手の障害を乗り越えた

いいニュース。実は手がうまく動かなかったのだが、動くようになった。発達障害の一つの症状として協調運動障害というのがあるが、典型的なそれより重いので身体にもなにかあるのだろう。生まれたときから恐ろしく不器用で、スポーツやテレビゲームなど様々なことに支障があった。ピアノ教室に8年行かされたが、全く両手で引けるようにはならなかった。もちろん仕事でもそうだ。まあ手がちゃんと動かなくても仕事はできる。

これについては諦めてずっと生きてきた。転機になったのが30歳、2015年9月に『アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ』(デレステ)がリリースされたときだ。とりあえず始めたが音ゲー?無理無理。初期のBeatmaniaで諦めたわ。と言ってもいられない。アニメで培われたアイドルマスターのマインド、Pとしての自覚、「担当」、推し、ありとあらゆる理由が私をこのゲームに引きずり込んだ。

最初はひどかった。難易度REGULARでやっと。皆MASTERをやっている。第1回のイベントが始まった。どうなるかわからない。幸いなことに、難易度によって得られるポイントの差はそこまで大きくない。REGULARで回すだけ回した。最後の方はPROの低難易度曲を少し混ぜた。結果は、上位報酬をお迎え。これならいけるんじゃないか。

12月、『Snow Wings』のイベント。この曲には思い入れがあり、ポスターを飾ってある。担当がポイント報酬にいる。ということは、イベント期間のトータルで稼ぐのではなく、イベントが始まった瞬間からスプリントで回し続け、ポイントを最速で稼ぐことが必要になる。そのときはPROを安定して回せるようになっていた。最初の1時間で9位。戦える。戦い続けた。右手が筋肉痛で動かない。REGULARなら譜面によって左手だけで回せるな。そしてついに担当をお迎えした。おぼろげだが33位だったか。上にも下にも戦友が並んでいた。

そんなこんなでMASTERの低難易度曲をやれるようになり(今は無理)、ふと気づいた。手、動くようになってるんじゃないか。医者に経緯を話したら「ええーっ」という感じだが、どうやら相当動くようになったようだ。しっかし動くようになってもなあ…

まあなので、この段階で障害をゲームとアイドルへの情熱で克服したことになる。しかし私は納得できなかった。手を動かすのは、生きるためだ。何かの役に立たないと意味がない。いろいろやってみたが結局ゲームをやることにした。

1991年、6歳のときに始めた『スーパーマリオワールド』は、全く歯が立たなかった。何年かおきに思い出してやるも、多少セオリーを覚えたがいつもバニラドームで詰む。ステージを省略してクリアはしたが、どうも納得行かない。2021年、Switchで省略せず全部のステージをやることにした。バニラドームはやはり難しい。しかし突破できた。その後は割とトントン拍子で、クッパと相まみえこれを斃した。

このゲームのクリアには30年かかった。

さて、先程のことである。狂った親に隠れてやっていたファミコンで、『スーパーマリオブラザーズ3』を2002年に始めた。しかし独特の慣性があり難しく、ほとんど進めなかった。2面あたりで止まっていた気がする。それを、VTuberの配信を見て始めることにした。P羽、雲などのステージスキップは使用せず、しかし「当時」の基準は厳しすぎるのでステージごとのセーブは認めることとした。大人なのだから自分に関わることは自分で決めて腑に落ちるしかない。いや正直7面で駄目かと思った。しかし1ステージに何時間もかけて突破し、今もまだ右腕が痛いが、クッパと相まみえこれを斃した。

このゲームのクリアには20年かかった。

なぜ今日クリアまで強行したかと言うと、「niryuuさんはこの仕事は一番合わない」と言われていた案件をやっており、相当無理をしていてスタックしていたのと、その他諸々うまく行かないので、少しでもいいニュースが欲しかったからだ。何かをやり遂げた感覚が欲しかった。

今回嬉しかったことは二点ある。手の障害が相当程度改善され、他のこともできるようになったということと、ゲームにしても何にしても何十年も諦めなければ達成できることがあるということだ。これは研究についても言えるだろう。諦めないと言いたい。

最後にぼやきで終わる。精神や脳の障害は、生活を送る上で様々な出方をするので、実態がわかりにくい。「本当は障害ではなく個性なのではないか」とある程度学のある人にも言われるが、なかなかそうもいかないということを伝えるのが難しい。しかし、身体の障害はわかりやすい。それを踏まえて、手の障害があったのを乗り越えた経験からすると、

障害なんてないほうがいいに決まっている。