人生の失敗を体験する

今年4月,博士課程で博士号を取れないことが確定した。ただでさえ社会人をやりながらの博士課程だったのが,新しい学問分野ができる真っただ中でその学問分野がどういったもので,自分はどういった立ち回りをするか,ということから始めなければならなかった。いろいろ「単に博士号を取る」という観点では悪手を次々と踏んでおり,当然か。

まあ入学時に予想はしていた。博士課程で一連の研究を回す方法を学び,論文博士につなげていくということになるだろうと考えていた。客観的に見ても,図書館・情報学という分野上,社会人をやりながら修士を取った学生は多いが(彼らはおしなべて優秀である),今のところ博士を取った人間は論文博士だけだ。

社会人博士のベストプラクティスとしては,企業での活動と近いテーマを選び,仕事の一環として研究を進めて論文をガンガン出していく,というのがある。しかし私はそれを選ばなかった。それをやるなら社会人博士という中途半端な立場では,最初から研究一本のプロパーにはかなわないし,日本企業は学術的な成果を取り入れるのが下手だ。

なので,どうせなら難しいことをやりたかった。最悪博士号は取れなくても,テクノロジーの力でどのように人々は協働し,どこを目指していくのか,ということについて深く理解し,成果を発表したり実践に活かしたりするルートはいろいろある。まだあまり表には出していないが,実際に動いてもいる。

以上のように,取れないのは織り込み済みだった。しかし,実際に「取れない」という事実が確定すると,精神には巨大なマイナスと恐怖と絶望が降りかかってくる。やはり相当程度はやってきたわけだし,いろいろ困難を乗り越えてはきた。その上での「取れない」。沈まないわけがない。しかしここまでだとは。

ということで1か月茫然自失の日々を過ごした。何もできなかった。6月に入り,多少動けるようになった。無理をして何かを忘れるように働き,投稿論文の完成度を上げた。結果として,鬱病,夏風邪,ウイルス性結膜炎を患い,自宅が病棟になった。木造建築物にアルコールを噴射した,昔の病院の病室の匂いがする。今はこの程度の文章は書けるが,本格的に仕事や研究をするとすぐ目がきつくなる。沈思黙考の日々が続いている。

思えば,自分に降りかかってくる不幸はいろいろあったが,多くは外部要因だった。夜逃げ,母親の発狂と死,祖母の死,実家の崩壊,そして生まれ持った発達障害。これらは「純粋に自分が何かやった結果の不幸」ではない。博士課程はどうか。そうではない。すべてが自分に降りかかってくる。

大学院にはあと1年半ほどいることができる。最後の1年は,落としどころも大体見えてくるだろう。きついのは今だ。雑に「5年目くらいに本当につらいのが来る」と思っていたが本当に来た。

なんにせよだめなものはだめだ。そして今進んでいることもある。なんだかんだいってまとまった成果が出る直前ではある。死なないことが重要だ。生きることを目的にいろいろやっていくことにする。そのためにはいろいろやる。