Webは作り手にとってどのように見られているのか

Web屋さんって何をつくるお仕事なんですか? その職業の方は必要なスキルが多いんですか?
http://gitanez.seesaa.net/article/74236726.html
で、Web屋はスキルがどうこう以前に自分が何を作っているか理解していないと言っていた。これを一歩進めるには、まずスキルについてもう少し深く追っていくことも必要だろう。長くいた口ではないので、多少の間違いはご勘弁を。

まず、現在のWeb業界ではスキルを中心としたコミュニケーションが支配的で、それが入門者から実務、クライアントに至るまで浸透しているということがある。要するに、スキル以外の言葉で語ることが難しく、どこかの段階でスキル以外の要素が排除されてしまうのだ。

・新しくこの業界に来た人間は、まず「〜できます?」「〜覚えてください」と、スキルを確認してから、いきなり実務に入る。
・実務者同士の情報交換も、主にスキルを中心として、その他は(主に情報デザイン系の話題だと)「感性」というあいまいな物として扱われ、実務の枠から外されてしまう。
・クライアントはさらに厳しい立場にある。「こういうサイトを作りたい」と提案すると、すぐにスキル、技術の枝葉の議論になってしまい、一向にサイト自身について語ることができない。成果物も、「こういう技術が使われている」とごまかされて納品される。

もっと言えば、このような状況に適応するため、Web業界はさまざまな、要素技術やアプリでないものを「スキル」として扱っている。例えば、「コミュニケーションスキル」などを思い浮かべればわかるだろう。上のサイトで出てきた

コーポレートサイトつくってますとか、 ECサイトつくってますとか

なぜこのようなことしか言えないか。それは、この2つが彼らにとって「コーポレートサイトを作るスキル」「ECサイトを作るスキル」だからだ。要は「Ajaxできるんすよ〜」とあまり変わらない。

要するにあの業界は「スキル」という記号が氾濫している。スキルそのものがメディアであり、「言語」や「図像」と同じレイヤーにある。その中で「Webとは何か」を問うたところで、記号に引っ掻き回されるだけだろう。まさに上のサイトで指摘されていたリアリティのなさはここにある。記号一つ一つが現実との対応関係ではなく、独自の論理で動いている。あるのはスキルという記号の体系だ。とりあえずこの仮設をもとに議論を進めていく。

そんな状況を打開する、いわば未来を見るためにはどうすればいいか。以上の文脈では、未来も「スキル」として扱われる。新たな記号が生まれ、スキルの体系に取り込まれるとき、それは未来として認知される。例えば、「Web2.0」などを中心としたbuzzwordは、未来を見ていると同時に、個人的なスキルにもなる。

スキル体制を破壊してリアリティを回復するとしたら、それはスキルの体系の中からなされなければならない。例えば、ユーザビリティ調査としてのエスノグラフィー「というスキル」などもそうだ。「ECサイト」などの記号では語れないものを観察する糸口を与える。若しくは、別の場所でもいわれていたが別の場所から情報を持ってくることも重要だ。そしてスキルを棚に上げてとにかく作ろうとしているサイトについて議論したり、プロトタイプを出していく。これらが本当の「デザイン」のあり方なのではと思う。

もちろん、スキルの全面的な支配が悪いことばかりともいえない。人同士のマッチングには非常に効果的だ。それを鑑みても、デザインが重要な役割を占めるこの業界では、一度これを棄てる必要があるのかもしれない。

最後に、おおもとの「必要となるスキルが多すぎる」について。これは体系が巨大になりすぎて既に一人一人の手に負えないものになっている証拠だ。何がWebかわからないと同時に、何がスキルかさえもわからない。記号の体系は大きくなることはあるが、小さくなることはない。登場したら消えないのだから。ひょっとしたら見ている間に「スキル」なんて言葉使わなくなるかもしれない。そして彼らは圧倒的なリアリティに晒される。