小さい子どもにiPhoneを持たせることについて

iPhone中毒症 | クローデン葉子

私はこの記事に強い反感を覚えた。こんな物の見方は子どもにとっても親にとっても良くない。この記事の問題点はほぼ全て親の問題で、iPhoneのせいではない。

しつけをちゃんとやりましょうよ

まず、「子どもがiPhoneに依存してしまい、常にiPhoneを使うようになり取り上げると駄々をこねる」ということを問題視しているが、これは明らかにiPhoneのせいではない。親の怠慢である。電車などで子どもの駄々をこねる場面にしばしば遭遇するが、iPhone以外でも、おもちゃや絵本などを強く要求する子どもは多い。そして、ちゃんとした親はそれを拒否して、さらには叱っている。子どもは最終的には静かにすべき場所で静かにすること、何かをすべきでない場所では何もしないことを学んでいく。この人はそれどころか、

地下鉄やレストランの中など座っていてほしいときにiPhoneを渡すとお気に入りアプリで遊ぶようになりました。

iPhoneを渡している。これではおとなしくしないに決まっているし、何をすべきで何をすべきでないかの境界もわからないままだ。「iPhoneがほしいと叫ぶ」ことについてもそうで、その要求には答えられないということをしっかりと教え込めば良い。これらのプロセスは、iPhoneに限らないし、人類が誕生してからから環境が大きく変わっても常に行われていたことだ。

iPhoneと外の世界と子ども

もう一つの問題に移ろう。なぜiPhoneが駄目で他のことが良いのか。このために一旦問題設定を変えて、仮説を立てる。「小さい子どもはいろいろなことに好奇心を持つ」のに、「iPhoneにだけ集中してしまう」のはなぜなのか。それは、外の世界が魅力的でなく、つまらないからではないか。大人の多くはそう思っているし、それは技術にも当然影響してくる。スマートフォンは、外の世界をより良くするための重要な道具だ。だから、子どもが外の世界に関心をもつために十分に役に立つ可能性がある。地理情報をやっているとそのあたりは思いつく。それなのに画面に向かっているだけなのは、究極的には大人が外の世界をつまらないと思っているからではないか。

その上でだ。この親は子どもにiPhoneではない何を求めているのか。しつけなどについては先に述べた。その他の、絵本を読むことなどはどうなのか。記事を見る限り、子どもは読み聞かせアプリを使っている。物語を理解する能力があり、触れたいと思い、その意図を十分に行使している。「絵本を読まない子ども」ではないのだ。私は、それに問題はないと思う。むしろ、親の物語ではなくiPhoneの物語に耳を傾けるということは、iPhone以上に魅力的な話をこの親はしていない。ちゃんと物語の世界に興味を惹かせるような話をして、子どもの反応に耳を傾けて、共感して、経験を共有する。そういうことはiPhoneにはできない。私には、それをこの親がやっているようには思えない。

多少穿った見方をすると、この親は「自分がちゃんと親をやっていることを示したい」だけなのではないか。親としての典型的なことをして、それに子どもが応じる。そういうことを欲しているのは、むしろ親のほうだ。親としてのタスクをこなすことで、自分が安心できるのだ。そのためにiPhoneに対して不満をぶつけるのは自己中心的だ。

ここまで検討してきた結論を言うと、この親は「親をちゃんとやる」べきで、それが親にとっても子どもにとっても良い。それは、iPhoneを取り上げることではなく、公然の場でどう振る舞うべきかを教えたり、物語を通じて共感や対話・議論を教えたりすることだ。そういう重要な事を踏まえた上で、iPhoneをどう活用するか、もしくはどう活用しないかをを考えるほうが良いと思う。

iPhoneは2007年に発売された。しかし、2000年前も今も、親は子どもにとっては大切な親なのだ。