障害が辛いのでそろそろ社会人人生は終わりか

健康保険組合傷病手当金の申請の際に、どうやらかなり重い病状であるらしいという扱いを受けてから、自分の障害の辛さに気づいてしまい、そのことばかりを考えている。

発達障害及びPTSDは様々な症状の出方があるが、
私の場合人の言うことを文字通り受け止めてしまう特徴が一番人生設計を困難にしている。

 例えば3人のチームで私が客観的に見て進捗を出している方なのに、「niryuuさんはがんばってください。他の人はこれまで通り続けて下さい」と言われると、解釈としては「他の人が遅れているけど君は進捗を出せているから今のところは支えてくれ」ということになるのだが、他の人が順調で私がだめであるというような感情が残ってしまう。
 また、根拠を示して無理だと言ったことを「やってくれないと困ります」で押し切られると、本来は調整が必要なのにもかかわらず「無理だとわかっていてもやって、自分が責任を取らないといけない」というようになってしまう。
 さらに、「この範囲でやったことではこの結果しか出ないので、限界がある」といったことをやって、納得行かないが認めるしかない結果が出て、事情を知らない人が見て「全然ダメじゃないか」と言われたことがある。結果は出た。進捗はあった。それはわかっている。しかし、やはり私及び私の成果物は「全然ダメ」だと思ってしまう。

 普通の人はこういったことを「聞き流す」もしくは「気にしない」。私だってそうしたい。しかし、脳のレベルでこれらは固定され、増幅され、悪い心象が残ってしまう。そんなことの連続に耐えられず、2度めの休職をした。もはや、何も言われなくても「誰かが私のことを悪く思っているんじゃないか」というどこまでいっても可能性レベルの気にしなくても良いことを気にしている。
 「どこにいってもそういうことを言う人はいる」「そんなことではどこにいってもやっていけない」確かにそうだ。その意味で、同じような企業に転職しても結果は同じだろう。また、現在社会人院生をやっており、ようやく成果が出始めて研究者になるという選択肢も少しずつ現実味を帯びてきた。しかし、研究者こそ業績が誤解されやすい世界である。正直、やっていけないのではないかと考えている。もっとも、研究における批判は根拠がないとできないので、その意味では会社でのケースとは違うのではないかとも考えている。
 発達障害といえば、周囲といろいろな問題を起こしてしまい、それを解決することが自ら及び周囲の主要な問題となっている。正直それはうまくいき始めているのだが、私とて発達障害なれど一人の人間である。心は傷つくし、それを表に出すことが不得意である。だから一気に噴出してしまった。


 これからどうしたらよいだろうか。もし傷病手当金が1年半降りることになり、失業手当が1年降りることになったら、合計で2年半仕事をしないで良いことになる。しかし、根本的な問題は解決しない。将来への不安しかなく、押しつぶされそうである。
 
こんな状態で5年間頑張った。それを褒めてくれる人はいないだろうが、もう十分ではないか。