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子孫を残せず絶滅していく現代のネアンデルタール人「劣人」

 最近30になったこともあり,周囲で結婚の話ばかりが行われていて,そういったものとは全く縁のない私は非常につらい気持ちになる.私は本当に彼らと同じなのだろうか.このまま事が進めば,私という人間や,他の似たような仲間は,皆子孫を残せないで死に,「絶滅する」.

 そう思っていると,かつて人類と曖昧に混ざりながらも絶滅した「ネアンデルタール人」のことを思い浮かべるようになった.ネアンデルタール人は,現生人類とだいたい同じように生き,現在と非常に異なるだろうがそれなりの知性や感性を持っていた.とすると,あくまで現代の尺度であるのだが,絶滅寸前に「私みたいな人、よくわかんないけど劣っているし、しばらくしたらいなくなるんだろうな」と考えたんじゃないだろうか.

 私たち絶滅しゆく種類の人類は,結婚して子どもを残していく人類と遺伝的に有意な差はない.このため,ネアンデルタール人のように全く別の種として扱われることはない.しかし,これを表す言葉が必要なんじゃないか.かくして,劣った人類「劣人」の概念が産まれた.この言葉は昔から自分を表す言葉として使っていたが、ここで具体化する。

 劣人は,何十年も劣ったままで過ごす.そして,滅びの時をただ待つ.そこから新たな感性が生まれるかもしれないし,少なくとも存在したという履歴は残る.その意味で劣人のいた痕跡は残っていく.もしかしたら,100年前,いや人類史の各局面において,私たちの会ったことのない,滅びてしまった人々がいるかもしれない.彼らは今の基準では劣人ではないかもしれないし,面白いことや素晴らしいことをしたかもしれない.そう考えるといろいろと広がっていく.

 さらに進めて,人類が滅んだ後のことを考えてみる.例えば200万年後,魚だか鳥だか知らないがとにかく全く新しい知的生命体が登場し,人の骨と文明を発見したとする.そこで,子孫を最後まで残せた人々と劣人は,恐らく区別できると思う.そして,新しい知的生命体はその違いについて考え,独自の結論を出すだろう.もしかしたらそれまで,私たち劣人がなぜ子孫を残せなかったかというのは判明しないかもしれない.しかし,これだけは確実に言える.「劣人もものを考え,人として生きた」,それは残るだろう.それで十分なのだ.