コロナウイルスが私の生きる手段を否定していく

 私は生来の障害のため多少人と違った生き方をしており,そのような生き方は普通はスポットが当てられることはない。しかし,昨今のコロナウイルスの件でいろいろ明るみに出てきて,私が何年も生き延びてきたやり方が安易に否定されていく。正直疲弊しており,あまり長文を書くことができないし,考察もできないが今の段階で吐き出せることを吐き出す。

リモートワーク狂騒曲

 私は規則正しい生活をすることができず,人が近くにいる環境で仕事をすると恐怖で動けなくなってしまう。だからリモートワークで正社員の仕事をいただき,今月で8年になる。やっていけたという事実はとりあえずあり,特別扱いされているということはない。普通に仕事をできており,できてないのは案件の性質が悪いせいだと言える。

 コロナウイルス後,多くの人間がリモートワークを始めた。始められなかった人間は最初から怨恨を振りまいている。始めた人間も,今のところ良い印象を持った人は少数派で,やりにくさや,人とのかかわりの薄さなどの否定的な意見が多い。

私は思った。やはり私はこの世で多数を占める人とは違うのだ。

酒に金を払うことによるコミュニケーション

 私は人に自分から話しかけることができない。だから,基本的に最初から集まっているか,もしくは人から話しかけられないとコミュニケーションがとれない。その例外がバーである。バーでは金を払って座っているのだから,クソみたいなことをしなければとりあえずバーテンとはそこまで邪険にはされない。常連もいるし,ある種の仲間意識のようなものもある。結果的に飲み屋でのコミュニケーションが私の人間関係の主を占めている。

 さらに面倒くさいことに,私は定期的に人と話さないと精神が不安定になる。精神が不安定になると最悪の場合自殺未遂をする。それがなぜかはわからない。だから,バーの盛衰は私の生き死にを左右している。しかしバーの一生は人間の一生より短いため,それではいけないとここ1年試行錯誤しているが,まだ代替案は見つかっていない。

 さて,東京都内でのコロナウイルスの感染経路にバーやライブハウス,その他いわゆる水商売が多いことはもはや事実であろう。本日,ついに都知事の会見によって目の敵にされた。それに伴い,普段行かない人から「私には影響がないから問題ない」との声が多数出てきた。いわゆるサイレントマジョリティというやつで,恐らく他の様々なことに恵まれているのだろう。ライブハウスやクラブなどは,文化の拠点として生存をかけて頑張っている。しかしその声は多くの人間には届かないように見える。

私は思った。やはり私はこの世で多数を占める人とは違うのだ。

本当は私は生きていてはいけない人間なのかもしれない

 言いたいことはこれに尽きる。正直,コロナウイルスが突然死を招くならさっさと殺してほしい。私は人から色眼鏡で見られるような生き方をしてきた自覚があるし,できるだけそれを考えないように,もしくはバレないようにしてきた。しかし今この時点において,もはやそれは通用しない。

 当然コロナウイルスとの戦いは行っている。外食を一切避けるためにカップヌードルを大量に購入し,食べている。バーに行くのも我慢している。その上で多数派の声にも耐えなければならない。お前が普通にやっているリモートワークは変なことだ,もしくはバー通いなんて変なことだ,そういった声に押しつぶされそうになる。成人して15年間培ってきた生き方が否定されていく。

多数が言う。私に死ねと。