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デジタル・ヒューマニティーズと野生の研究者について


デジタル・ヒューマニティーズ(デジタル人文学、人文情報学、etc...)がよくわからない人のために - 変更履歴 はてな版

 この記事を読んでちょっとモリってきたので書く.俺のデジタル・ヒューマニティーズへの関心が強くなった.というのも,デジタル・ヒューマニティーズの促進により人文学分野での「野生の研究者」の登場が予測されるためだ.

 私はオープンデータに少し関わっているのと,だめな人間で,数年以内に社会への不適合を起こしてしまうかもしれず,その後楽しく生きるために人文学資料を使って何かしたいと考えている.

 デジタル・ヒューマニティーズ本体の解説は上記記事に譲るとして,デジタル・ヒューマニティーズと野生の研究者の関わりについてどういった方向性がこの先望ましいかを,事例を交えながら考えたい.なお,恐らく上記記事とは相当にずれた主題・内容となった.

オープン・サイエンス - 野生の研究者の試み

 使う資料やテーマ,研究の質などの差はあれど,大学や研究機関などに所属せず,研究を本職としていない人(野生の研究者)が何らかの「研究」を行うケースは増えているように思う.伝統的には哲学・数学ではそのような人々が相当程度の貢献をしているし,近年では公開データを用いた社会分析,デジタルアーカイブを用いた文献調査,オープンソースによる情報科学の成果と実践の接続など,非常に広い分野に渡る.

 これらの広い意味でのオープン・サイエンスの試みの目指す方向として,研究機関が今までやってきた営みをオープンにするという方向性があるだろう.資料(オープンデータ/オープンソース),論文(オープンアクセス),教育リソース(MOOCs, OCW)などは,大学に行かなくても大学などの研究に参加できる可能性を秘めている.最も,まだ可能性に過ぎないのだが.

 しかし,オープン・サイエンスは本当に研究機関を拡大したり,引き継いだりするようなもので良いのだろうか?というのも,オープン・サイエンスに関わる人々が非常に幅広いためである.

  • 知識:大学・大学院の学位もしくは同等の能力を持つ者であるか,それとも独学でやっていっているか
  • 質:査読に耐える特筆すべき知見を目指すか,それとも既存の研究を自分でもやってみるか,ブログに載っける四方山話にするか
  • 動機:研究機関で認められる業績をあげるか,自己の研鑽か,進学を目指すためか,専ら個人的な興味によるものであるか

 主な軸としてはこのようなものである.要は大学などが「何のために」「どういう知識の体系において」「どういったアウトプットを出すか」というのは,制度的・慣習的にかなりの制約を受けている.一方,そうでない人(大学にいながらたまに好きなことをしたい人なども含む)にとっては,この制約は気にする必要がなく,もっといえば気にすべきものでないのかもしれない.

 要は,研究の資料がオープンになることで,既存の学界と異なるロジックや成果に基づいた,活動やコミュニティの可能性が産まれる.査読に基づくカンファレンスの代わりに酒を飲んで自分の知見を語ったりするようなイメージである.それらは既存の学界と相互に関わることもあるであろうが,基本的に自律することができると思われる.

人文学分野ではまだまだである

 一方,デジタル・ヒューマニティーズ界隈では面白い事例などが共有されているかもしれないが,私の観測範囲では人文学分野でオープンな資料を使った野生の研究者はほとんど見ない.情報科学分野では査読は後回しで出てきた成果をソースや数式でガンガン公開してしまうし,実装されて無くてもすぐに実装される.公開データに基づくデータサイエンス,データジャーナリズムの分野での社会科学的な分析も(これまた玉石混交なんだが)いろいろある.

 しかし面白い記事を上げてはてなブックマークに載ったり,こいつクソやばいなみたいなサイトや成果を見ることが,オープンな資料に基づく人文学ではほぼ無いのだ.もちろん書籍の「引用」などはいくらでもあるが,私があたりたいのは原資料だ.それさえ見ればつながりの可能性が産まれる.もっとも,人文系の人々にとってインターネットがあまり重要ではない,とかコンピュータリテラシーの問題とかつまらない理由も多くを占めていると思う.

山下泰平氏の近デジによる「素人研究」

 山下泰平氏は,ほぼ世捨て人の生活を送りながら近代デジタルライブラリーの文献を大量に読み,明治大正期の知見をまとめたり面白い成果を一般に紹介してゲラゲラ笑っている.私の直観では,ここに未来がある. Computer-Supported 世捨て人とも呼べる彼の男としての生き様,美学は,90年代のサイバーカルチャーを継承し,なおかつ21世紀のWebのスマートさを兼ね備えている.

 私は山下泰平氏がどのような経歴でこのようなことをやっているのかわからないが,彼は独自の方法で近デジの文献探索情報管理・メモ付与など一連の活動をシステム化している.まあこれらのシステムを見れば明らかに研究に資するものであることがわかるのであるが,彼の実際の研究方法については素人研究の方法ニート引きこもりのための350000冊などでその片鱗を見ることができる.

 具体的な内容は本文に譲るとして(徹底的に譲っていきたい),前者では「素人研究」として研究方法や研究分野についてプロの成果を見ることもあるし,一方で独自の出力方法や出力先の確保も提唱している.後者はより具体的で,なおかつ本当の素人に向けて書いており特筆に値する.要は近デジの莫大なアーカイブの使い方であるが,それに訓練が必要であることも言及している.青空文庫で好みの文献を探す訓練をし,アーカイブの探索範囲を絞っていき,徹底的に攻究を行って誰も見ていない成果を出す.それが,アーカイブだけで可能だという筋道を示している.この方法を実際にやってみた人を見ないのが残念だが,まっとうなやり方なのだ.

やっぱ教育にはコミュニティがあった方がいいかも

 といってもだ.大学では,知識を産み出す方法の教育も行っている.そして,それは(正直大学も玉石混交だが)適用可能性の高い方法を提供する.文系の場合,ゼミナールによる実践的な教育が基本となる.理系の場合は少し事情が違い,基礎的な数学・物理学・情報科学などの知識を叩き込み,実験のやり方を教えた上で,ゼミや研究室に移る.

 これらを野生でやることは難しい.特に,デジタル・ヒューマニティーズが可能にする一次資料の活用についてはそうだ.一つの手段として,MOOCsがあり,システム的に非常に頑張ってゼミを再現しようとしているが,私がいろいろ受講した限りではまだ大学には程遠い.各所の自主的なゼミ・勉強会に参加する手もあるが,場そのものが少ないがゆえにテーマが広くならざるを得ず,研究方法を学ぶことには難しさがある.そして,理系の基礎教育は,「高校と変わらないじゃん」という声も良く聞くがその通りで,一人でやると浪人生と同じ苦労を味わうことになる.

 だからこそだ.野生の研究者は研究をしながら研究の方法を学ぶことになる.それには特有のコミュニティが必要だろう.研究成果だけでなく過程までを共有する場である.それは恐らくアーカイブやWikiなどでの知見の集積,記事やコミュニティなどの複合体を中核に形成される.Wikiaにはその片鱗が見える

巨大数

 巨大数は,数学の分野であるが,実際には何の役にも立たない純粋な趣味の分野である.しかし,その基礎には数学の各分野の成果と厳密な数学的証明がある.2chで集まった人々が長年続けていたり,漫画家小林銅蟲による「寿司 虚空編」によって新たな参入者が増えたり,その間に海外でいきなり進んだりと非常に広い門戸があり,当然持っている知識も様々である.脱落者も多いが,少しずつ人も増えている.

 その知識の差を補っているのが,インターネットにおけるゆるい繋がりである.巨大数はペアノ算術,再帰的関数論など比較的数理論理学,数学そのものを構成しているものに近いアプローチをとる.また,その評価の先端では現代集合論の成果が用いられる.この2つからスタートするととんでもないものになるが,なぜか理解が進んでいる.数学では証明の過程が共有可能であるため,これは即ち研究法の共有である.皆それを公開して,見て,互いに教えあう.そこにインターネットによる研究方法の教育の可能性がある.これは数学以外,人文学にも適用できると考えている.

まとめ

 デジタル・ヒューマニティーズが一般に開かれたものになると,人類のクオリティ・オブ・ライフが向上する.対象領域を既存の人文学者に留めるべきではなく,研究の営みそのものも多様化すべきである.一方,そのためには

  • 素人研究の幅広さ
  • 研究方法の教育の不足

などの問題がある.これは各自の活動により解決できると思われる.