縛っている物を解き放ったところで何があるのか?

ポジティブ教について
http://d.hatena.ne.jp/gotanda6/20080114/positive


私の年齢からして、直感的に
「ああ、これは就職活動の謳い文句そのものだな」と感じた。
それに疑義をはさみ続けているわけだが、
この辺の自己啓発には決定的に足を引っ張る部分がある。


それは、「本当の自分」というやつだ。
自己啓発の考え方では、人は「過去に縛られている」部分があり、
それを解き放つことで本当の自分としてあることができ、
「やりたいこと」を見つけて行動することができる。


さて、ここで問題だ。「過去を完全に捨て去った人間」は、何もできないんじゃないか?
過去が無いということは、物を認識して評価することすらできないということだ。
さらに、何の方向性もないことになり、やりたいことという方向があることと矛盾する。
逆に、過去を捨て去ってやりたいことが生まれるとしたら、
それをやりたいことだと言えるのは過去があるからじゃないか?


つまり、「自分」は生きてきた文脈、状況と切り離すことができないのだ。
その上で、観察して作られたものが「自分」にすぎない。
どちらかというと「自分」はものではなく、個々人の持つ概念なのだ。


これを踏まえないと、記憶、情報をメインにする社会ではうまく振舞うことができない。
情報は、受け取る人間がいないと意味を持たない。
今ここにある情報の受け取り方には、自分の過去が関わってしまう。
結局過去を捨て去ったところで、データの処理に埋没するか
広告などに踊らされるだけなのだ。