29歳での祖母の介護と孤独,終の棲家について

 

ルポ 介護独身 (新潮新書 574)

ルポ 介護独身 (新潮新書 574)

 

 

 今29で,今年祖母の介護に少しだけ携わった.この主題については,現在落ち着いたものの進行形であること,私の心情にまだ強いバイアスがあること,また「そんなに厳しい状況ではなかったのではないか」と言われ続けたこともあり,また親族ともいろいろあったが悪いことは言えない.様々な心情が交錯して書くのをためらっていた.

 そんな折,突然本書が出た.独身の人間がなし崩し的に親族の中で介護をやることになり,自分だけが背負って壊れていく,そういった事例は私以外にもあったのだ.そして,それが起こったら壊れる.そういった状況は,私が今年まざまざと経験したことだった.もしかしたら,私の強いストレス,危機感などの直観は正しかったのかもしれない.そう思い今この瞬間に書き残すことにする.もっとも,あまりうまく書けないかもしれない.

 基本情報として,昨年8月の家族構成を書いておこう.いろいろ崩壊したので過去形と現在形が混ざる.私の実家は祖母の家(アパート持ち)が二世帯住宅で,下に祖母と孫(私)が住んでいた.祖母には1人の息子と2人の娘がおり,息子(叔父)とその嫁は病で病院に入っていた.叔父の娘は3人おり,叔父と嫁と娘1人は近くの家,残り2人は遠くで暮らしていた.長女(母)は私を産んでから18年前に離婚,9年前に亡くなった.私はいわゆる孤児である期間があったが,9日で成人になったので特に何もなかった.次女(叔母)の旦那は既に亡くなっており,その娘は結婚,出産し,実家の二階に住んでいる.基本的に全員働いていた.私は,基本的にダメ人間で,祖母が寂しがっていたこともあり実家に住んでいた.

 私が親族関係の事柄に巻き込まれたのは,昨年の夏のことだった.突如叔父の家の借金が連帯保証人で祖母に降ってきた.叔母や弁護士などと様々なことを話していたが,私はいざという時のために副業をして稼ぐことにした.その後もいろいろあり,叔父の家を売ってしまったあとに退院した叔父を引き取ったこと,叔父の借金について娘3人が知らなかったようで私が不用意に喋ってしまい号泣したこと,叔父の嫁が亡くなったこと,叔父の犬を実家で飼ったら延々吠え続けたため,処分することを私が決定したことなどがあったが,とりあえず昨年末までには落ち着いた.ともあれ,昨年までで一気に実家の事に関わるようになった.私は基本的にリモートで仕事をしており,自宅で開発などをしていたので,昼間動くことが出来たのが幸いであった.

 祖母の調子がおかしくなったのは,年が明けてからだった.元々外に出ていなかったものの家事はしていたが,よく転ぶようになった.1週間後には漏らすようになった.2週間後には寝たきりになった.私は毎週対策を考えた.いつも家にいるようになった.叔母と協力してどうにかしようとした.毎週状況が一転していった.「なぜ病院に連れて行かなかったのか」そのとおりだ.しかし,3時間に1回消息を確認するようになり,頭がまわらなくなっていた.

 2月末,久しぶりに外に出てしまったら祖母が倒れた.低体温で危篤,検査の結果脳梗塞だった.その後,祖母と意味のある会話を交わすことはなくなった.3月末,救命救急センターにいることが難しくなり,病院から退院する準備を整えるよう言われた.しかし,勧められた病院の金額は高く,払える金額ではなかった.在宅介護を勧められた.私は絶望した.これで完全に社会から切り離される.そんな私を助けてくれたのは某区議の方である.良い病院を紹介してくれた結果,在宅介護はないことになり,5月には転院がうまくまとまった.祖母は後期高齢者医療制度を払っていなかったため,その支払計画もまとまった.ようやく家系が落ち着いたのが今月の話である.

 実際のところ,介護生活はどうだったのか.本書で指摘されていた「独身の人間に負担が覆いかぶさってくる」というのは,恐らく正しい.介護でなくても,借金などについても,多くいる親族の中で全体に目を配り,適切に情報を伝えていくという作業は私の役目に近かった.叔母も孫を育てていて忙しく,あまり事務的なことができなかった.祖母の粗相の掃除などの多くは私がやっていた.

 もし在宅介護が始まって,しばらく続いていたら…「もし」と仮定するのは現実にそっていないし,「もしこうなっていたらこうなっただろう」で他の人を責めるのはいちゃもんだ.しかし,最終的に私が相当程度のことをすることになっていた可能性がある.そういう可能性への恐怖はあった.だから在宅介護は全力で回避した.

 次に,社会と切り離される,これもある程度正しい.これは,実家の問題に関わり始めて副業を始めた段階で起こり始めたのだが,それまでの友人関係にもあまり顔を出さなくなり,オープンガバメント界隈でもいろいろなプロジェクトが始まりつつあったが,顔を出せなくなった.どんどん家にこもるようになった.

 そもそも,仕事もうまくいかず,好きだった女性も他の男性と付き合い,これからどう立てなおそうと思っていた時期に,突然親族の問題が起きた.どうしようもなかった.

 また,同世代のほぼ全員はそういった経験がなく(本書では30代後半から50代初めまでの独身介護者に話を訊いていた.私は20代だ),年上でもそういった経験のある人は少なかった.数少ない仲間以外に相談はできなかった.結果,荒れていき,インターネットで誰に当てたものでもない不平を振りまいていた.この記事もその一環かもしれない.

 今,祖母が入院して3ヶ月余,まだ心の始末はついていない.元々引きこもりがちだったこともあり,久しぶりに友人のイベントに行ったりオープンガバメント界隈に顔を出しても,どうもうまく会話ができない.「人に話ができない」経験が続いたことは,今も尾を引いているのだ.

 私のような経験をこの年齢でした人間は少ないだろう.また,私の経験は,何年も続いたものではなかったので,「甘い」との指摘もあるかもしれない.しかし,その「共有されない」思いがいつか誰かに役立つよう,ここに書き留めておく.