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そもそもなんでUI/UXを変えるのかについて

hatebu.me

blog.onpu-tamago.net

 面白い話題で、お二方とも知り合いなので私も議論に参加したい。風邪を引いて復帰中の駄文なのでそのあたりはご容赦を。

prerequesties

 ↑を両方読んで下さい。

abstract

 新しい技術なり概念なり使い方が現れてきたならUI/UXは必然的に変わるが、そうでない場合は保守的な方向に向かうのも必然に近い。

私たちにとって「パソコンとは何か」に対する見方は変わったのだろうか?

 論点の骨子は、「OS/情報機器のUIが新バージョンで変化する必要はあるのか」という点であると思う。かたや「使い慣れたものを使い続けたいだろう」ということであるし、一方で「環境が変わりつつあるなら変わるべきだ」という視点もある。

 私はWindows, Mac, Linux(Ubuntu)の最新バージョンを使っている(ごめんなさい嘘です、Macは少し古いです)。しかし、実際のところ私がやっていることにほとんど変化はない。相変わらずVT100にルーツを持つターミナルは常にどこかにあり、ウェブブラウザも常に開いている。ワープロソフトを不満を持ちながら使い、開発環境のatomも洗練されているものの基本的にIDEと柔軟なテキストエディタのいいとこどりをしたものだ。研究やライター業などの執筆環境については、ここ15年全く変わっていない。サクラエディタ(Wineで動かしている)とLaTeX。これが定番。PDFビューワーはそれなりに融通が効くものならどれでもいい。

 この実例で何が言いたいかというと、私個人としては「パソコンで何ができるか」ということの認識に対して15年以上何も変わっていないということだ。そして、それ以上を何も求めていない。執筆作業については、たまに気分を変えたい時にDOSにもどってしまうくらいだ。PC-9800系の暖かみのあるフォント…素晴らしい…というのはおいておいて、正直、使い方、そして何が使えるかという面では何も変わっていないのである。

 かといって昔に戻りたいとも思わない。最近のOSに搭載されたスナッピング機能(2つのウインドウを左右に並べる機能)は明らかに生産性を上げている(あー、Macだけ標準ないと思っていたら、Sierraで搭載されたのか。上げるか)。しかし、これも「タイル型ウインドウマネージャ」という昔からあり、多機能すぎて使いこなせなかったものを簡略化したものと解釈することができる。

 結局求めているものは既に昔からあるのだ。その上で、自分にとって既に快適充分なものをゴチャゴチャいじっていくのは好きではない。その点で、私は齋藤さんに賛同する。

スマートフォンは変わった

 一方で、スマートフォンについて見てみよう。基本的な思想としてデスクトップパソコンのUIをモバイル向けにしたWindows CENOKIASymbian OSの試みは、iOSAndroidにことごとく駆逐された(Windows Phone 7以降については…あれは物凄くよくできてるんだけど、ねえ…)。

 スマートフォンに期待されていることは、パソコンとは時間的空間的に全く異なる。時々刻々とソーシャル・ストリームで人とつながり、その場所に合ったように情報を取得し、発信する。屋外においては、これらはシンプルな形で実現されなければならない。そして、人間が小さいデバイスを手に持っている間の多くを占めるのが「暇」だ。それゆえ多くのシンプルなゲームが復活した。

 こうなれば、「何ができるか」はパソコンとはほとんど異なる。だから、UIも変化の必要があるのだ。そして、それは「パソコンもスマホの要素を取り入れるべき」ということを必ずしも意味しない。これについては次節で述べる。

スマホからパソコンへ」に見られるパソコン観の根本的な変化

 ここで1つ事例を挙げる。たまに若い人間がパソコンを欲しい理由として「スマホとかと違って映像とかをきれいに配信したいじゃん」などというものを挙げているのを聞く。彼らの「パソコン」への視点は私が先に挙げたものとは全く異なる。いや、俺も昔は…いいか。

 ここで言いたいのは、彼らがスマホをベースとしてパソコンを見ているということだ。我々はパソコンのサブセットとしてスマホを見ているきらいがある。こうなると、彼らがパソコンに求めるUI/UXは我々が慣れ親しんだものとは違うかもしれない。例えばタッチ操作がそうだ。タッチ前提で育ってきた彼らにとって、タッチを前提としないパソコンは大きなストレスになるだろう。だとしたら、パソコンもそれに対応すべきだ。だから、Windowsは8以降迷走しながらも完成度を高めつつある。

 もう1つ読み取れることは、例えば私がパソコンを主にドキュメントやコードを書くことから始めたのに対し、彼らは映像から始めるということだ。YouTuberの映像編集の過程を記録した動画を見たことがあるが、あれはあれでドキュメントとは全くやっていることが異なる。従来からの映像編集とも割りと異なる(凝った映像編集ではなく雑なんだが、雑にはフォーマットを統一できるという利点がある)。そしてそれはやってみないとわからない。

 「やってみないとわからない」これが1つのキーポイントであると思う。パソコンをドキュメントやコードを書くものとして見ているとしたら、いつまでもパソコンはそのままであり、またそのままでよい。しかし、パソコンでできることや役割も拡大しつつある。開発側がそれを考慮していることもあるだろうし、それによるUIの変更は「やったことのない」人間には不快に感じるだろう。

結論

 結論としては、パソコンについて昔から同じ使い方をして同じ見方をしてきたとしたら、UIの変化の必然性はない。しかし、パソコンには我々のやったことのない様々なことがあり、また、スマホからコンピュータに触った人々もおり、それらを考慮して設計者はUIを設計しているかもしれない。

 そして、その全てを満たすUIの設計は難しく、様々な人々の「使用」あるいは「使用観」が含まれている。ある意味で新しいUIに人間が慣れなければならないというのは、例えば若者の見ている視点と合わせなければならないということも意味するのではないか。その点で、私は高見さんの意見にも賛同する。

最後に、1つエクストリームな例を挙げる。

 これは、私が全く同じ作業について、新しいUIと古くからのUIで改善を試みた例である。

 最近、スマホタブレットでも論文を書けることを発見した。タブレットの直感的なUIで資料をめくり、スマホevernoteで書いていく。フリック入力は充分に速く、長文も書ける。文字数は体に叩き込んであるので問題はない。そして何より良い点は、ウインドウという単位ではなく「物理的に」2つの環境を自由に移動できることだ。一部の作業においてはこの方がパソコンより生産性が上がる場合すらある。これは恐らくVRなどの情報空間の構成の仕方に近い。

 そして、同じ論文執筆作業において、パソコンとマウス/タッチパッドで追いつかない場合がある。そこで手に入れたのが「トラックボール」である。トラックボールは古くからあり、流行はしなかったものの一部の人々を常に魅了してきた。私はある日直観的に、「これでは頭の動きに操作が追いつかない」と感じ、トラックボールを購入した。なんと驚くことか、ウインドウが、クリック操作が、どんどん変わっていく。こんな世界を見たことはなかった。トラックボール、素晴らしい…

 

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