中学受験について

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 なかなか出てこない話題なので興味深かった.俺は10歳で母親と夜逃げしてきた時,中野の四谷大塚(中野校は本校)の入塾テストを受け,一番上のクラスに行った.それ以来,母親は自分がてんかんの発症により大学進学を諦めたこともあり,俺を良い中学に入れるべく全力をつくすこととなった.

 四谷大塚には土日のクラスと平日のクラスがあり,俺は金銭的な事情から(収入は母親の障害年金のみ,生活費は祖母から)土日しか行けなかった.母親の指導は,とにかく問題を解かせたりある項目群を覚えさせ,少しでも間違えたら怒鳴って延々と怒り続け,ちゃんとできるまでやらせるという古典的なもので,当然成果は微妙である.

 一度テストで調子が悪かったとき,俺のテストを破り捨て,怒り狂った.俺は家出し父親を頼って葛飾まで歩いて行こうとしたが,秋葉原駅で道に迷った.(というか今でも地図がないと秋葉原から東京東部に行くのは無理).結局父親に車でピックアップしてもらったが,父親も借金が5000万あったため1日いた後に帰ってきた.

 まあそういうこともあり平日のクラスにも行っていた人間との差は開いていき,あるテストで4番目のクラスに落ちた.当然母親は怒り狂ったがよく覚えていない.その後2番目に戻って受験に臨んだ.あれ,序列とか大したことなかったな.合宿も行かなかったし.まあ序列はあったよね.割りと4番目のクラスの時に1番上のクラスから軽蔑的な目線を浴びたことはあった.成績トップのやつの名前は未だに覚えており,早稲田で社会学修士までは行ったようだ.20年以上かかることになるが,博士を取れば俺の勝ちだ.

 受験校は開成,筑駒城北だった.城北に受かり,残りは落ちた.母親は「金がない」という理由で突然合格を反故にし,区立中学校に進学した.その中学が中野・杉並で最も荒れている学校だと知ったのは13年後であった.その後,祖母の借金が2000万あったのが発覚し,母親はてんかん性精神病を発症して救急車で運ばれるも手術室しか病床がなく,手術室の機材を全部ぶっ壊し家に帰ってきて俺に「お前は基礎がわかっていない,あいうえおから教える」と行ってあいうえおを学んだ.私にはその後半年の記憶はない.