恋愛を捨てて美学を追求しよう すぐそこに来つつある21世紀のために

非モテは、ナンパしよう - コウモリの世界の図解

中村淳彦 高学歴中年童貞の恋愛妄想日記<ルポ中年童貞> - 幻冬舎plus

 俺自身女性にもてたことがなく、ナンパを検討したこともあるしその結果クソみたいな騙され方をしたこともある。モテる方法みたいなものを考えたことも、下記事のような人の現状を見るに本当にそれが有効なものなのかと考えたこともある。また、俺も下記事の全諦した人と同じように、何年ももう会えない同じ女性のことを考えていたこともあった。

 しかし、実家の破産と親族が離別して天涯孤独になったあたりから、その辺りの執着がスーッと消え、自分自身の美学というものを追ってみようということになった。美学と言っても大したことはなく、自分の生き様の基本を貫くというただそれだけのことだ。

 「自分の生き様の基本を貫く」というのは、恋愛と両立させることが難しい。正しいことは正しい。善いことは善い。また、それらは議論によってどうにかなる。しかし、美しさ、これだけは折れなければならないのだ。人に合わせないと女性にモテる前提に立つこともできないし、具体的な女性にも徹底的に合わせることになる。そこに生き様はない。

 生き様がある人間同士の会話というのは、つまりこういうことである。

「おお、お前まだ生きていたか。本当にゴキブリのようにしぶといな」 

「まあ色々あったけどな。どうにかなるってもんだ。明日のことは知らん」

「ところで、〜の研究はまだ続けているのか」

「最近はちょっと切り口を変えて、〜という方向性を模索しているんだ」

「ホウ、大分変わったなー。ちょっと突拍子もない感じだが、つまりどういうことだ」

「〜という経緯で、まあこの方法には限界があると感じたんだ。で、〜を」

「ちょっと待て、〜と〜のつながりがよくわからない。説明してくれないか」

「オー、シット、つまりこういうことだよ、〜」

(こんな感じで続く)

「成程、それはセンス・オブ・ワンダーだ。君はやっぱり面白いことを続けているなあ」

「まあこれしかできないってことでね、君はどうなんだい」

 生き様があると、相手を尊敬し合い、相手の話をちゃんと聞くことができる。その結果、豊かな世界が生まれる。尊敬し合える人々が周りに多いと、安心もできる。そういうように繋がっていくとそれは美学と言って良く、それは、恋愛に失敗し続けた時よりも彩りのある世界だ。

 俺としては、そういう人間がどんどん増えて欲しいと思っている。当然恋愛はできないのでこの代でそういう人間は滅びる。しかし、信念と尊敬は文化として生き残り続けるだろう。私たちは、21世紀に美学を残さなければならない。