文です

 なんだかんだいって年越しは一大イベントで,ひどい状態でも年越しのときだけはどこかに外出していた。今年もどこかの界隈で年越し会が行われるだろう。しかしそのバリエーションや面白さも減って,行く気が起きず,どこかのVTuberを観ながら年を超すだろう。そういえば昨年もVTuberだった。

 あらためて,2002年にMorphyOneのオフ会に参加して以来,2chの技術・携帯電話界隈,ロフトプラスワン,動画配信界隈2つ,ギークハウスなどなどいろいろな界隈に参加してきたし,そこに集まる人々の自分とは違った生き方やエキセントリックな生き方に面白さを感じ惹かれていた,ように思う。

 しかし2002年から17年が過ぎ34歳,人生の半分をそうして過ごしてきた今,決して悪いことではないのだが実は派手な幻想を抱きすぎていたのではないかと思う。それこそ高校生の時はオフ会で「〜に勤めている」「〜な仕事をしている」「〜という研究をしていて」というだけで面白かった。しかし今はどうか。世の中についてある程度知ったため,単純にそういった外形だけでは面白くは感じない。

 人間の面白さのもう一つの側面として,ある面白いトピックに関して集まって話をしたりなにか活動するというのは,その人を面白くする。その点ではマニヤであることは良い。トピックの面白さと人間の素の面白さが相乗して,さらに集まることによって場所が魅力的になる。

 しかし,黎明期に格段に面白かった集まりは,その黎明期こそ誰でもENTER FREEでありそれゆえ変な人間を呼び寄せるが,長くは続かない。1つのパターンとしては大規模になるにつれ「普通」の人間が増えていくというのがあるが,私はそれを察知した瞬間に去ってしまうためいつかない。一方,「普通」を拒絶し続けていては,新陳代謝が起こらなくなる。そこにネタ切れが襲ってくる。

 それに加えて,多くの人々は面白い場所でいっときのハレを経験したら,次のハレに行かず,日常に戻っていく。私のように何年もいろいろな界隈に入り,去るというのはあまりない。複数の界隈なり文化圏でやっている人間というのはそうそういない。1つを極めた人は界隈が衰退しても一人で面白いことをやっていく。

 要は私にとって面白い集まりに居続けるというのは,様々な界隈を渡り歩くことであった。そしてそれは不自然な骨の折れることで,「老い」によって疲れてしまったというのがある。続くものは続いており,学術研究は終わる気配がない。

 しかし思うのだ。普通になっていった多くの人々が界隈で見せた一瞬の輝き,それは実に面白く,得難い。そこには人生が詰まっている。今年は「思い出」について考えることがあり,「幸せな時間がいっときでもあればその後辛い人生があってもやっていける」ということを喧伝していた。実際のところそれは欺瞞で,辛い人生は単に辛いのだが,いっときの幸せな時間というのはあるのではないかと思う。

今年1年を振り返る

1年を体系的に振り返ることは普通しないのだが,これだけ後味が悪いと振り返りたくもなる。起こった出来事のダイジェストをまとめる。

博士課程に関わる様々なこと

まず,本年をもって正式に課程博士を取ることはできなくなった。社会人学生の課程博士取得実績(0人)からいって入学時から無理だろう,そして決定的に無理になる瞬間が来るとは思っていた。また,論文博士を取るにしても年限までいて,できる限り研究をすすめるつもりだ。しかしやはりその時が来たら自分がだめだったんじゃないか,また今までの5年間はなんだったんだという感じにはなる。

結果的に鬱病を発症し,良くなったり悪くなったりしている。そのため研究も進まないという負のスパイラルに入った。今この瞬間も戦っている。立ち直れるかどうかは知らない。

もっとも,「自分の研究方針に最も近い方針の問題点を指摘し,方針を明確にする(2016)」,「研究対象の特徴を分析し,研究課題を打ち立てる(2017)」,「それが今までやられていない独創的なことだと先行研究から示す(2018)」という人文で必要な地盤固めに目処が立ち,具体的な分析に入ることができた。荒削りだったが,研究大会での発表で「この方に注目して欲しい」という方から質問を頂いたのはうれしかった。

訃報,事件など

詳しくは言えないが,「そのうち起こるだろう,自分を支えていて(もしくは,過去に支えられて)いた人や環境が崩壊すること」が何度かあった。10年以内に起こるだろうが,いつ起こるかわからないということが今年2回くらいあった。ようやく落ち着いてきたところだが,正直今年は陰鬱な雰囲気に包まれていた。

仕事の性質の変化による負担

会社では基本的に研究開発をしており,その延長としてソフトウェア開発の案件に携わっていたが,今年度は泥臭い製品開発としての側面が強く,要求はコロコロ変わり,無理なものは無理,だったら落とし所はどうするか,といったことばかりやっていた。やればできるが向いておらず,強く疲弊している。

最も厳しい時期に眼病で1ヶ月何もできなくなった

ウイルス性結膜炎にかかり,症状はそこまで重くなかったが,感染を防止する観点から行動を制限され,外にも出られなかった。大学院で年1回の重要な進捗発表会があったが,大学院も「学校」なので,「出席停止」に引っかかってしまった。PCを見るのが厳しいので仕事も進まなかった。「なんとか色々打開しなければ」と考えていた矢先だったため,本当に厳しかった。

まとめ

正直,ここまで書いたことはすべて一過性だ。研究も厳しいフェーズを超え,仕事がきついのも今年が特殊だっただけだ。訃報や事件はいつかは起こる。しかし全てが一挙に来てしまうと容易には耐えられない。

「この状況がずっと続いたら耐えられない」という考えは,必然的に将来への不安,この先やっていけるのだろうかという不安になった。もちろん良い面もあり,Civic Techを推進する一般社団法人の立ち上げに参加したりなどアクティブにもなれた。その反面,死も覚悟していた。

こう振り返ってみると,いつか起こる不幸を切り抜けながら,研究や仕事の厳しい時期を生産的にクリアし,新しい芽もまいていた。正直もっとできた,もっとよくできたと言いたい気持ちはあるが,現実的な線としてはこの程度やれれば充分という感じだろう。

それにしても悪い年だった。

飯の食べ方がわからない

 障害や生育環境などもあり,自分が正しい生活をできているかと言うと,恐らく半分以上は間違えているという自覚がある。正しいと胸を張って言えるのはパーティーの後にビールの空き缶を捨てるときくらいだ(食器類は紙皿でも不安)。

 寝ることも正しくできず,目の辺りが生まれつき壊れているようで,目を完全に閉じることができなくて白目になってしまう。それを何度か笑われたことがあるが,辛いので人の家で寝ることはほぼなくなった。

 洗濯は祖母にやってもらっていた(老化を遅らせるためにできることはやってもらっていた,と一応言い訳)のだが,突然調子を崩して私がやることになった。しかし,洗濯機の回し方については洗剤を入れるタイミングなどいろいろ考慮することが多かった。チャットで聞いた。だいたい全員に笑われた。

 恐らくこういった事柄を一つ一つ直していったら人生が終わってしまうだろう。今生きていられれば多くのことが間違っていてもそれでやっていくしかない。しかし,常に自分の生活での行動が正しいかどうか不安なので,精神に負担がかかっている。

 食事はその最たるものだ。私には,ものを混ぜて食べることが難しい。理由の1つには手先が不器用だというのがあり,もう1つには複雑な味覚を処理できないというのがある。それが,大衆の食べる食事の代表格である丼物やラーメンにもろに突き刺さってくる。

 例えば牛丼があったとしよう。ケバブ丼でもいい。私は肉と米を同時に食べることができない。同時に食べるとなにかおかしくなる。周囲の人はみなできている。しかし,どうやってできるのかわからない。私は分けて食べる。それがうまいのだ。

 ラーメンに関しては複雑な感情である。全部盛りみたいなのは無理だ。しかし,シンプルなラーメンでもネギやメンマはどうしても載ってくる。正直,好き嫌いも激しく,ネギもメンマもまずいと思う。なので,まず最初に食べる。徹底的に取り除いてから麺やチャーシューに取り掛かる。それがうまいのだ。

 ファストフードに関しては,ポテトやナゲット,パイなどは大丈夫だ。しかし,ハンバーガーは一切無理。かぶりついた瞬間に味覚が崩壊する。ファストフード店はすなわちハンバーガー店だ。だからハンバーガーを食べないのはおかしい。しかしおかしいことをやるしかない。それがうまいのだ。

 私は,この食べ方が変であることを知っている。だから,人前で食べるのが辛い。例えば「天下一品」などでは,頼めばネギやメンマを抜いてくれるので非常に助かっているのだが,人前ではやらない。他のものを食べる際でも「ああ,早く終わらないか」と思いながら食べて,結果的に急いでしまう。腹を壊しがちなのはそういった事情もある。

 先日,好きな女性を夕飯に誘った。お互い忙しいので特に発展することはないのだが,安心して話せる相手なのでラフに話したかった。しかし,食事については気を使う。ラーメンだったのだが,その時は前で食べるのをチラッチラッと見ながら頑張って真似た。時間が長く感じた。これだけ安心感のある相手でもそうなのか。

 「にじさんじ」の夢月ロアが,「お箸の持ち方にコンプレックスがあるから人前でごはん食べんかもしれん」と言っていたのだが(42分くらいから),何度も指摘されたらしく,非常に共感した。

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 実際のところ指摘されるのが一番怖い。楽さでいえば「天下一品みたいに苦手なものを取り除いてもらう」>「人の居ないところで食べる」>「人がいるところで耐えながら食べる」>「人に合わせた食べ方をする」>「人に指摘される」,という感じだ。

 食事は毎日必要である。結論から言えば,コンビニ食が多い。自炊なんて夢のまた夢。引きこもりのキャラの描写として,コンビニに行くのがある。私は引きこもりではないものの食べ物に関してはコンビニ頼りだ。栄養バランスが偏ると言われることがある。しかし,それよりも精神の減り具合のが大きい。体に本気でガタがきたら逆転するのだろうか。

 まあ,気を使ったり精神をすり減らしてでも食べたいものは,ある。人と話しながら食べたいときもある。そういうときは,いや,辛くなってきた。

 放っておいてくれ。

人生の失敗を体験する

今年4月,博士課程で博士号を取れないことが確定した。ただでさえ社会人をやりながらの博士課程だったのが,新しい学問分野ができる真っただ中でその学問分野がどういったもので,自分はどういった立ち回りをするか,ということから始めなければならなかった。いろいろ「単に博士号を取る」という観点では悪手を次々と踏んでおり,当然か。

まあ入学時に予想はしていた。博士課程で一連の研究を回す方法を学び,論文博士につなげていくということになるだろうと考えていた。客観的に見ても,図書館・情報学という分野上,社会人をやりながら修士を取った学生は多いが(彼らはおしなべて優秀である),今のところ博士を取った人間は論文博士だけだ。

社会人博士のベストプラクティスとしては,企業での活動と近いテーマを選び,仕事の一環として研究を進めて論文をガンガン出していく,というのがある。しかし私はそれを選ばなかった。それをやるなら社会人博士という中途半端な立場では,最初から研究一本のプロパーにはかなわないし,日本企業は学術的な成果を取り入れるのが下手だ。

なので,どうせなら難しいことをやりたかった。最悪博士号は取れなくても,テクノロジーの力でどのように人々は協働し,どこを目指していくのか,ということについて深く理解し,成果を発表したり実践に活かしたりするルートはいろいろある。まだあまり表には出していないが,実際に動いてもいる。

以上のように,取れないのは織り込み済みだった。しかし,実際に「取れない」という事実が確定すると,精神には巨大なマイナスと恐怖と絶望が降りかかってくる。やはり相当程度はやってきたわけだし,いろいろ困難を乗り越えてはきた。その上での「取れない」。沈まないわけがない。しかしここまでだとは。

ということで1か月茫然自失の日々を過ごした。何もできなかった。6月に入り,多少動けるようになった。無理をして何かを忘れるように働き,投稿論文の完成度を上げた。結果として,鬱病,夏風邪,ウイルス性結膜炎を患い,自宅が病棟になった。木造建築物にアルコールを噴射した,昔の病院の病室の匂いがする。今はこの程度の文章は書けるが,本格的に仕事や研究をするとすぐ目がきつくなる。沈思黙考の日々が続いている。

思えば,自分に降りかかってくる不幸はいろいろあったが,多くは外部要因だった。夜逃げ,母親の発狂と死,祖母の死,実家の崩壊,そして生まれ持った発達障害。これらは「純粋に自分が何かやった結果の不幸」ではない。博士課程はどうか。そうではない。すべてが自分に降りかかってくる。

大学院にはあと1年半ほどいることができる。最後の1年は,落としどころも大体見えてくるだろう。きついのは今だ。雑に「5年目くらいに本当につらいのが来る」と思っていたが本当に来た。

なんにせよだめなものはだめだ。そして今進んでいることもある。なんだかんだいってまとまった成果が出る直前ではある。死なないことが重要だ。生きることを目的にいろいろやっていくことにする。そのためにはいろいろやる。

生きる手段としてのインターネットの構想と,その20年

niryuuインターネット20周年記念記事

生きる手段としてのインターネットの構想と,その20年

 

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1999年6月30日,高円寺のインターネットカフェ(現在は中華料理店)に恐る恐る足を踏み入れたのがこの20年の原点だったと言える。

クソッタレな現実のみが目の前にあり,成人してからの生活なんて想像もできなかった。母親の統合失調症が一段落したが,正直長くないだろう(私が成人する12日前に亡くなった)。親戚の借金の情報は常に飛び交っている(まだ未解決である)。私自身も虚弱であり,なおかつなにか脳に障害があるらしい(あった)。とても生きられそうになかった(生きている)。

私はインターネットに全てをかけてみることにした。とはいえ,当時のインターネットには何もなかったので,図書館や本屋の立ち読みで「人々がコンピュータやインターネットにどういった未来を持っていたか」ということを中心として乱読した。ある図書館の007の架は全部読んだ気がする。技術に関する本ももちろん読み,Linuxコマンドの知識などは現在に至るも役に立っている。

図書館の本は少し古い傾向にあるので,まだバブルが終わっておらず,インターネットが具体的に登場する前の,全てを楽観主義と想像力だけで語っていた時代の文献にアクセスすることができた。そのあたりの思想は渾然一体としているので私にはまとめきれない。各自やっていってほしい。当時の私はまだ中学生だったので非常に曖昧に摂取したと思う。

ある程度の知識を得たら,具体的な問題を提起してそれに未来像を描くことができる。私の場合は,「もし大学を卒業する前に路頭に迷ったら,インターネットでどう生きていけるか」だった。その暫定的な答えは以下のようなものだった。「情報はインターネットで手に入るからいろいろできるだろう。しかし問題は職だ。電話には連絡先がある。もし直接の連絡先に助けがなくても,知り合いの知り合いの…と紹介してもらえば何か活路があるかもしれない」。具体的な職種としては,ライターかプログラマー

とはいえ,これも「人を自由にするテクノロジー」という楽観主義と想像力だけの産物だった。どうやって実現するかということについては莫大な作業が必要になる。それを誰がどうやるか。アメリカのドットコム・バブルは私が本を読んでいるときに崩壊した。ビジネスや仕組み作りは当面はできないだろう。ということで技術を学ぶことにした。

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さて,未来は実現した。実際に何度か露頭に迷ったが,ライターもプログラマーもやった。「知り合いの知り合いの…」という高度なことをやらなくても(いや,副業では何度かやった),インターネットで知り合った縁で仕事をして生き残っている。リモートワークで虚弱さも脳の障害もなんとか切り抜けてやっている。世の中の動きとしてはリモートワークを恐る恐る部分的に導入したり,否定的な意見もあったりする状況だろう。その中でお前は特殊だと言われることもある。そんなことはない。リモートワークしかないという気持ちでやっているのだからそうできただけだ。

これは20年間で莫大な作業がなされた結果でもある。もっとも,いろいろ追いついていない。例えば日本国内では法整備は追いついていない。労働関係法規は国際競争に破れた企業と旧来からの働き方を守るしかない労働者側で的の外れた対立が行われている。小さい問題では(私はこれを小さい問題と考えてはいないが)海外携帯電話の持ち込みやSIMロック解除の議論は,2003年に日本国内に海外端末と海外SIMが持ち込まれ,海外のGPRS網に偶然つながってしまった(あれは未だによくわからない)時点から,遅々として進んでいない。

i-0当時,人を自由にするテクノロジーとしてのコンピュータやネットワークの考え方を牽引するのはApple(ここにもはや理想はない)などの大企業や,PARCなどの(当時)巨大研究所だと考えていた。しかし,現在はそれは国際的分業によってなされている。例えばCHI, CSCWなどの国際会議に出席している顔ぶれを見ればわかるだろう。

インターネットは20年前はアンダーグラウンドな場所だったが,今は別の意味でアンダーグラウンドになっている。つまり,「普通の人」が内面に隠し持っていた過激な考え方が容易に表に出るようになってきている。飲み屋で行われていた「あいつなんて死んでしまえばいいんだ」が表面化し,集合的な圧力となって本当の死につながるようになった。「暗黒啓蒙」に凄まじい新しさは感じない。なぜなら,それは前から普通の人が隠し持っていたことだからだ。そして,彼らは本当に一線を越えて過激にならないように「普通の人」を名乗り続ける。

私はこれに脅威を感じる。思想的な脅威ではなく,「インターネットはこういう場所だ」と決められてしまうことへの脅威だ。何の変哲もないところがあってもいい。クリエイティブなところがあってもいい。生きるための場所があってもいい。そして,過激な場所があってもいい。今インターネットに対して「理想」を掲げるなら間違いなくそう言うだろう。

しかし,インターネットは人が集まる場所であり,適切な場所に一定数の人が集まらないと適切なことはできない。例えば生きるための場所を求める人が「インターネットって過激な場所でしょ」と定義してしまい,過激な暴言を撒き散らしながら自分の人生はいっこうによくならないというケース,もしくはかりそめの「生きるための場所」を標榜したところに幻滅したケースは枚挙にいとまがない。地図もコンパスも,さらにはGPSもない世界に放り出されるのだ。当時はうまくいった。しかし今はどうだろうか。

その点で,現在のインターネットは不完全で非常にいびつだと考えている。しかし,それがネットの「本質」だという論には反対する。真逆のことを本質だと言う人々はいくらでも見てきたし,そもそもインターネットで人が集まって何をしているか,何ができるか,についてはほぼ解明されていない。

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20年経ってしまったのだから,ここから先10年20年というものを考えてみる。しかし,i-0当時とは違い,i-20では具体的なものがいくらでもあるから,楽観主義と想像力には頼れない。しかし,その「具体的なもの」が成している,もしくは成しうる人間の営みというものはほぼ解明されていない。例えば知らない多くの相手にツイートし,返信を受け取るというのはどういった秩序を作っているのか。そのあたりは実は不明瞭である。それが1つの方向性だろう。

そして,現在のインターネットについて様々な現象や秩序が明らかになったとして,それをどう未来像につなげていったらいいのだろうか。これこそ本当に手付かずの領域である。例えば,知見を持って新しい技術のデザインをしたとしよう。それが未来にどう影響するかは昔以上にわからない。VRやAIなどのある種古典的な技術は,実は当時想像されているとおりに使われていることが多いように見える。しかし,今そういった概念を生み出す土壌はあるのだろうか?

これは講演の気分で書いているので(実際に講演をやろうと考えていたこともある),分量的にそろそろ終わりにしたい。私が今未来像全般について語れることなんてほとんどないからだ。なので,i-0の問い「もし大学を卒業する前に路頭に迷ったら,インターネットでどう生きていけるか」にもう一度答えてみることにしたい。といっても今だったらいろいろな答えがあるかもしれない。そして,これは私個人の問いで,私の生きている環境に依存したものだ。なのでやめておこう。各自調べて考えるのが一番だと思う。