よくわからないものを生き残らせよう

古くさいものが「自粛要請」によって潰されようとしている。

個人営業の飲食店なんてものはいつかは消えるものなのだろう。また,「新しい人とのかかわり方」を模索すべき,もしくは模索するしかないという考えもある。

実際に,世の中を新しくしようという動きはある。リモートワークの試みはようやく進み始めた。その流れを止めることはそれはそれで嫌で,時間空間に縛られない働き方を許す会社が増えてくれないと最終的に私の人生は詰む。

しかし,新しいことを始めるには余裕なり自由度なりが必要になる。その観点では,既に多くの問題を抱えながらも動き続けてきた今の世の中から,できるだけ人を退場させないことが重要である(蛇足:今のリモートワークもその考え方で推進しないと弊害が多くなると思う)。

そこで問題となるのが,世の中一つの尺度では測れないということだ。金を稼げばいいというものではないし,私自体「恋愛」という概念に固執しており,なんでそんなにこだわるんだと言われると答えようがない。私にも何をしているのかわからない人間が多くいる。つまり,何をすれば「余裕」なのかは明確ではない。

さらに面倒くさいのは,世の中は様々な価値観をもつ人間が絡み合って生きているということだ。全然自分とは違う人々に実は依存しているということが世の中には多くある。今目の前に見えるあらゆるものは私の知らない人間が作っている。

さて,ここで国策を見てみよう。はっきり言ってある業態や文化について潰れるのもやむなしという方向ですべてが進んでいる。しかし,それらが実は必要で,知らないところで自分の生活を支えているとしたら?んなこたないだろうと思う人もいるだろう。違う。答えは「わからない」だ。

世の中のわからないことを排除するとどうなるのか。スマホの修理でたとえよう。例えばお持ちのスマホが壊れたとする。どこが壊れたかわからないが,とりあえず分解していらなそうな部分を適当に引っこ抜いてみる。その結果はお分かりだろう。

実際は世の中はもっとルーズにつながっている。そのルーズさはウイルスが付け込む隙にもなるかもしれない。しかし,引っこ抜いたらどこに影響が出るかなんてわからない。そもそも「お持ちのスマホが」と適当に言えるほどスマホが普及して生活に影響を与えるなんてほとんど予測されていなかった。2002年に初めて「スマートフォン」という言葉を知った私だから言える。逆もまた然り。世の中に何かを導入したら何が起こるかわからないと同時に,何かを突然消し去っても何が起こるかわからない。

さて,今起こっている変化に決定的な主導権を持っているのは何か。まぎれもなくコロナウイルスである。日本や世界における流行が実際どうなっているのか,おそらく数年経たないとわからないだろう。しかし,世の中が大混乱に陥っているのは事実である。

そのような状況下で,何か大きなアクションをとったとする。予測はさらにつかなくなる。その中で感染拡大「だけは」数値指標として明確に抑えられている点で,専門家の能力は特筆に値する。

しかしそれ以外はどうか。世の中の一部がだめになってしまうかもしれない。先に述べたようにただ世の中の流れでだめになるならいい。しかし,そうでない急な理由でだめになったら,世の中にどう波及して,どう良くしていけばいいかさらにわからなくなる。

だから「守り」の姿勢が必要だと考える。はっきり言って私から保守的な発想が出てくるとは思わなかった。コロナ以前からあった店はできるだけ潰れないようにしたほうがいい。コロナ以降だめになった人間は救ったほうがいい。

最終的に店はつぶれ,人はだめになるかもしれない。だが,今それを積極的に早めるべきではない。そのためにどうすればいいか必死に考える。それが本当の「緊急事態」の意義だと考える。