UoPeopleのMSITとレジリエンスについて

niryuu.hatenablog.com

名誉回復を果たしたのだが、今期(4学期制)に関しては諦めた。

前回問題となっていたのは、ファイルをリンクの形で添付する是非だった。講師はファイルの不備を指摘し、私はコース自体を放棄した。その後、遅すぎる形(次の週の提出期限の後)だったが、添付ファイルの適切さを講師が認め、点数を取ることができた。まずこの記事で言いたいことは、講師への感謝である。のちに正式に連絡する。

しかし、この問題に関しては人生とも少しは絡んでおり、多くの方々と話した。各国の学友、同僚、友人、日本トップレベルの大学の教授から東京のストリート・チルドレンまでありとあらゆる意見を聞いた。

その中で、うまくやる方法やベスト・プラクティスはあろう。しかし、結局自分で決断するしかない。そして、私は私の意志で放棄を決意した。それまでは、前回の記事で書いたように、流される形で入学して、専門科目を受けるに至っていた。

精神的な準備もできていなかったし、そのうち痛い目を見るだろうとは思っていた。痛い目なんて何度も見てきたし、これからも見る。だから、私と講師の間で不備があろうと、まあそれは起こるだろうという感じだった。そして、恐らく私はそれに対してStrongでないほうがいい。そのほうが長期的に続けられ、最終的な学位にもつながる。

痛い目が起こる状況では、レジリエンスが重要となる。コースアドバイザーと学友が述べていたので、私も重要だと思うが、彼らの推奨するやり方は向かない。だとしたら別の態度を決める必要がある。

1つのベスト・プラクティスとしては、失敗しても自分を罰せず立ち直るというものがある。それがレジリエンスだとメキシコ人は言った。それは正しい。しかし、失敗することは自然、衝突や誤解、行き違いも自然、それで凹んだり罰するのも自然、次をできたりできなかったり、やったりやらなかったりするのも自然、そのようなあり方もレジリエンスの1つなのではないか。そうでないと、私がこの1週間で見てきた多様性を説明できない。

だから、私は自分の自然に従った。最善ではなく自然だ。