飯の食べ方がわからない

 障害や生育環境などもあり,自分が正しい生活をできているかと言うと,恐らく半分以上は間違えているという自覚がある。正しいと胸を張って言えるのはパーティーの後にビールの空き缶を捨てるときくらいだ(食器類は紙皿でも不安)。

 寝ることも正しくできず,目の辺りが生まれつき壊れているようで,目を完全に閉じることができなくて白目になってしまう。それを何度か笑われたことがあるが,辛いので人の家で寝ることはほぼなくなった。

 洗濯は祖母にやってもらっていた(老化を遅らせるためにできることはやってもらっていた,と一応言い訳)のだが,突然調子を崩して私がやることになった。しかし,洗濯機の回し方については洗剤を入れるタイミングなどいろいろ考慮することが多かった。チャットで聞いた。だいたい全員に笑われた。

 恐らくこういった事柄を一つ一つ直していったら人生が終わってしまうだろう。今生きていられれば多くのことが間違っていてもそれでやっていくしかない。しかし,常に自分の生活での行動が正しいかどうか不安なので,精神に負担がかかっている。

 食事はその最たるものだ。私には,ものを混ぜて食べることが難しい。理由の1つには手先が不器用だというのがあり,もう1つには複雑な味覚を処理できないというのがある。それが,大衆の食べる食事の代表格である丼物やラーメンにもろに突き刺さってくる。

 例えば牛丼があったとしよう。ケバブ丼でもいい。私は肉と米を同時に食べることができない。同時に食べるとなにかおかしくなる。周囲の人はみなできている。しかし,どうやってできるのかわからない。私は分けて食べる。それがうまいのだ。

 ラーメンに関しては複雑な感情である。全部盛りみたいなのは無理だ。しかし,シンプルなラーメンでもネギやメンマはどうしても載ってくる。正直,好き嫌いも激しく,ネギもメンマもまずいと思う。なので,まず最初に食べる。徹底的に取り除いてから麺やチャーシューに取り掛かる。それがうまいのだ。

 ファストフードに関しては,ポテトやナゲット,パイなどは大丈夫だ。しかし,ハンバーガーは一切無理。かぶりついた瞬間に味覚が崩壊する。ファストフード店はすなわちハンバーガー店だ。だからハンバーガーを食べないのはおかしい。しかしおかしいことをやるしかない。それがうまいのだ。

 私は,この食べ方が変であることを知っている。だから,人前で食べるのが辛い。例えば「天下一品」などでは,頼めばネギやメンマを抜いてくれるので非常に助かっているのだが,人前ではやらない。他のものを食べる際でも「ああ,早く終わらないか」と思いながら食べて,結果的に急いでしまう。腹を壊しがちなのはそういった事情もある。

 先日,好きな女性を夕飯に誘った。お互い忙しいので特に発展することはないのだが,安心して話せる相手なのでラフに話したかった。しかし,食事については気を使う。ラーメンだったのだが,その時は前で食べるのをチラッチラッと見ながら頑張って真似た。時間が長く感じた。これだけ安心感のある相手でもそうなのか。

 「にじさんじ」の夢月ロアが,「お箸の持ち方にコンプレックスがあるから人前でごはん食べんかもしれん」と言っていたのだが(42分くらいから),何度も指摘されたらしく,非常に共感した。

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 実際のところ指摘されるのが一番怖い。楽さでいえば「天下一品みたいに苦手なものを取り除いてもらう」>「人の居ないところで食べる」>「人がいるところで耐えながら食べる」>「人に合わせた食べ方をする」>「人に指摘される」,という感じだ。

 食事は毎日必要である。結論から言えば,コンビニ食が多い。自炊なんて夢のまた夢。引きこもりのキャラの描写として,コンビニに行くのがある。私は引きこもりではないものの食べ物に関してはコンビニ頼りだ。栄養バランスが偏ると言われることがある。しかし,それよりも精神の減り具合のが大きい。体に本気でガタがきたら逆転するのだろうか。

 まあ,気を使ったり精神をすり減らしてでも食べたいものは,ある。人と話しながら食べたいときもある。そういうときは,いや,辛くなってきた。

 放っておいてくれ。