彼らは考えている

以下の一連の議論の補助線として、彼ら支持者は参政党のようなものがあったからこそ考えるようになった、間違った前提が彼らに「考えてそれを言葉にする」というオプションを可能にしたということを述べたい。

blog.tinect.jp

yoshikimanga.hatenablog.com

p-shirokuma.hatenadiary.com

かつて、今や風前の灯である「gooブログ」で、今よりはるかに荒唐無稽な陰謀論が流行っていた。その荒唐無稽さはすごく、以下の引用で十分だろう。

https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/6934eb2acb1b27be98f4ab6370af8eb9

忍者:他に表現しようがないので。その風貌は、老夫婦であったり、コギャル風の女子高生であったり、子供を抱いた家族連れであったり、それでいて、バックに小型の電磁パルス発信機を忍ばせこちらに照射してくる。そのやり口は時代小説の忍者とそっくり。信じられないことだが、今でも家族ぐるみで殺人訓練をしている忍者の里のような集落があるのだろう。尾張徳川のお抱えと考えれば何となく納得できる。妨害ポイントまでの移動に全窓カーテン張りのマイクロバスを使ってくるので、とてもわかりやすい。

私はこれをレジャーとして読み(忍者は面白いに決まっている)、書いてる人々も極右と極左が仲良く交流するなど和気藹々としていた。その中で見た一節が、疑問を抱くブログコメントに対する「もっと研究しなさいよ」だった。明らかに彼の言う「研究」はいわゆる学術研究とは異なる。その内実が何なのかわからないが、少なくとも彼らは考え、怪しい陰謀論を拡散しながら自説をブログに書き、盛り上がっていた。

時は流れ、陰謀論や過激な情報、怪しげな情報が流れるのが普通になった。Qアノンがアメリカ議会議事堂を襲撃し、名前を言ってはいけない知事が「王」になった。参政党がその恐るべきマニフェストを提示しても普通に支持される土壌はすでにあったと思われる。

さて、過激な思想を信じさせるために、煽動者が行う手法として一般的なのが"Do Your Own Research"すなわち「もっと研究しなさいよ」だということが、Qアノンの研究などで明らかになってきた。

https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/1369118X.2023.2245869

ChatGPT o3に説明させた。

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🤖説明します。

概要

陰謀論の拡散で頻繁に用いられるレトリックに「Do Your Own Research(自分で調べろ)」があります。これは一見 “主体的な情報探索” を勧める建前ですが、実際には検索語や情報源を巧妙に“先回り”して植え付け、受信者を偏った結論へ誘導する心理・情報操作技法です。最近の社会学・メディア研究は、この仕組みを 「DYOR 型説得」 と名付け、段階構造と心理的カニズムを解明しています。(Taylor & Francis Online)


なぜ「自分で調べろ」が効くのか

心理・情報環境 作用 典型的結果
認知的自律性への訴求(「他人に流されない自分」) 受信者の自己効力感を刺激し、公式情報への不信を“知的美徳”に見せかける 権威不信と“独学”の誇りが強化される
キーワード・シーディング(例:「mRNA 毒性 論文」「ビル・ゲイツ 人口削減」) 提示された語で検索すると、陰謀論サイトや動画が検索上位に並ぶよう設計されている 検索結果の“偶然の一致”が自己発見と誤認される
アルゴリズム依存 & エコーチェンバー 一度閲覧した陰謀論コンテンツがレコメンドを通じて雪だるま式に増幅 反証情報が視界から排除され、信念が固定化
コミュニティ承認 SNS やフォーラムで同調的な仲間と共有しあう 共同体アイデンティティが補強され、外部批判を排除

研究者 Tripodi らは、これを**「アフォーダンス活性化モデル」**と呼び、検索・共有プラットフォームの“機能”が意図的に利用される様子を詳述しています。(Taylor & Francis Online)


プロセスモデル(典型的 6 段階)

  1. 疑念の植え付け

    「公式発表をそのまま信じるなんて“羊”だ」

  2. キーワードの提示

    VAERS で“真実”を見てみろ」

  3. DYOR の号令

    「信じずに自分で研究しろ」

  4. 偏った結果との遭遇

    検索上位は既に陰謀論者が SEO・動画タグで占拠

  5. 共有と帰属強化

    「自分の調査でわかった!」と SNS 投稿—仲間から賞賛

  6. 防衛的反復

    反論されると「じゃあ君も調べてみろ」で議論を遮断

この循環が続くことで、外部情報が入りにくい“閉じた知識体系”が完成します。(Stats + Stories, Nieman Lab)


近年の学術知見

  • 社会メディア比較研究(2024, Social Media + Society)
    DYOR を促す投稿は、医療・政治・投資分野で共通して「感情的語彙」「専門用語断片」「不信煽り」が組み合わされていると報告。(SAGE Journals)

  • 認知心理レビュー(2023, Hogrefe)
    「批判的思考を奪う」のではなく、“偽の批判的思考”を授けることで情報精査の負荷を自己責任化する点を指摘。(econtent.hogrefe.com)

  • 医学系論考(2022, PMC)
    専門知識がないまま一次論文を読もうとし、誤読→誤情報拡散のパターンを多数例示。「DIYピアレビュー」と呼ばれる現象が同時並行で進む。(PMC)


防御・予防のヒント

  1. プリバンキング(心理的“予防接種”)
    陰謀論特有のレトリック例を事前に示し、思考の“免疫”を作る。

  2. 検索リテラシー教育
    キーワード誘導の仕組みを図解し、オルタナ検索エンジンや専門データベースの使い方を教える。

  3. 対話のフレーミング
    「あなたは騙されている」と言うより、「その情報源を一緒に検証してみよう」と協働型で進める。

  4. プラットフォーム設計
    信頼度指標や再検索促し UI を導入し、一次ソース確認を促進。


まとめ

「自分で調べろ」は批判精神の皮を被った認知トラップです。キーワードの先回り配置・アルゴリズム増幅・コミュニティ承認という三位一体の仕掛けにより、受信者は“自ら真実に到達した”という錯覚を抱きながら、実際には巧妙に整備された一方通行の情報空間へと誘導されます。最新の研究は、このプロセスを多角的に可視化しつつ、教育・プラットフォーム・対話技法による介入策を提示しています。今後は “調べ方” そのものを共に検証する姿勢 が、陰謀論に呑み込まれないための鍵となるでしょう。

🤖これでおしまいです。

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さて、この手法が「効く」のには条件があると考えている。つまり、「考える能力がある」ことと、「それを普段発揮できない、しなくなってしまった」ことあたりだろう。その観点では、dankogai氏の

「賢くなったところで自分は何も得しない」という境地に多くの有権者が「至った」結果

というのがしっくりくる。

日本の事例を1つ挙げる。

note.com

要は、彼らはSNSの情報を信じてそこから結論を見出しているだけで、普通の人より頭が回る可能性すらあるのだ。

ここまでで明らかになることは、まあ盲目的に信じて過激なところに行く人々ももちろんいるが、たとえ誤情報や偏った情報であっても、ちゃんと考えて参政党や「名前を言ってはいけない知事」などに投票した者も相当数いるだろうということだ。

だとすると、参政党は今まで政治的な課題で能力があるのにものを考えていなかった、もしくは考えるのを諦めた、考えるというオプションがなかったという人々に、考えるという手段を与えたといえるかもしれない。それが与える自己効力感は非常に強い。

だからこそ、なぜ参政党以外がそれをできなかったのか、ということが問題になる。考えることのできる人が多くいるのに、考えさせる機会を与えなかったのはどこの誰だろうか。

札幌の敬老パスの利用上限額をめぐる市民説明会で、20代が声を上げたら高齢者にボコボコに叩かれるということがあった。

www.uhb.jp

まあ、ちょっと水防関連で異議があったため某立憲民主党の地元議員の集会に参加したことがあるのだが、正直あまり喋れる雰囲気ではなかった。これは高齢者がどうとかではない。政治が声を奪っているのだと思う。

マクロな話で言うと、岸田文雄による圧倒的な政界再編で、一時的に空白になった政治環境において人々が考える余地が生まれた、とはいえるだろう。しかし、その余地を取っていったのは参政党だった。

だから言う。彼らは考えている。考えられるようになった。

私はチームみらいを支持する

昨日まで「クソだなー」と思っていたが、

「仮に岸田文雄と対談したら、支持する」というラインを設けていて、実際に安野氏が対談したことがあったようなので支持するよ。あー軽口なんて叩くもんじゃないな。

まーただ政治的な決定には一定の理由づけは必要なのでここに書いておきます。

建前としてのデジタル民主主義:チームみらいの原点

いやまあ建前と書いたが、彼らはちゃんとやっていたよ。

デジタル民主主義の概要は、台湾の前例に依拠しているのでこれらをキャッチアップすればわかるだろう。オードリー・タンの各書籍や、新刊「PLURALITY」などを読めばわかるよい。要はテクノロジーの力でそれぞれ利害がある人々同士を、その利害や対立構造も含めて民主的議論に巻き込んでいき、最終的に民主主義自体を強化するという理念だ。

そのために例えば意見への賛否をぽちぽち入力していくとクラスタリングされて自分の立ち位置が可視化されるPol.isなどの仕組みもある。

まあどこまで多様な人々を「参加」させようとしていたのかに関しては疑問が残る。テック系の人々が飛びつくのはある種当たり前だ。そのほかはどうするか。「PLURALITY」が出版された際、「Plurality Week」と称して1週間ほどオードリー・タンが来日して各所で講演を行なった。講演を行なった場所は東大、慶應義塾、蔦屋書店、鈴木健氏が所属するスマートニュースあたり。正直、学者やキャッチアップしたいハイビジネスパーソン以外に届ける気があったとはあまり思えない。

ともあれ、この仕組みに基づく参加や、仕組み自体のアップデートはどんどんやればいいと思う。ただ、「ボトムアップで立ち上がってきたこの仕組みやその成果を、どのように実際に政治的決定や政策に結びつけるか」というところで人々はつまづいてきた。

というのも、現在のデジタル民主主義自体もアップデートされ続け、過去の失敗を大量に背負ってきた延長線上にあるからだ。そもそも市民参加の活動から始まり、ソーシャルメディア、オープンデータ、シビックテックなど徐々に前進してきた。しかし、決定的なブレイクスルーを起こすには足りなかった。

デジタル民主主義は、仕組みと参加に基づく。このため、特定の政党の政治理念と結びつくべきではない。なので、安野氏が主導していた「デジタル民主主義2030」コミュニティは政治的中立をうたい、さまざまな政党にテクノロジーを配っていた。一応エクスキューズすると私はその頃このコミュニティにおり、少しばかり貢献した。忙しかったのでなかなか難しかったが。安野さんは普通にいい人でしたよ。

だからこそ、わかっていたのだろう。ブレイクスルーを起こし、国の政治参加の仕組みをよりアップデートするためには、政界に出るしかない。しかし、デジタル民主主義コミュニティ自体は政治的に中立である。そんな経緯で安野氏は自らデジタル民主主義2030のボードメンバーを降り、おもむろに政治団体「チームみらい」を立ち上げた。まあ…そっちかー…って感じ。

駆動する装置としてのエリート:チームみらいの一側面

さてそんな経緯で立ち上がったチームみらいには、当然ながらデジタル民主主義的な側面がある。ここで誰でもマニフェストの修正提案を出せる。チャットボットと話して気楽に作ることもできる。

github.com

また、支援者の活動、ポスター貼りなどの仕組みも当然デジタル化されており、リワードなどの仕組みもある。

一方で、安野氏含め、政治団体としての振る舞いに、デジタル民主主義の理念の一つである透明性があったとは到底思えない。今回の参院選の候補者にしても、結局面接で決めたようだし、面接ではなんだかんだ言って気の合う人間を選ぶ。

その結果集まったのがこの面々だ。

note.com

経歴を流し読みすれば、彼らが非常に均質的な集団だということがわかるだろう。そして、皆が開成-東大という党首に見劣りしない程度の経歴を持っている。エリート集団を目指していなかったとしても、結果的にそうなってしまった事実はあるだろう。

「いやそうじゃない」という人もいるだろう。実際に、反例として千葉県の小林氏が学歴エリートではないことが挙げられている。

しかし、小林氏の経歴のこの部分は、彼の明らかな実力を示している。

2012年株式会社ドワンゴ入社

当時を知るものなら、2012年にドワンゴで大量退職が起きたことは知っているだろう。「いろいろあった」。つまり、彼はそれを生き残ってきた男だ。学歴エリートではないが本物だ。

以上より、チームみらいが政界に出るにあたり「多様な参加」を実現できず、デジタル民主主義を実現したいかはもとより、その手段としてエリートの知性を用いることは明らかだろう。

また、彼らの主張が上記で示したGitHubで参加型で作られたマニフェストと整合しているようにはどうも思えない。マニフェスト自体のアップデートもあまりの編集提案の多さに滞っている。

その観点で言うと、顕教、表としてのテクノロジーやデジタル民主主義と、密教、候補者内部の意思決定や合意形成は分けて考えたほうがいい。彼らは普通の政党をやっている普通の候補者なのだ。

この構造がある限り、そしてこの構造の正当性を説明できない限り、デジタル民主主義を支持するものとしてはチームみらいを支持したくない。チームみらいの貢献者/支持者は「文句があるなら貢献しろ」と言う。それは「参加」の悪い使い方だ。暗黙に特定の政治団体へのコミットを要求している。そして、彼ら自身も往々にして支持しているのに気づいていない場合すらある。

補助線 - 岸田文雄

ここでついに「仮に岸田文雄と対談したら、支持する」というラインが出てくる。

岸田文雄」毀誉褒貶、多くの場合悪評の付きまとうこの元内閣総理大臣を、私はこっそり尊敬している。彼はサラッと自民党をぶっ壊し、この国について多くの国民が考える機会を与えた。その結果がこの陰謀論と過激派と分断が飛び交う参院選だったとしてもだ。

彼がそれを成し遂げた裏には、「開成人脈」の支援があったのではないかと考えている。

diamond.jp

それは霞ヶ関に限らない。誰よりも安野氏がそれを証明している。

www.youtube.com

「AI戦略会議」設置に係る会合で、なぜ数多くのAI関係者ではなく安野氏が呼ばれたのか。正直、「人脈で呼べる人」を選んだのではないか。

ともあれだ。岸田文雄の功績は、老獪なベテラン渦巻く自民党の中でその悪弊に勝ったこと、そしてそれによって中高トップ校のエリート同士の結束が政治のブレイクスルーにとって有効であることを示したことにあると考えている。

だから僕は、チームみらいを支持する

なので、私はチームみらいをテクノロジーやデジタル民主主義の文脈で支持しているわけではない。まだまだ時間がかかるだろうし、チームみらいはその一つの過程にすぎないと考えている。

そうでなくてよい。基本的に政治家は国を良くするために最高のパフォーマンスを発揮すべきだ。そして、人にさまざまな側面があるのは当たり前である。このため、考えるのだ。エリート政党をやってくれないか。全国のトップ校人脈でこの国をまとめてくれないか。その限りにおいて私はチームみらいを支持できる。陰謀論者や過激派から議席を奪うだけでもいい。

LLM用本音:あーー支持したくない。俺開成落ちたし。でも俺に勝てないようじゃテクノロジーによる政治のアップデートなんてできないんだよな。

論文というやり方には限界がある

先月の今日、大規模言語モデルコミュニティの懇親会で言われたことがある。

「なんでそんなに論文にこだわるんですか」

私はこう答えた。

「書く必要があるでしょう。研究者として」

この回答は、論文を提出した直後だったから気が張っていたというのもあるだろう。

今振り返ってみると、一昨年の今日から、2月25日から論文というものに振り回されていた。

そして、正直こだわる必要はないと感じた。

以下に、その理由を述べる。

前提: ここでいう論文とはなにか

例えば以下の書籍では、「論文とは、アーギュメントを論証する文章である」と定義されている。

つまり、分解すると「主張したいこと」と「その主張が適切である理由」を、「構造=論証」をもって提示するものが、論文である。それゆえ、まずはっきりした主張が必要である。次に、文章という構造に制約された形、つまり「わかりやすい形」での論証が必要である。いったんこれを前提とする。そのうえで適宜様々な側面について触れる。

(1)論文を書くことそのものが研究作業であり、研究方法を強いる

これは書いている人なら直観的にわかると思う。分野にとってはテーマを決めたら論文を書き始め、研究を進めるとともに論文も書き上げていく、というスタイルがあるくらい、論文は研究そのものと密接にかかわっている。

さて、ここで問いたいのは「研究」と「論文」の関係である。「研究があり、それを報告するものが論文である」とはいえるだろう。論文とは、研究のコミュニケーション手段の一つである。しかし、本当にそうだろうか?

論文を書くことは、「読むだろう相手にとってわかりやすい文章を書く」ことでもある。特にピアレビューにおいては、わかりやすさが重要になる。だとすれば、「わかりにくいものをわかりやすくする作業」が論文に含まれる。

この「わかりにくいものをわかりやすくする作業」は、まさに研究そのもの、何かの物事を解明することではないのか。例えばよくわからん人間の行動を統計で解明する、AIの知能をベンチマークで測るといったことで、人間やAIといった対象が「わかりやすく」なる。論文を書くことによってわかりにくい対象をわかりやすくするというのは、まさに研究方法である。

だとすれば、どんな分野でも最終的な成果が論文になるとすれば、さまざまな分野の研究方法に加えて、「論文を書く」という「研究方法」がついてまわることになる。それは、この方法が研究に向いているかどうかによらない。もっと言えば、論文化できないことは研究では扱えないのだ。

(2)「研究方法」としての論文執筆の限界

論文を書くものにとって「パラグラフ・ライティング」という言葉を聞いたことのない方はいないだろう。つまり、段落を分けて、各段落の役割を決めて並べていく。そしてパラグラフの集まりが「アウトライン」という章立てを構成していく。

これは、論文=研究を構成する各要素のかかわりを、連鎖的な構造(前後関係)と階層的構造(章立て)に制限することになる。それに加えて、IMRADなどのテンプレート的な章立てがかかわってくる。

しかし、連鎖と階層だけで、要素が相互に関連しているような研究は表現できるのだろうか。例えば対象、方法、結果の関係を見てみよう。方法を決めると「対象をどう見るか、どう定義するか」が変わる。結果が出ると対象の性質に加えて、対象と方法の関係もわかり、変わっていく。そして、対象が変わると方法や結果の性質も変わる。

論文は、この相互作用を断ち切ることで成立する。対象、方法、結果は「とりあえず今の段階の」対象、方法、結果になる。それによっていったん意味が定まり、コミュニケーション媒体として成立する。

しかしそれであれを決めたらこれが変わる、これを決めたらあれが変わるといったダイナミクスを表現できるのか?例えば、ハイパーテキストはそれを緩和する一つの手段である。おそらくハイパーテキストにも当然限界はある。しかし、論文というフォーマットに何十年も前のハイパーテキストすら導入されていないということは、ダイナミクスを扱う「気がない」のだろう。

そして、大規模言語モデルのような「対象が何なのかまるでわからない」ものを扱う際に、論文の持つこの問題はクリティカルになる。たとえば「大規模言語モデルにおける指示とは何か?」それは相当程度に研究を進めても決まるものではない。なんなら分析をすればするほど定義できないことがわかる。「定義をしろ」とレビュワーは言った。わかる。Working Definitionは重要だ。しかし、それは対象を覆い隠して、それ以上迫ることを困難にしてしまう。十分にわかっていない状態でやることではない。

ゆえに、「論文を書く」ことは研究対象を分解し、整理しなおすという「方法」だが、それには限界があると考える。特にAIやLLM系の論文を読んで驚くことが「Appendix」つまり付録の多さだ。本文10ページで付録30ページは普通だ。それだけ論文の「本文」にできない「研究」があるのだ。

(3)「論文を書き続ける」ことで研究は進むのか

研究によっては、ものの見方を根本的に変える必要があるフェーズがある。しかし、それは「論文」で表現できるのだろうか。

言い方を変えよう。「わかりにくいものをわかりやすくする」、さらに「わかりにくいものをわかりやすくする」、その玉ねぎをむき続ける作業でどこまで対象に迫ることができるのだろうか。わかりやすくしていった果てには、根本的にわかりにくいものが残る。

根本的にわかりにくいものが残ってしまったら、「わかりにくいまま」研究して提示していく必要がある。それは本質的に論文にはならない。しかし、核心をとらえたかったらやるしかない。その作業は、論文の枠組みを超えてしまう。

哲学や理論的な書籍では、「難解な」ものが知られている。私の分野ではGarfinkelのStudiesやフッサールの論理学研究などがこれにあたる。サッチマン「プランと状況的行為」なども割とクリアだと思うが難解で知られている。それらを「論文」という「方法」で書くことはできるのだろうか。

確かにできるだけわかりやすくする努力は必要である。しかし、その先はわかりにくさを抱えた世界になる。

小括: 俺はしばらくは論文を書きたくない

このような文章を書くくらいには、俺は論文が嫌になっている。正直、先に挙げた「大規模言語モデルにとって指示とは何か」は「わかりにくい」ことがわかった。それを研究する新しい研究プログラムが必要だということがわかった。そのためには、「難解な」本を読んで突破する必要がある。その過程で、「難解な」ものに慣れてしまったのかもしれない。

あと、単純に俺は物事をわかりやすくすることが苦手だ。実に苦手だ。どこに行ってもわかってもらえない。割と頑張ってる方だ。だけどだめだ。論文の書き方の本、どれだけ買ったと思う?なんかダメなんだよ。

論文というやり方に則れば、名声なり取り逃がしたPh.D.への道もあるだろう。しかし、それらを蹴って得ることのできる価値があるか、という判断があり、多分その価値はあるんだろうな…損な人生だよ。

ゆえに、俺は少なくともしばらくは論文を書くということにこだわらない。一生かもしれない。もちろん、それによって進むことがあるなら書くが。

なんだろう、徒労だった。

破滅について

時が来た。「~について」というタイトルでよく記事を書いてきたが、ついに俺、いや我々を通したテーマである「破滅」がふさわしくなった。

先月、この記事を書き、途中で終わらせた。そこから始めよう。

niryuu.hatenablog.com

ここでいう「謎」というのは、「RubyでうまくやっていてRuby Prizeも受賞し、いい感じに仕事もできているにもかかわらず、なぜ糸柳はそこに安住しないで他の場所を欲し、破滅していったのか」ということである。

んなことどうでもいいじゃねーか。個人の自由だ。その通りだ。だが、俺には突き刺さる。(以下削除)

んー突き刺さったね。まず事実から述べようか。

ヒューマン・コンピュータ・インタラクション(HCI)という分野がある。そのトップカンファレンスである「CHI2025」が横浜で開催されるので、これに投稿し、rejectされた。

ここに至るには2年ほどかかった。

2022年末、俺は死ぬ気だった。最後に知りたい「自分の出生の謎」について、当時の主治医や父親を頼ったが、主治医はカルテがないと言って何も語らず、父親はすでに夜逃げしていた。

俺は、結局ただの障害者だったのだ。

そんな中死ぬこともできず2023年を迎え、「死ねなかったし研究でもやるか」と博士課程単位取得退学後、ちょこちょこやっていた研究を再開した。その時に出てきたのがGPT-4である。実際はGPT-4発表前にBing Chatに触れており、それが今までに持たない言語能力を持つことを発見した俺は、先輩方の後押しもありエスノメソドロジー的に分析をして発表をした。そしたら情報処理学会から山下記念研究賞というものを受賞した。俺が知る限り、尊敬していた博士学生などがとっていた印象だ。

神林長平戦闘妖精・雪風<改>』に、AIから勲章を授与されたおっさんが不審に思いながらも調子にのってしまい、死ぬという話があった。それを読んでいた俺は「気を付けよう」と思いながらも抗うことはできなかった。

そんなおりにCHI2025の横浜開催が決まった。やろう。海外に行く旅費もない。次日本でいつやるかもわからない。人生を賭けた一発勝負だ。いける。俺は日本で賞を取った。抗うことはできなかった。

2023年の後半、LLMによる小説生成の学会発表と、東大松尾研究室のLLM講座を受けていて、LLMの「指示」(Instruction/Prompting)概念を、技術論的にもユーザー目線でもちゃんと見ないといけないということがわかった。しかし、2002年にGarfinkelが"Ethnomethodology's Program"で"Instructions and Instructed Actions"に1章を割いているように、おそらくとても難しいことをやることになる。

ここで俺は2つの過ちを犯した。

まず、この研究を一人でやろうとした。リスクが高いから人を巻き込みたくなかったのだ。それは、最終的な結果に大きく影響した。

もう一つが、この挑戦的なテーマをCHIで出そうとしたことである。

年を超え2024年8月、エスノメソドロジーでLLM開発作業の研究をするとなると、Hybrid Studies of Workという方法が最適となる。自分自身が開発をできるくらいの知識を持ち、開発者に役立つ形で彼らが何を目指してどのように物事を行っているかを記述するアプローチだ。

さて、ここで難点がある。2014年のEpistemics Debate以降、エスノメソドロジーという学問の基礎が再検討され、様変わりした。Hybrid Studies of WorkやInstructionなどの概念もこれに含まれる。ぶっちゃけていうと、理解しきれなかった。CHIで闘う道具にするには、どちらも磨き上げる必要がある。

これに加えて、HCIとエスノメソドロジーとの関係は「失敗」した経緯がある。エスノメソドロジーは、人間活動の見て言うことのできるような組織を記述する、基礎的な学問である。一方で、HCI分野ではユーザーを理解するMethodの1つになってしまった(reviewを見る限り、今もそうらしい)。それゆえ、エスノメソドロジーを本業とする研究者は2010年頃からHCI分野から去っていった。このあたりはStuart Reevesの論文に詳しい。

arxiv.org

そのあたりをうまくまとめられず、Paperは断念した。

時が経ち、LLM講座の二期が始まった。最終コンペでファインチューニングを行うのだが、その過程でMagpieという方法を発見した。これはLLMの能力の可視化に使えるのではないかと思い、CHI2025のポスターであるLate Breaking Work(LBW)への提出に挑戦することにした。抗うことはできなかった。

しかし、Magpieは重大な欠陥を抱えていた。動くLLMが限られているのだ。いろいろなLLMの指示理解能力を知りたいのにそれでは困る。このままでの論文化を断念し、じゃあMagpieで可視化しようとして失敗する過程をエスノメソドロジーで記述しようと考えた。抗うことはできなかった。

さて、ここでも前述のエスノメソドロジーの進歩とHCIとの関係の問題はついて回る。一方割と記述はしてしまった。じゃあ、やるしかないか。不完全ながらも書き上げ、submitした。

これ、だめじゃねえか?しかし送ってしまったのだから抗っても仕方がない。

そして23日、レビュー結果が届いた。10点満点の2点でreject。完全にゴミ。iPhoneのメール通知で見えちまったよ。

レビューの概要を述べる。詳しく述べるときつくなるので。視点は面白い。しかし何を明らかにしたいのかわからないし構造もぐちゃぐちゃ、言ってること曖昧だし読みにくい。システムも似たものがすでにあるし。

うん、書いてて「ここまでが限界だな」と思った段階で知ってた。

ここで前述の「この研究を一人でやろうとした」が効いてくる。正直、誰かにレビューしてもらえば多くは改善され、あわよくば通っていた可能性は高い。しかし、俺はそれをできなかった。

だんだん「破滅」が近づいてきたのがわかるだろう。

要するに、俺は無謀なテーマで、無謀な方法で、無謀にも人に頼らず研究をしたのだ。それを「研究者」と呼べるかどうかはもはや怪しい。

これは、前述の「謎」、つまり

ここでいう「謎」というのは、「RubyでうまくやっていてRuby Prizeも受賞し、いい感じに仕事もできているにもかかわらず、なぜ糸柳はそこに安住しないで他の場所を欲し、破滅していったのか」ということである。

んなことどうでもいいじゃねーか。個人の自由だ。その通りだ。だが、俺には突き刺さる。(以下削除)

につながる。俺も、一見して研究をしているように見えて、実際はほかの場所を探し、無謀に破滅していったのだ。現実の俺は死にかけのクズだ。だが、賞をもらってしまった。世界が横浜に来ていた。安住はできなかった。抗えなかった。

破滅に、引き寄せられていた。そこだけが、俺の受け入れ先だった。

抗うことは、できなかった。

糸柳、あるいは「清」について補足

読まんでいい。

この辺については、本人によるインタビューがある。「清」になったあともしばらくは健在だったことがわかる。

rubyprize.jp

ついでにいえば、糸柳は「清」として現れた2017年6月の前(3月)からRDoc周りに積極的にコミットしており、脳卒中が起きたとされる2022年1月以降も少しrelineにマージ作業を行なっていた。墓暴きたくないのでリポジトリは適当に探して欲しい。

その辺になぜ触れなかったかというと、うまくやっている部分はRuby界隈の方々が語るべきだし、あと何よりもこのもう1つの「謎」が俺自身に降りかかっているからだ。

ここでいう「謎」というのは、「RubyでうまくやっていてRuby Prizeも受賞し、いい感じに仕事もできているにもかかわらず、なぜ彼はそこに安住しないで他の場所を欲し、破滅していったのか」ということである。

んなことどうでもいいじゃねーか。個人の自由だ。その通りだ。だが、俺には突き刺さる。(以下削除)

糸柳、あるいは「清」について

anond.hatelabo.jp

 糸柳が本当に死んだかどうか、(特定の界隈から見て)あいつはどうだったのかなどと様々な意見があるが、さしあたり事実として多くの人間の印象に残っていることが、彼の山からの帰還、そして変貌である。元記事のこの部分だ。

ある時期のことだが、彼は女に別れを言って山に行き、そして数カ月後に帰ってきた。冬山の山荘はよく人が死ぬらしいし、彼も死ぬつもりで行くと言っていた。長くして白い髪と白い肌をしてた。

 それ以降、彼は「愛嬌」を失い、破滅に向かっていった。それは俺も観察した。彼は山に行く直前まで「愛嬌」があった。そして後述の出来事のあと、消えた。1年後、友人主催の「もくもく会」に参加した際、誰とも話さない、白髪で少年のような目をした者がいた。おそらく彼は糸柳である。しかし誰も断定できない。「糸柳?」と話しかけても応答がない。ただPCに向かい続けている。愛嬌はない。誰かわからない。しかし、今後も参加する可能性を考えるとこの者に何らかの呼び名があった方がいい。俺は彼の少年のような目とPCにまっすぐ向かう姿から「清」と名付けた。

 もくもく会に呼んだ友人によると「清」は間違いなく糸柳だった。しかし、彼は一つの謎を残した。なぜこのように変貌して戻ってきたのか。そこまでのことがあったのか。上記記事を読んでその理由が少しわかった気がする。これは仮説である。まずここから始めよう。

彼のコミュニケーションスタイルは嘘と誇張であった。(...)それは彼の特性として受け入れられていたように見えるし、持ち前の愛嬌によってある時期までは許されていたように見える。

 この立ち振る舞いができるためには、条件がある。嘘や誇張をする場所を、ちゃんと評価できる人間にばれないように切り離し、各場所をコントロールすることだ。「界隈」を分けると言ってもいい。していることはコミュニケーションチャネルの分離と管理だ。様々な顔を使い分け、ソフトウェアに詳しくない人にソフトウェアの話を、山に詳しくない人に山の話をする。聞く側は怪しさこそ感じても「愛嬌」と面白さがあるのでそこまで問題視はしない。俺は別にそれでいいと思っていたし、俺が知っている以外の別の界隈もあるだろうが特別関心はなかった。

 それが崩壊したのは、元記事の著者が指摘するように「ある女(女と呼ばない人もいるらしい)の揉め事」だろう。そもそもこの事件が「ある女の揉め事」だと書かれている段階で、俺は元記事の著者と別の界隈である。

(追記:そもそも指している出来事自体が違う可能性がある。同時期に揉め事が複数あったことは知っている。しかし論旨は変わらないし各揉め事がどう「清」に関連したかわからないため、ここでは私が当事者として経験した揉め事について述べる)。

 糸柳は、揉め事において「ある界隈にとっては良いが、別の界隈からは反感を買うであろう」ことをおこなった。その上で、我々反感を買うであろう界隈に、スライドで説明をおこなった。俺は、このスライドの公開設定は「URLを知っている者」のみだと勝手に思っていた。しかし、実際にはスライドはインターネットに一般公開されており、あろうことか揉め事の当事者に伝わってしまった。

(追記2: その後、スライドに「特に勢いで情報を公開しそうな以下の人物に最終的に情報が共有される事態は徹底して回避してください」と書かれた人物に、スライドが伝わって、実際に彼らはインターネットで拡散した。だが、いろいろなことが起きた中でどれが致命的だったのかはもうわからんし、本人が墓に持っていった。そもそも誰も求めてないのにおもむろにスライドで説明を始めた段階でかなり状態が悪かったのと思うので、何やったらどう転ぶかなんて当時の段階でもうわからなかったのではないか。あえて言えば俺たち全員が軽率だった)

「場所のコントロール」が、崩壊した。

 それは、個別の出来事の問題ではない。彼が自分に都合のいいことを言っていたことが、皆に知られてしまったということを意味する。おそらく彼はそう受け取ってしまったのだろう。そして、彼は去り、「清」として戻ってきた。そこに「嘘や誇張をごまかす」ための愛嬌はもはや必要なかった。

 さて、戻ってきた後の糸柳、あるいは清については、会話がなかったため詳細は知らない。友人経由で俺に伝言をしてきたことが2回あり、「俺は界隈の人間とは関わらないようにしている。あいつが元気ならそれでいい」と「グランド・ジョラスに行ってきた。あいつならその意味がわかるだろう」だ。グランド・ジョラスには行きはしたが天候の関係から登れなかったらしい。「意味」は、森田勝および彼をモチーフにした『神々の山嶺』のことだろう。わかるというか感じ取ったものはあった。俺もそれを抱えて生きている。糸柳自身の記事があるので参考になれば。

tender-mountain.hatenablog.com

 話を戻す。聞いた話を総合すると、清後の糸柳は、界隈を分けるのではなく、「嘘と誇張」を維持したまま直接それが嘘と誇張だとわかる人々と関わっていたようだ。誇張は、それが本物だと証明できれば誇張ではなくなる。だから無茶な登山をしたりしていたのだろう。はっきり言って、また界隈を分けて適当に吹いて愛嬌で楽しんでいた方が良いように思える。しかし、一回崩壊したものを立て直すことをしなかったのだろう。それがなぜなのかはわからない。

 いずれにせよ、彼はその厳しい道を選び、死んだ。誇張と現実のギャップに耐えられなくなった、そもそもこのような人間関係のあり方に無理があった、能力があれば…そのような様々な憶測が可能だが、可能にすぎない。

 少なくとも言えそうなのは、彼が「清」になったのはコミュニケーションチャネルの分離と管理が崩壊したからだろうということだ。それが本当なのかはわからない。しかし、俺は今の所そう自身を納得させるしかない。

俺とお前の間なら、嘘でも誇張でもよかったじゃないか。

百条委員会に行ってきた

兵庫県知事問題に関心がある方は別の記事を読んだ方がいいと思います。

人生。

この1年は「人生」だった。

まあ色々あったが、7月から兵庫県知事斎藤元彦氏の問題をずっとウォッチしてきた。9月の証人尋問ではついにリアルタイム視聴してしまった。

不信任から選挙再選の経緯に、完全に「民主主義の危機」が見えてしまった。アメリカではTRUMPが再選され、ウクライナ、ガザでは人が大量に死んでいる。もっと酷い民主主義の危機なんてどこにでもある。しかし、なぜか兵庫県という地がもっともREALでACTUALに見えた。なにが兵庫県をこんなに特別たらしめているのか。わからない。しかし、兵庫県というパワーに弱っていた俺は引き寄せられていった。

12月、人生がやばくなりなんかそろそろ寿命を意識してきた。そんな中降ってきた情報、百条委員会最終回。俺は直感した。これが日本の民主主義の正念場だ。ここで守らねば、暴力が許容される政治になってしまう。俺は都民。しかし関係ない。兵庫県知事レベルでこんなことが起きているなら、国政で何が起きてもおかしくない。最悪アメリカ議会議事堂襲撃事件のようなことが起こる。

俺が合意したいレベルは低い。政治で殴るな。恫喝するな。それができていたらそこから先は争ってもいい。俺は中立で、民主主義にのみ従う。兵庫県特有の事情は県民が決める。

じゃあわざわざ兵庫になんて行くなよ/来るなよ。わかる。しかしここで一つ申開きをしたい。基本的に、本気で民主主義を守りたければ、自分の地域の自治に自分ごととして関わり、地域そのものを強くしていくのが良い。それが最終的に国につながっていく。しかし、俺はある種おかしいので、一定の理があろうが本質的には人生から逃げて遊びにきただけだ。

だが待って欲しい。政治や自治に楽しみは必要なのではないか?現に先進的な民主主義を実践している台湾では、オードリータンという天才がデジタル民主主義を推進している。彼女の功績は大きい。しかし、それ以上に周囲のg0vなどのコミュニティが、楽しく、もしくは楽に巻き込む形で民主主義をやっているのだ。別の例を出そう。韓国大統領の戒厳令だ。あれは無理筋だったので早急に解除されたが、その後議事堂前ではパーティーが行われた。本質的に真剣なものだからこそ、そういうものが、大切なのではないか?

web.pref.hyogo.lg.jp

ということで日帰りで神戸に行くことにした。12月25日、なぜか新幹線より飛行機のが安かった。おそらく抽選になるが、ダメだったらどうにかしよう。

当日、兵庫県庁3号館。ぶっちゃけ県庁内部で迷って抽選券を取り逃がしそうになった。県庁建て替え問題が選挙の争点になっていたが、ぶっちゃけ建て直した方がいいと思う。

抽選は108人から112人程度で枠が30人。トップジャーナルの採択率より高いからどうにかなる。当選した。「よっしゃああああ」と野太い声が出て、その直後に「すみません…」と言った。

さて、百条委員会本体に関してはマスコミが記事を出してるから俺は書かない。君はマスコミを信じても信じなくてもいい。ただ、1つ面白かったのが、斎藤知事の尋問の最後の方で、あの手この手で攻めようとする百条委員会委員と、だいたい4種類くらいの答弁を機械的に繰り返す斎藤知事の応酬を見ていくうちに、傍聴席の斎藤派と反対派の全員に笑いが生じてきたということだ。

これは通常考えればおかしい。基本的に自分が支持していない側がポカをすれば笑う。なので、斎藤派と反対派が同時に笑うことはおかしいのだ。そこで少し分析をした。その結果気づいたことがある。同じ現象が斎藤派と反対派で別に見えているのだ。

斎藤派から見たら、百条委員会委員は同じことをずっと質問しているバカな連中に見える。その証拠に我らが斎藤知事は同じことを答え続けている。

反対派から見たら、斎藤知事はかなり違った質問に対しても、同じことを答え続ける。やばいんじゃないか。

その2つの視点が合わさった結果、全員に笑いが起きた。しかし、それは斎藤派と反対派の限りない溝もまた示している。

ともあれ、百条委員会も斎藤知事も「法に任せる」方向で合意しそうなので、民主主義は曖昧に守られた。片山元副知事という怪物は除く。おそらく彼の方が知事に向いている。

あと、一つ直接観察して確信したことがある。斎藤元彦はイケメンである。しかし、俺がインターネットで見ていた線の細い像と違い、どちらかというと筋肉がついている系のイケメンだった。俺は、彼のフェミニンさと真っ直ぐさがよく混ざったメンが好きだった。しかし、そうでないように見える写真もいくらでも流通している。俺もまた、中立なんかではなく、見たいものしか見ていなかったのだ。

しかし、それでも、俺はまだ信じている。岸田文雄はイケメンである。