生きる手段としてのインターネットの構想と,その20年

niryuuインターネット20周年記念記事

生きる手段としてのインターネットの構想と,その20年

 

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1999年6月30日,高円寺のインターネットカフェ(現在は中華料理店)に恐る恐る足を踏み入れたのがこの20年の原点だったと言える。

クソッタレな現実のみが目の前にあり,成人してからの生活なんて想像もできなかった。母親の統合失調症が一段落したが,正直長くないだろう(私が成人する12日前に亡くなった)。親戚の借金の情報は常に飛び交っている(まだ未解決である)。私自身も虚弱であり,なおかつなにか脳に障害があるらしい(あった)。とても生きられそうになかった(生きている)。

私はインターネットに全てをかけてみることにした。とはいえ,当時のインターネットには何もなかったので,図書館や本屋の立ち読みで「人々がコンピュータやインターネットにどういった未来を持っていたか」ということを中心として乱読した。ある図書館の007の架は全部読んだ気がする。技術に関する本ももちろん読み,Linuxコマンドの知識などは現在に至るも役に立っている。

図書館の本は少し古い傾向にあるので,まだバブルが終わっておらず,インターネットが具体的に登場する前の,全てを楽観主義と想像力だけで語っていた時代の文献にアクセスすることができた。そのあたりの思想は渾然一体としているので私にはまとめきれない。各自やっていってほしい。当時の私はまだ中学生だったので非常に曖昧に摂取したと思う。

ある程度の知識を得たら,具体的な問題を提起してそれに未来像を描くことができる。私の場合は,「もし大学を卒業する前に路頭に迷ったら,インターネットでどう生きていけるか」だった。その暫定的な答えは以下のようなものだった。「情報はインターネットで手に入るからいろいろできるだろう。しかし問題は職だ。電話には連絡先がある。もし直接の連絡先に助けがなくても,知り合いの知り合いの…と紹介してもらえば何か活路があるかもしれない」。具体的な職種としては,ライターかプログラマー

とはいえ,これも「人を自由にするテクノロジー」という楽観主義と想像力だけの産物だった。どうやって実現するかということについては莫大な作業が必要になる。それを誰がどうやるか。アメリカのドットコム・バブルは私が本を読んでいるときに崩壊した。ビジネスや仕組み作りは当面はできないだろう。ということで技術を学ぶことにした。

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さて,未来は実現した。実際に何度か露頭に迷ったが,ライターもプログラマーもやった。「知り合いの知り合いの…」という高度なことをやらなくても(いや,副業では何度かやった),インターネットで知り合った縁で仕事をして生き残っている。リモートワークで虚弱さも脳の障害もなんとか切り抜けてやっている。世の中の動きとしてはリモートワークを恐る恐る部分的に導入したり,否定的な意見もあったりする状況だろう。その中でお前は特殊だと言われることもある。そんなことはない。リモートワークしかないという気持ちでやっているのだからそうできただけだ。

これは20年間で莫大な作業がなされた結果でもある。もっとも,いろいろ追いついていない。例えば日本国内では法整備は追いついていない。労働関係法規は国際競争に破れた企業と旧来からの働き方を守るしかない労働者側で的の外れた対立が行われている。小さい問題では(私はこれを小さい問題と考えてはいないが)海外携帯電話の持ち込みやSIMロック解除の議論は,2003年に日本国内に海外端末と海外SIMが持ち込まれ,海外のGPRS網に偶然つながってしまった(あれは未だによくわからない)時点から,遅々として進んでいない。

i-0当時,人を自由にするテクノロジーとしてのコンピュータやネットワークの考え方を牽引するのはApple(ここにもはや理想はない)などの大企業や,PARCなどの(当時)巨大研究所だと考えていた。しかし,現在はそれは国際的分業によってなされている。例えばCHI, CSCWなどの国際会議に出席している顔ぶれを見ればわかるだろう。

インターネットは20年前はアンダーグラウンドな場所だったが,今は別の意味でアンダーグラウンドになっている。つまり,「普通の人」が内面に隠し持っていた過激な考え方が容易に表に出るようになってきている。飲み屋で行われていた「あいつなんて死んでしまえばいいんだ」が表面化し,集合的な圧力となって本当の死につながるようになった。「暗黒啓蒙」に凄まじい新しさは感じない。なぜなら,それは前から普通の人が隠し持っていたことだからだ。そして,彼らは本当に一線を越えて過激にならないように「普通の人」を名乗り続ける。

私はこれに脅威を感じる。思想的な脅威ではなく,「インターネットはこういう場所だ」と決められてしまうことへの脅威だ。何の変哲もないところがあってもいい。クリエイティブなところがあってもいい。生きるための場所があってもいい。そして,過激な場所があってもいい。今インターネットに対して「理想」を掲げるなら間違いなくそう言うだろう。

しかし,インターネットは人が集まる場所であり,適切な場所に一定数の人が集まらないと適切なことはできない。例えば生きるための場所を求める人が「インターネットって過激な場所でしょ」と定義してしまい,過激な暴言を撒き散らしながら自分の人生はいっこうによくならないというケース,もしくはかりそめの「生きるための場所」を標榜したところに幻滅したケースは枚挙にいとまがない。地図もコンパスも,さらにはGPSもない世界に放り出されるのだ。当時はうまくいった。しかし今はどうだろうか。

その点で,現在のインターネットは不完全で非常にいびつだと考えている。しかし,それがネットの「本質」だという論には反対する。真逆のことを本質だと言う人々はいくらでも見てきたし,そもそもインターネットで人が集まって何をしているか,何ができるか,についてはほぼ解明されていない。

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20年経ってしまったのだから,ここから先10年20年というものを考えてみる。しかし,i-0当時とは違い,i-20では具体的なものがいくらでもあるから,楽観主義と想像力には頼れない。しかし,その「具体的なもの」が成している,もしくは成しうる人間の営みというものはほぼ解明されていない。例えば知らない多くの相手にツイートし,返信を受け取るというのはどういった秩序を作っているのか。そのあたりは実は不明瞭である。それが1つの方向性だろう。

そして,現在のインターネットについて様々な現象や秩序が明らかになったとして,それをどう未来像につなげていったらいいのだろうか。これこそ本当に手付かずの領域である。例えば,知見を持って新しい技術のデザインをしたとしよう。それが未来にどう影響するかは昔以上にわからない。VRやAIなどのある種古典的な技術は,実は当時想像されているとおりに使われていることが多いように見える。しかし,今そういった概念を生み出す土壌はあるのだろうか?

これは講演の気分で書いているので(実際に講演をやろうと考えていたこともある),分量的にそろそろ終わりにしたい。私が今未来像全般について語れることなんてほとんどないからだ。なので,i-0の問い「もし大学を卒業する前に路頭に迷ったら,インターネットでどう生きていけるか」にもう一度答えてみることにしたい。といっても今だったらいろいろな答えがあるかもしれない。そして,これは私個人の問いで,私の生きている環境に依存したものだ。なのでやめておこう。各自調べて考えるのが一番だと思う。