パーソナルな連絡をする能力がなく人生が詰んだことについて

 30になって人生が詰んできた。いろいろ理由をつけることはできるのだが、解決できる問題まで先延ばしにしてしまうほど追い詰められている何かがあるとしたら、それに正面から向き合うしかないだろう。

 私は、人と個人対個人の連絡をすることができない。手紙や電話、メールからtwitterなど各種SNSのメッセージ、LINEなど様々な手段があるが、自分から特定の個人に連絡をすることは、ほとんどないか必要に応じてしか行わない。その必要な際も大きな精神的負担がかかる。

 誰かから連絡が来ることもたまにあるが、「そもそもなぜ私にこの時に連絡をよこすんだろう」ということが理解できない。例えば暇であるとかそういった理由は見つかるのだが、私に連絡をできる理由や方法がわからない。

 これは根本的な欠陥で、人間社会での多くの能力を失ってしまう。例えば新しいことをするとき、プライベートにしか話せない問題が起きたとき、もっと端的に言うと恋愛など、多くのことができなくなる。私には働き方としてフリーランスが向いているのだが、踏み切れないのはその辺りが原因である。そもそも、できないのでどういうことができるのかすらわからない。

 もっとも、1回話し始めればちゃんと応対はできるし、むしろしゃべるほうだ。雑談はあれは実は日本人ネイティブとしての長年の経験が必要で、「雑談の構造分析」という書籍によると外国人留学生の多くが困っているので、コミュニケーションの経験に乏しい私も苦手である。

 にもかかわらず私がそこそこ社交的に見えるのは(ここ2ヶ月はそうではないが)、主にインターネット、たまにリアルでの様々な集まりに参加しているからだ。チャットのストリームはそこそこ膨大だし、はてなブックマークでのコメント、スターなどの薄い交流も含めると社交的であるようには見える。このブログもまあそうであろう。しかし、どこか根本的なところで欠けている部分を常に感じている。

 物心がついた時から恋愛をしたいとずっと思っていた。私が人を好きになってもうまくいかない理由は間違いなく、個人的な連絡ができないことだと思う。全ての前提がおじゃんになる。たまに入院した時に見舞いにきてくれたり、突然飲みたいと連絡が来てそのまま告白されるなどのことはあったが(精神の調子が今より悪かったので断ってしまった)、自分から連絡をできず、できたとしてもうまく行ったことはない。1回、Skypeチャットで女性とサシで話をした時、中途半端なところで話が途切れてしまった。8時間後に「ごめん」と送った。「?」と返ってきた。

 昨年から今年にかけて、インターネットにおいてトリックスター的な人物が少し近い界隈に来たので、動向をウォッチしていた。代表的な方としては江添亮さんとはるしにゃんさんで、どちらも問題を抱えている。江添亮さんは各種シェアハウスで暴力的な言動を繰り返して一部はWeb上で明るみにに出ており、はるしにゃんさんは迷走のして多くの人や場所に不義理をした上で亡くなってしまった。

 しかし、江添亮さんは女性に対するボディ・タッチを普通にしており(男性の股間の動きに近かったので「ち」の動きと呼んでいた)、女性との交流も多く、最終的に事実婚までたどり着いた。はるしにゃんさんは女性からの悪評も多かったが数多くの女性と関わって、亡くなる時まで女性と一緒にいた。彼らは、私からしたら神に近い能力がある。ステージが全く違う。私は彼らがいる場所においてはゴキブリのようなものだった。

 そして、まあ30というと多くの人が結婚していく時期である。Facebookには月1回結婚報告が流れ、数人の昔好きだった人の結婚報告を見た段階で、Facebookを見るのをやめた。Facebookにおいては、私はゴキブリ未満、ホールにおいて静まり返った時に流れる「シーン」というノイズのようなものであった。その辺りからずっと引きこもっており、仕事も満足にできていない。いや今は少しずつ持ち直し初めた。

 Facebookのことはおいておいて、自分が落胆したのはやはり江添亮さんやはるしにゃんさんのような、自分勝手で人に迷惑をかけるような人が、結果的に人と仲良くなれるんだなということである。昔サブカルをやっていた時もそうだった。だとしたら、これからそういう能力のない私は諦めていくしかないのか。これが、「詰み」である。

 どうすればいいんかな。それが思いついたらこんな記事を書く必要はない。