コロナ対策で価値観まで変えてはいけない

普段から家にいる時間が長くリモートワークをしている私にとっては,今回のSTAY HOMEの要請は都合がよく,生活が楽になり行動できる幅が増えている。個人的にはこの流れが進めば働ける機会もいろいろできる機会も増えて都合が良い。出社などなくなれば良いと思っている。

しかし,私はそれを手放しで喜べないし,その主張を表に出したくない。本来家にいるべきかどうかは好みの問題である。そして,家にいるほうが好きな人,外に出るほうが好きな人がいるのは当然である。しかし,今の自粛要請は「家にいるほうがいい」という方に大義名分を与えた。

それと同時に,様々な声に大義名分が与えられた。飲み屋に行くな,酒を飲むな,演劇やライブハウスやクラブはつぶれてもよい,これら1つ1つをとってもコロナ以前は好みの問題だった。気に食わないとしても特に主だって言うことははばかられるようなことだった。しかし,今その声は表に噴出している。

今回のパンデミックは,数年規模に長くなろうとも,一時期なものだ。一方で,価値観なり文化なりは数十年たてて流行ったり廃れたりするものだ。あっという間に塗り替えていいものではない。

だから,「コロナ後」を考えると憂鬱な気分になる。自粛が解除された後も,酒飲みは叩いてもよい,ライブハウスは消えたほうが良いといった考え方は残る,もしくは残るべきだとされる可能性がある。

その一つのキーワードが「行動変容」だ。この言葉は,「行動」のレベルにおさまるものではない。自身や他人の活動についてどう考えるべきかという価値観を決めてしまうものだ。

基本的に「普通の人」は,自分のしていないことに関心がない。どうなってもいいと思っている。自分の身の回りの世界というものがあって,それが成立しているなら他のことは考えなくても生活できるからだ。だからこそ,「行動変容」を自分に影響のない限りで,その価値観も含めて簡単に受け入れるだろう。

実のところ,飲み屋やライブハウスの常連,演劇界隈の人間というのは,そこまで多いものではない。今回のコロナウイルスの件がなくても廃れる運命なのかもしれない。しかし,それを必要とする人々はいるし,演劇でしか自己表現できない人も多く見てきた。

しかし,医者,感染症の専門家,政治家,そして大多数を占める普通の人は,それらを「良くないもの」とする価値観を早急に受け入れるだろう。

それを待ってほしい。今はあくまで「緊急事態」である。例えば銃弾が飛び交う中で堂々と酒を飲む人間はそうそういない。しかし,そうでなくなった後も酒を飲むべきではない,と主張し続けるのは間違っている。長期的には人類は酒を飲まなくなるかもしれない。しかし,それは今決めることではない。

自分が好きだけどコロナウイルスの流行でできなかったことを大事に持ち続け,流行が終わったらいったん再開する。そのほうが「良くない」ものを排除し続けるよりはるかに健全であるように思う。そのうえで,あらためて何が良くて何が良くないかに関してコンセンサスをとっていけばよい。今一部の専門家が決めたものは,緊急事態である現在有効であるが,全ての状況における最適解ではない。