母親が私の悪いところを罵倒するセッションがあった

私は一貫して自己肯定感がない。理由は不明だが、母親との1年間に及ぶやり取りに覚えがあるので一応メモしておく。

あれは2002年頃、17歳のときだったか、母の買って来たジャケットが子ども的な意匠だったので、着るのを断ったら、母の精神の病(本人が「神経精神科」だから精神病ではないと言い張って病名を述べていなかったし、恐らく医師も病名を告げなかったので何かは不明)にスイッチが入り、活発になった。それから「セッション」が始まった。

セッションは毎日1時間から1時間半、休みはなかった。母が私の肉体なり精神なり経験なりを1つピックアップして、それを延々と感情的に罵倒するというものだった。それに時折理想と妄想とジャケットを着なかった話が混ざった。毎日新しい私の悪いところが出てきた。口答えはなぜかできなかった。こんなことが毎日あるのにもなぜか疑問を抱かなかった。嫌になって父方の祖母の家に行ったこともあったが、諦めて帰宅したらセッションが始まった。それが1年ほど続き、ついにネタが切れたらしく、セッションがなくなった。

それからしばらくしたある日カフェに呼び出され、「電磁波でなにかされているようだが、工業高校の知識でどうにかならないか」と相談をもちかけられた。こんな悪いところしかない私に相談をしてくるということは、おかしくなっているし、弱っているのだろう。技術面ではは可能な限り正確に話し、妄想には慣れきっていたので、そこのところは適当にいなした。その2年後、母は亡くなった。

思えば、私がネガティブなことをインターネットに書き始めたのは2003年頃だったと思う。その前は楽しく遊んでいたし、知識不足はあったものの割とポジティブに発言していた。しかし、私は意図的に「セッション」と自己肯定感の低下の関係を直視していない。今これを書いているときもそうだ。医師にもこのことは話していない。

「セッション」は構造的には洗脳に近いところがあると思う。だから、恐らく私は変わってしまったのではないか。しかし、それで性格を変えられたという事実自体を直視したくない。その点で、母にも私にも山上容疑者の叔父のこの言葉が突き刺さる。

常識で考えたって無駄だよ。そういう人間じゃなくなっているんだから。