(1)Case A, Chapter 1(途中)

Case A Killer: The Game of Assassination

最初の章の前に、暗殺者になって人間を殺すゲーム「Killer」のケース。普通の生活を送りながら、ターゲットを尾行して、情報を集めて、様々な手段で殺す。また、自分も誰かに狙われている。

ルールはこんなところ。

  • 審判員は、各参加者に、ターゲットの参加者を一人割り当てる。
  • ターゲットの写真、名前、自宅の住所を与えられる。
  • 水鉄砲、プラスチックのナイフ、酢(毒)、目覚まし時計(時限爆弾)などのおもちゃの武器を使って殺す。
  • ターゲットを一人殺したら、ターゲットのターゲットが新たなターゲットになる。
  • 最後に残ったのが勝ち。

ということで、これはデジタル技術などを使っていない、いわゆるサバゲーである。ルーツはよくわからず、80年代にSF映画マンハントが描写されたら、大学生がキャンパスで真似を始めたのが最初のようだ。口コミでゲームの情報が伝わっていくうちに、沢山のルールができている。

Killerが長年にわたって流行している理由は、シンプルなルールのため、どこでもゲームができ、場所によってルールを作り替えられるためだ。クリエイティブで派手、演劇風の暗殺が推奨される(密かにおもちゃのクモを靴に入れるなど)。基本的に審判が許すなら何をやってもいい。ただし、本当に問題となるようなことを避けるために,スポーツマンシップ公序良俗は重要である。

Killerはゲームの境界を、普段生活している環境、もの、人を利用することで破壊する。日常生活に遊びを持ち込むとともに、遊びをするために現実に行動をしなければならない。

Killerには、様々な要素を追加できる。ロールプレイと物語を導入して社会性を高めたり、ネットを通じてターゲットの情報を詳細に提示することもできる。Cruel 2 B kindはその一例だ。

Chapter 1: ゲームとPervasive Game

まず、今までの「ゲーム」とは何かについて議論している。ゲームに関する研究でよく聞くホイジンガ、カイヨワから、ゴッフマンまでが提唱する様々な概念の比較をしているが、Pervasive Gameと比較する上で、Salen, Zimmermanの「magic circle」という概念だけを要約する。これは、

  • 普通と遊び、現実と冗談を区別するものだが、その境界は決まったものとは限らない。
  • 対立と勝ち負けがあり、それを決めるルールがある
  • このため、カイヨワの定義では自由なPaidiaではなく、規則のあるLudusである
  • 一種の契約であり、その中では外の動機や個人史は関係ない。また、特別な意味を持つ

ようなものである。

Case Aで見た「The Killer」は、magic circleを揺るがしている。プレイヤーがいつどこにいようと、ゲームは続いていく。遊びの楽しみは日常生活から生まれ、他のプレイヤーと秘密を共有し、目撃されないようにする。この、既存の時間、空間の境界を破壊する点が、普通のゲームとPervasive Gameの大きな違いだ。

この本では、Pervasive Gameを以下のように定義する。

Pervasive Gameは、Magic Circleの契約を時間的、空間的、社会的に拡張するような、一つ以上の特徴を持つゲームである。

Pervasive Gameの定義には、文化的なものと技術的なもの(コンピュータを常に使える環境を利用したゲーム)があるが、ここでは文化的な定義を用いる。

Pervasive Gameは契約だが、既存の空間、時間、参加者に縛られず、そのどれかが拡張されており、普通の生活と見分けがつかなくなっている。ここからは、このそれぞれがどう拡張されるのかをざっと見ていく。

まず、空間について。コンピュータゲームに見るように、既にゲームは、普通の空間から区切られた空間というものではないが、Pervasive Gameの場合は、普段の世界と同じゲーム世界でゲームを行う。どこに行ったとしてもそこをゲームの世界にでき、実世界の物体や乗り物、特徴などをゲームに用いることができる。ゲームに使う道具はトランプなど特別なものではなく、携帯電話や水鉄砲、その他使えるものなら何でも使える。
ここで言う空間は、もちろんサイバースペースにも拡張される。掲示板やVRでやってもかまわない。AR:拡張現実感を使ったゲームなどはその最たる例で、物理的な世界でのゲームの可能性を広げてくれる。

次に、時間について。今までのゲームは途中でやめたり再開したりでき、日常生活と平行して行われていた。しかし、Killerのように時間が拡張されたゲームの場合、常にゲームから降りることはできない。睡眠中や会話中もゲームは続き、「ちょっとタンマ」は存在しない。

(註:たまごっちとかそんな感じかな。あとDSのすれ違い通信とかもそうかも。)

最後に、時間、空間の垣根が取り払われたら、ゲーム外の人間もゲームに影響することになる。プレイヤーに関わる人はmagic circleの中に入ってしまう。Killerの場合は傍観者にばれないようにしなければならない。

さらにすごい例では、invisible theaterは、公共空間でドラマと銘打たないで演技を行うことで、外部の人間を巻き込んでしまう。また、dark playではプレイヤーがプレイをしていること自体を知らない。どちらでも、メタコミュニケーション的メッセージが、彼らを普通でなくしている。

遊びは自発的で人工的なものなので、傍観者はそれに縛られない。それが、彼らをゲームを面白くする要因にするので、それはデザインにも有効である。気づいていない参加者は、自発的でないためプレイヤーではなく、日常生活の領域に属しており、プレイヤーの行動を現実のものと見なしている。また、彼らは遊び心がないため、Killerのプレイヤーを警官が見たら捕まってしまうかもしれない。