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俺がフレンズになれなかった理由

長く書いてもしかたがないのでささっと済ませる。

けものフレンズの優しい世界観

 「けものフレンズ」は、最初の2話に至るまでのあらゆる下馬評を覆して2017年をトップスピードで駆け抜けていき、そしてその世界は未だに広がっている。その主な原因として挙げられるのが、人間関係や打算などの面倒くさいことなしに、人の良いところを褒め、それぞれの個性を尊重する世界観だったと思う。そんな簡単なことがなぜ我々にはできなかったのか、この問いは、それなりに多くの人の心を打った。

 「そんな簡単なことがなぜ我々にはできなかったのか」。これについては、私は端的な答えを与えたい。できる。事実、私は人の良い部分を見つける能力に長けていた。そして、高校2年からインターネットのオフ会などで交流をし始め、人と関わる上でそれがとても大切だということに気づいた。人の長所や個性というのは、その人を覚え、関係を維持し、離さないといった、人間関係のあらゆるところに影響する。いろいろな場所に出入りしてきたが、自然と私の周りには人が集まってきたし、それはリアルとネットを問わなかった。

一人だけ優しくても強いものが生き残る

 実のところそれでうまくいくと思っていた。本当に素朴である。仕事にもつながったし、それで食えるのではと思ったこともあるし、恐らく今もそのつてで食えるかもしれない。しかし、様々な弱肉強食の世界の出来事がそれを打ち砕いた。

  • 新宿の某トーク系ライブハウスにおいて、好きだった人がイベントの主催者と付き合ってしまった。私はそれなりに頑張ってきたつもりであるが、やはりガンガン動ける人間、そして自然体で魅力のある人間には勝てなかった。
  • 高円寺の芸術や社会運動の界隈に出入りしており、自分も人を組んで何かできたらと思ったが、10歳くらい上の世代はノウハウも経験もあり、自分が何かできる隙などなく、むしろ邪魔者だった。
  • 大学2年次に入ってすぐに母が亡くなり、両親がいない状態になり、しばらくはそれについて自動的に口から出てしまう状態だったのだが、幸せを謳歌している同世代は「おもんないよ〜」と言うのみであった。

 こういったことが連なり、徐々に私は自信をなくしていった。そして、ある1つの考えに至る。

 

ーー俺は、人の良いところを見つけているのではなく、俺が人より劣っているだけなのではないか。

 

 そして、私を慰めてくれる人がかけてくれた言葉の中に多くあったフレーズがあった。「田島さんは優しいから」。そうか、「優しい」のは、だめなのか。優しさは最終的に良い方向に働くという助言をもらったこともある。また、これらの問題は時間が解決する側面もある。しかし、もはや私にはそれを受け止める余力はなかった。ただだめになるしかなかった。

 けものフレンズに戻ると、ジャパリパークの掟は自分の力で生きること、自分の身は自分で守ることだということが1話で言われている。私にはそれはできなかった。

弱肉強食の世界からも降りた

 この状況を打破する一つの方法がある。私を潰した人々のように、強くしたたかに、人を踏み潰しながら生きることだ。しかし、私はその方針を「嫌」だと感じた。それは、他の「優しい」人間を潰すことにもなってはしまわないか。自分がやられたから人にも不幸になれというほどには、私は悪くなりたくはない。

 結局折り合いがつかず、厭世的になって今に至る。その点でコンピュータ系の技術者というのは技術だけやっていればある意味でどうにかなるし、大学院というのは社会と距離を取るのに適した場所だ。

 かといって、コミュニティなどで人と関わることを辞めたわけではない。確かに去ったコミュニティは多くある。しかし、新しく関わった人々も多い。そして、微妙に独自の地位を確立することがある。私は「優しく」なる気はないが、普段の会話の中で、無意識に人の長所や個性について言及しているためかもしれないし、事実そうしていると思うことはある。相談などにも基本的には乗る。

 まあそれらも全て、「俺が人より劣っている」ということを前提としてのことだ。これについてはこのブログを読めばおわかりいただけると思う。2010年頃から「俺はもうだめだ」というのが口癖になり、数年後に出たOLYMPUS OM-D E-M5(愛機である)にちなんで OMD と略している。

結局何が正しかったのか、そして世界ダメ人間選手権へ

 ここ10年で、私の「劣り」は相当の域に達してきたと自負している。多くの人と会い、その全員から長所を引き出し、そしてそれを全て「自分の劣っている点」にしてきた。相当に「劣り」は強くなっていると思う。はっきり言って私に「劣っている」という観点で勝てる人間はそうそういないのではないか。

 そして、私はこの信念に疑いを抱いてもいる。本当に劣っているだけの人間だとしたら、なぜ今まで生きてこられたのか、そしてなぜ「自分の劣っている点」がさらに増えるだけなのに積極的に人と関わっているのか。私はそれを素直に受け止めるほどの、つまり自分が劣っていることをやめるほどの度量がない。

 だから、俺より劣っていると、俺を打ち負かすことのできる本物の駄目な人間を探している。そのために、世界ダメ人間選手権を開きたい。ダメ人間というのは、生死に直結し、生き方でもあるという点で「武道」であるといえる。基準が曖昧なのでルールなどは一切ない。その試験的なことを、今月の25日に行う。我こそはと思う方はぜひ参加されたい。

https://www.facebook.com/events/261113414356006/