親しい親類が亡くなった瞬間について

走り書きである。祖母が10時に息を引き取った。両親が既にいないため、祖母とは9年間2人で暮らしていた。

昨日、昨夜が山場だと聞いて、覚悟はしていた。乗り越えたとしても3日は保たないだろう。葬儀についての打ち合わせは済んでいた。

「予感」めいたものがあり、9時の面会開始時間にすぐに病院に飛び込もうと思っていた。しかし、恐らくその場合は死に目に会うことになる。それが良いことか悪いことか。結局、ビビって家で仕事のコードを書いていた。

鬱病を患ったこともあり、感情的なものは意外に少ない。食べ物が口に入らない状況ではある。

この1年、叔父の家の破産、残った借金、叔母の死、犬の殺処分、祖母の急激な不調と介護、救命救急センター、難航する転院先探し、それを乗り越えた上でのことだ。その結果俺のある程度の破滅は避けられなかった。

これら様々なことについては、常に皆が良い方向に向かうことを考えて、いろいろ貢献をした。しかし、その先には幸福や何か良いことがあるのではなく、必ず最期がある。それがただ無念である。