私の取り扱い方

私は「失礼だ」「何を言っているのかわからない」「怒っている」などと言われる場合が多いです。これに関して、私は安全で、常にメンバーやプロジェクトのことを思っているよということを示します。

私は自分の主張を述べず、代わりに様々な表現を使う

私には自分の考えはありますが、主張はありません。なぜなら、意思決定には「誰が言ったか」ではなく「何が言われたか」が重要であるためです。

このため、私は以下のような表現を用いて、自分の考えを伝えます。

  • 客観的表現:可能な限り客観的なデータと、それに基づく結果を示します。実際に数字などに基づく場合はもちろん、経験則に基づいた、自分がいつ倒れるなどのデータを示す場合もあります。
  • 質問:誰かの言ったことに基づいて、その帰結について指摘します。

基本的に、言うべきことがある場合は客観的表現、ない場合は質問をして議論に貢献します。

私の感情は相手に依存しない

基本的に、私は相手に合わせて感情表現を変えません。それで成功している人は大勢いて、彼らは幸福になっていますが、私は自分の頭のみで勝負したいためです。

しかし、私はとても感情の激しい人間です。成果があったときは恐らく一番喜び、忙しくて寝ていないときは殺気を出します。このため、それに合わせて感情表現が大きく変わる場合があります。できる限り抑えていますが、それでも無理な場合もあります。

一つ、感情が明らかに反映される部分があります。私は、自分の障碍や過去について話したくありません。なので、これを理由に説明などをする場合は、良い表現にならない場合があります。

私は怖いかもしれないが、常にチームや結果のことを考えている

このため、私は脅すつもりで質問をしたり、「もしこうならこうなる」と言っているわけではありません。怒りの感情と、質問や客観的表現は何の関係もありません。どんなに疲れていても、物事を先に進めるために言うべきことは言わなければなりません。それが怖いとしたら、最大限の努力をします。(ちゃんとした客観的表現や質問ができれば、これは問題にならないのですが、私は未熟です)