さよなら Mac

Mac を捨て、 Thinkpad に移行しようとしている。おそらく完全にさよならするわけではない。しかし、フェードアウトしていくのだろう。

Thinkpad と私

 高校時代、初めてバイトの給料で買ったのが中古の Thinkpad 535X だった。当時から Thinkpad へのあこがれはあり、実際に購入したらとにかくかっこよかった。実機を見てみればわかると思うが、完全に無駄のないフォルムである。出っ張りやへこみのない外観、打ちやすいキーボード、そして一杯に広がった液晶画面。「大人の翼」というキャッチフレーズ通りである。

 535X は 2003 年まで使っていた。別にデスクトップはあったのだが、家庭環境が悪く母親に破壊されてしまった。正直性能が厳しいので、Vine Linux 2.6 を入れて運用していた。 apt は 1 回壊れた。 Web サーバを立てようと思い、 Air H" PHONE で外につないでサーバを公開した。電波が悪く 800bps しか出なかった。しかし、私は自分の力で外にコンテンツを発信したのだ。

 次に買ったのは 2004 年の正月で、 600X のジャンクである。これは言わずとしれた最高級機種である。この機種の利点はまさにキーボードに尽きる。外付け、ノート含め 600X を超えるキータッチには未だ出会っていない。ライターを始めた時期でもあり、心強い相棒だった。

 そこからしばらく Thinkpad からは離れていた。母親が亡くなり、人生が厳しくなったため強力なノートパソコンを購入したのだが、結局予算との兼ね合いで DELL の Latitude にした。これは数年使った。

Mac と、 Thinkpad から離れられない私

 私が Macbook Pro を初めて買ったのは修士 1 年の 2009 年である。目的はただ 1 つ、 iPhone アプリの開発である。当時は夢があった。 iPhone のアプリを開発できるという特権的な環境を、どうしても手に入れたかった。ちょうど 13 インチのモデルが出て、持ち運びやすくなった頃である。このMac はまずメモリスロットが 1 つ、次に SATA ポートが 1 つずつと 1 年でどんどん壊れていったが、最後は USB メモリで起動して展示用マシンとして使い、天寿を全うした。

 その後、 iOS アプリの開発のために個人用、社用で Mac は購入、供給され続けていた。正直に言うと、今は iOS 開発はしていない。 Android 、クライアントサイド Web での案件が主である。起業に関わったこともある。しかし、あれは本当にきつく、当時の Macbook Air を「罰 MBA 」と呼称していた。今はもはや、 iOS アプリで一発当てるという時代ではない。しかし、まだ Mac は手元にある。来ないチャンスを夢見て…

 次の Thinkpad を買ったのは 2010 年である。バイトで PHPSNS の開発をしていたのだが、GNU/Linux 環境で検証用の VM を手元でポッポコ立てられる方が捗る状況だったため、 X100e を購入した。これは変な機種で、初めてアイソレーションキーボードを搭載したのと、珍しい AMD 製の CPU を搭載した機種である。そして、DDR2 で 8GB 積むことができる。 VM に 512MB 割り当てるとすると何個も立てることができる。ちなみに Macbook Pro が壊れたので修士論文もこれで書いた。

 X100e は AMD 製 CPU が曲者で、もともと省電力向けの CPU+GPU を搭載する予定が製造が間に合わず、やむなく既存の CPU を搭載したものである。要は熱が出るのである。それ以降の機種ではちゃんと省電力のものを積んだから問題ないのだが、よく熱暴走を起こした。そして 2013 年、ついに熱が下がらなくなった。ありがとう。

 さて、それからしばらく Mac ユーザーをやっていた。今の会社に入社し、Macbook Air 11inchを入社時に購入してもらい、その後 Retina の 13inch が出たから購入し、 3 年も勤めることができたので新しい Retina の 13inch を社用で購入してもらった。その直後、 Air と古い Retina Pro は壊れてしまった。だいたい気づいてきた。私の使い方では、 Mac は壊れる。

 そんな折、「 Thinkpad の中古が異常に安い夢のような店がある」という情報をもらった。私は秋葉原に行き始めて18年経つが、全く知らなかった。そして探し当てた店は、夢のような店だった。覚えておいて損はない。

 その店で Thinkpad X220 を購入したのは、 2015 年 6 月である。いろいろあって博士課程に進学し、社会人学生になったのだが、仕事用 PC と研究用 PC を分けたかったのだ。この世代になると、もはや CPU の性能は最新のものと変わらない。そしてメモリを 16GB 積むことができる。これを購入し、いろいろ改造した結果ベゼルに「 Thinkpad X230 」と記載されているが、中身は X220 である。

 この X220 には致命的な欠点があった。バッテリーがもたないのだ。ただでさえ二足のわらじを履いており、外に出る頻度が増している。また、 Haswell 以降の CPU に慣れてしまうと、それ以前のものが非常にバッテリーの持ちが悪いものに思えてしまう。その事情もあり、結局うまく持ち歩けず、自室専用 PC となっている。

さよなら Mac

 先日、社用の Macbook Pro 13inch 2015 の Magsafe 部分が焦げてしまった。 Apple Care には入っていない。もともと純正の AC アダプタが変な熱を持っていたので、無料で治る可能性はある。また、 69000 円程度のロジックボード交換がかかっても会社が負担してくれるだろう。

 一応普通に使えて充電はできているし、原理上、治せば済む話である。しかし、嫌になった。またか。私は確かに使い方が荒い。しかし、こうも何台も壊れてくれるとさすがに使う気がなくなる。

 そんな折、 Thinkpad X240 のジャンクが例の店に入荷した。一週間前のニュースである。「少量入荷」とのことなので、売り切れている可能性がある。私は急いだ。そして、最後の 1 台を購入した。状態はそれなり、メインマシンとして不足はない。

 X240 には様々な欠点や批判がある。主な論点はこの 2 つである。

  • X220 から X260 までで、唯一メモリが 8GB までしか積めないマシンである: X220, 230 はメモリスロットが 2 つついており、それぞれに 8GB まで積むことができる。 X250, 260 はメモリスロットが 1 つだが、新しいため 16GB 積むことができる。 X240 は古いくせにメモリスロットが 1 つしかないため、 8GB しか積めないのである。
  • タッチパッドがクソ:タッチパッドがボタンと一体になっているため、 Thinkpad 伝統のトラックポイントを使うと、認識がとても怪しくなる。そしてでかいため、指が触れて誤操作の原因になってしまう。
    これについては、 Mac から影響を受けたのではないかと考えている。実際に、タッチパッドのみで使っていると驚くほど Mac ユーザーにとって違和感がない。そこを従来のトラックポイントと無理に合わせようとしたため、中途半端になってしまったと思われる。実際、 X220 を使う際はトラックポイントを使っているのだが、 X240 では全く使っていない。

この他にも、ちょうど同じような境遇の方が Thinkpad X260 について様々な不満を述べている。この記事のタイトルは、当然この方の記事のパクリである。

さよならMac | めがねをかけるんだ

この中からいくつか反論しておく。

  • Windows が使いにくい→GNU/Linux を使いましょう。
  • キーボードが打ちにくい→個人的には、それで Macbook を使って大丈夫なのかという疑問がある。 Macbook Pro でも 2012 年モデルまでは十分なキーストロークを保っていたが、 2015 年モデルは露骨に質が落ちている。 Macbook はさらに厳しかった。もちろん、これはどういった感覚を優先するかによるのだが。個人的には、長文を仕事なり研究で書いてきた Thinkpad は、例えば今この文章を書いている間でも非常に快適である。
  • Wi-Fi の ON/OFF キー→これは私も危惧していたのだが、 GNU/Linux では逆になっており、普段はFキーで、 fn キーを押しながらだと Wi-Fi などの設定になるようである。

 今の Thinkpad には例えば X32 の時代と比べて様々な不満があり、人によって気にするしないはあるだろう。しかしながら、それでも、 X240 は良い。超低電圧版なのでバッテリーも持つ。 Full HD なので A4 の論文 PDF も内容次第だが楽に読める。 VGA 端子も Ethernet 端子もあり、とても便利である。

 そして何より、 X240 の最も良いところは、他の最近の X シリーズに比べて良いところが 1 つもないところである。 X1 Carbon のようなとがった機種ではない。メモリ搭載量では他の機種に、キーボードでは X220 に負ける。そして、タッチパッドは一番ダメ。

 だからいいのである。ブラッシュアップされたできのいいのを使いたければ、そういうものを買えばいい。しかし、本物のマシーンは欠陥があるから愛することができる。個人的には、根本の部分はしっかり安定して動いて、人が触れる部分は欠陥があるのが良い。私は、欠陥のある人間である。欠陥に悩まされていない日はない。そこで Thinkpad X240 に触れるとまずシャッキっとする。  GNU/Linux が起動し、臨戦態勢に入る。そして、快適だが少し引っかかりのあるインタフェースは、自分がこのマシーンを使っているという感覚を絶えず思い起こさせる。そして、自分とマシーンが一体になるのである。一眼レフやクルマの喜びに近いものであろうと思う。欠陥のある人間と欠陥のあるマシーンが inter-act することにより、いつしかその欠陥が融合し、欠陥があるがゆえに人間とマシーンが一体となるのである。

 Mac は対照的なアプローチである。まず完璧なマシーンがある。そして、それが人間を支援し、人間を徐々に完璧にしていく。確かにそれはお利口な方法である。しかし、私は自分の本質的な欠陥を Mac が支援できないことを知っている。だから、最終的には私と Mac は一定以上近づくことはできない。そもそも壊れてほしくないのだが。

 そういうわけで、この先 Mac を使おうが、常に Thinkpad を一定程度使い続けることになると思う。これは感性である。

 はあ、 Genius Bar に行かないと…