空間に時間のマネジメントを埋め込む

また普通の人には役に立たないクソみたいなライフハックを書くぞ。

私は時間を守れない人間だ,というと正確ではない。「時間を守れない」と言った場合,特定の時間を認識しており,それを守る守らないの次元だが,よりもさらにダメなのだ。

どういうことかというと,時間に区切りを作ることができない。もっとも,区切りがはっきりしていてすぐに終わるタスクはどうにかなる。例えばトイレは水を流して手を洗うという明確なゴールがある。しかし,仕事や研究などの生きていくのに重要な多くのことは,すぐ終わりが見えないくらいには長い期間やることになるし,一区切りついたとしても,次何やる?という話になる。そういったとき,時間の感覚を全く作ることができない。時間を守るためにあれやれこれやれみたいな仕事術は全部一瞬で失敗した。

特に厄介なのが娯楽である。インターネットには終わりがない。終わったときは私の人生の終わりだ。延々とコンテンツを享受し続けることには終わりがない。そして実際に延々と享受する。結果的に,時間を守れないようになる。逆に,仕事とか研究のことも寝ている間以外は常に頭にある。しかし,それをちゃんとできるように時間を区切ることができないのだ。無限にやるか全然やらないかのどちらかになるし,最終的に気分に左右されてしまう。

さて,そんな私でも割と区切って作業できる条件がある。外だ。カフェで作業をしまくっているし,カラオケとかネカフェでやることもあるし,本気の時はホテルもとる。そういったノマドワーキングの利点欠点は様々に議論されているが,どれも本質ではない。例えばこれらは快適な環境とは限らない。ホテルは快適だが,疲れているときにカフェにいると雑音で集中できないし,カラオケなんてやばい。ネカフェは脳が慣れた。いずれにせよ,家やオフィスに比べたアドバンテージはない。

ではなぜそういった場所で作業ができるかと考えてみたところ,時間制限があるからではないかと考えられる。ホテルはチェックアウトという明確な期限がある。ネカフェやカラオケは基本的にパックの範囲内だし,従量課金による圧もある。カフェも,事実上数時間いることはできない。

そうなると,「ここはいつまでに出なければならない」という制限ができ,時間の区切りが強制的に作られる。それをそのままやることの区切りとしてしまえばよい。これを,空間に時間を区切らせると解釈することができる。

そうやっていろいろ捗ってきた。皆様の参考になるかは知りませんが。ちなみに,この記事は気分で書きましたし,重要なことをいろいろ放置しているので,カフェに行きます。