の4日目です。渋い話をしたいときはご参加ください。
今日話すのは,以下の記事でいうところの
「その冬,母親が俺の受験と祖母の借金でいよいよ疲れたのか,狂った.」からの2年間,中学時代の地獄の日々において,情報技術に願いを託した経緯である。
私が置かれていた状況
- 母親はあからさまな統合失調症の症状こそ示してしなかったが,私を疲れて寝るまで怒り続けることで自身を保っていた。そもそも,元のてんかんでいつ亡くなるかわからなかった
- 実家の2000万円の借金の問題は解決されていない
- 私の体はどうやら非常に弱いようだ。あと恐らくADHDか何かの障害である
ということで,いつ状況が変わって自分が路頭に迷うかわからない状況だった。それは,いつ起こるかもわからない。そして,路頭に迷ってできる仕事といえば力仕事であるが,体が弱く生きていけないだろう。
それゆえに,大学を目指してはいたが,いわゆる新卒で会社に入って安定して暮らす,ということは難しそうだ。まあ30くらいまでは生きたかった。
生きるために何を考えたか
生きるためには,戦略が必要である。まず,手に職を持っておけば少なくとも有利と考えた。
それ以来,図書館にこもってひたすらコンピュータ,情報工学などの書籍を読み続けた。ある図書館の本を大体全部読むという乱読だったので,身になったものもそうでないものもある。プログラミング言語については,99年当時で図書館で最新のものはJavaで,基本的にはBASICやCである。awkなどの本も読んだが,「日常のことについて簡単に書くことのできるツールがある」ということくらいしか(それはそれで重要である)わからなかった。LinuxやTCP/IPなどについても乱読したが,そもそもPCがなかった。まあ,実際にコンピュータを手にしてみて割と楽にサーバー構築からコードまで書けたので,概念や基本的なコマンドは身についていたと思う。珍しいものだとNEWSワークステーションの解説書だろうか。NEWSを触る機会はないと思っていたが,プロフェッショナルのための道具がどうできているか知りたかった。「ワークステーション」と名のつくものを初めて手に入れたのは先日である。
それと同時に,重視していたのがコンピュータの歴史である。そもそも,なんでコンピュータというものが登場して,どういった変遷を遂げたかを知らないとコンピュータに何ができるかはわからない。そこで欠かせないのが,最初期,つまりENIACからメインフレームに至るラインと,パーソナルコンピュータの発展史,つまりMEMEX,エンゲルバート,リックライダーなどから,Xerox PARCのAlto,Macintoshに至るラインである。特に後者の理想に惹かれた。恐らく「思考のための道具」あたりの史観が最も共有されているものだと思う。以下は新版である。
新 思考のための道具 知性を拡張するためのテクノロジー ― その歴史と未来
- 作者: ハワードラインゴールド,日暮雅通
- 出版社/メーカー: パーソナルメディア
- 発売日: 2006/05/25
- メディア: 単行本
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それに加えて,アラン・ケイの「パーソナル・ダイナミック・メディア」なども読んだ。
- 作者: アラン・C.ケイ,Alan Curtis Kay,鶴岡雄二
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やはり,「人がものを考えるのを支援する道具」としてのコンピュータに可能性を感じた。というのは,要は「突然路頭に迷い,社会から切り離されたらどうするのか」ということを考えているのだから,その際に人の助けに頼ることは難しい。しかし,コンピュータなら助けてくれる。これは一つの基本的なトーンである。
もう1つ,99年といえば欠かせないのがインターネットと今後来るであろう第三世代携帯電話である。そもそも,路頭に迷っても社会から切り離されない方がいい。例えば,メールアドレスしか知らない相手に連絡を取って仕事をもらう,みたいなことが可能であると考えられる。今では普通であることが全部未来だった。
そして,図書館で本読みにのめり込んでいる過程で,もう1つの考えに至った。「生きるためには情報が必要だ」。図書館の本を大量に読み,新宿紀伊国屋などで立ち読みをし,自分の力だけでは得られない知識があることに気づいた。1つが難しい話で,どうやっても読めない本があった。もう1つが属人的な話で,人と話さないとわからないことである。こういったことが流通すれば,もっと生きられるようになる。インターネットは,その可能性を広げるだろう。
さて,その上で,「もし自分が突然路頭に迷ったら,どう生きていくか」に戻ると,「その時にはインターネットがもっと発展しているだろうし,PCを持っていればどうにかなるような仕事,例えばプログラマーやライターの仕事を頼める人とつながっていれば,生きていけるのではないか,多分30までは生きられる」という結論に至った。
その後の変遷
結論から言えば,母は大学在学中に亡くなったが,路頭に迷うことはなかった。一緒に暮らしていた祖母も2014年に亡くなったが,路頭に迷うことはなかった。2004年にライターになり,2010年からはプログラマーもやっている。私は障害を正式に認定された。結局のところ,「働き方改革」などと言っても労働の仕方は変わらず,割と重い発達障害を抱えた私が就ける職場は非常に限られる。その意味で,「常に路頭に迷う可能性がある」のは変わらないと思い,当時考えた体制をまだ続けている。
もっと私が暮らしやすい社会にしたい
私自身は,当時の構想がうまくいったと思っているのだが,正直運と才能に恵まれていたというのを感じる。執筆に関しては編集の方からは評判がよく,プログラミングにも向いていた。一応社会性のなさをひっくり返せるくらいにはいけているのだが,この先どうなるかわからないので,一般的な技術の研鑽の他に特殊技術の研究開発を行っている。そして,いかんせん実家が残ったのが大きい。何度も破産しかけて,私が救おうとデスマーチ案件をやって金を稼いだこともあった。家を守れたのは幸運である。そして,これはあまり言いたくないが,母親が亡くなったのは,幸運である。
まあはっきり言って,これは普通の人とは別の形で人生をうまくやっただけで,「路頭に迷ったらどうするか」に対する答えになっていない。そして,その答えを出せない限り,私は納得できない。だから,個人で,大学院で研究を続けている。
「PCを持っていればどうにかなるような仕事,例えばプログラマーやライターの仕事を頼める人とつながっていれば,生きていけるのではないか」という前述の主張をもっと一般的な形で表現すると,
- 専門的な仕事に誰もが入っていくことができ
- それを可能な限り柔軟な形のつながりで行える
ということになるだろう。これにさらにもう1つ加えたい。
- このような体制を,様々な領域で行える
人には向き不向きがある。プログラマー,ライターなどだけでなく,いろいろなことの入り口が開かれていたほうがいい。もちろん,どうしても不可能なこともあるだろうが,思ったよりいろいろできるのではと考えている。
結論
ありません