35,おっさんになった
今日誕生日ですが,誕生会は緊急事態宣言につき自粛といたします。
「おっさん」の気配を感じてきたので2年位前から「おっさんを治す薬」と称してこれを飲んでいた。しかし抵抗むなしくおっさんになってしまったようだ。
実際のところ大学院にも所属しており,VTuberなども追っている関係から,若い人のコミュニティと接する機会は多い。しかし,どうも「これでいいのか」という曖昧な不安を感じてしまう。
5年前にギークハウスに関する記事を書いたとき,今の文化と昔の文化の違いについて語ったところ,いい加減昔の話をして今の人の足を引っ張るのをやめろみたいなことを言われた。私は基本的に「思い出」を重視するのでそういった書き方になってしまったのは確かだ。
理想としてはコミュニティはボーダーレスであるべきだと思っている,つまり前からいた人もいていいし,あとから入ってきてもいいし,年齢はどうでもいい。古いノリでやってもいいし,新しいことを始めてもよい。古い人が新しい人が始めたことに乗っかってもよい。ただし明らかに老害的な迷惑はだめだ。
しかし現実はそうなってはいない。ゼロから人が集まってコミュニティが形成される熱量は,既にあるコミュニティに随時参加していくのとは異なる。だから若い人は既存のコミュニティに入るより新しいものを立ち上げる。そして既存のコミュニティは,一見してボーダーレスを装いながらもどんどん衰退していく。
COVID-19の感染における「三密」の代表例としてライブハウスが槍玉にあげられたことがあった。その中で浮かび上がったのが,ライブハウスに若い人はもはや来ないということだった。
それに関連して,私がいる高円寺という街は「密」に依存しており,緊急事態宣言によって大打撃を受けている。私はそれを助けたいと思った。そんな中で,クラウドファンディングが始まった。今できることとしては最善だと思う。と同時に,旗振り役を見るに高円寺の閉塞感も感じる。つまり,15年前に初めて界隈に出入りし始めてから,根本は変わっていないのだ。彼らは40を過ぎても「若手の長老」でありつづける。上がいないからだ。そして,私は「若手の中の若いの」であり続けながら35になってしまう。最近はさすがに私より若いのも増えてきたが。街が滅びるとしたら,緊急事態宣言のせいではなく,高齢化のせいなのではないかとも思う。
一方でVTuberの推しのコミュニティに出入りするようになった。基本的に人と関わるのが煩わしいから視聴者をやっているのだが,それはそれとして人と関わるのもよい。そんなこんなで恐る恐るいくつかのdiscordサーバーにいる。実際のところその辺の年齢は割と混じっているように思う。世代間対立が起こる環境と起きない環境というのがあり、そこで適切にふるまっていればそんなに問題ないのではないか。
さて、5月25日の0時に投稿する予定が、文献を読んでいたところこの記事を仕上げる気をなくしてしまった。結論はない。
Amazonのほしいものリストを掲載するので誰か買ってほしい。フッサール「論理学研究」の1巻しかもっていないのだ。
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