東工大附属について

情報科の授業は教養に過ぎないという話 - 東京工業大学附属科学技術高校編 - yosida95's hatenablog

 を見て、懐かしいなーと思っておっさんが書いてみる。俺は2004年に卒業した生徒で、当時は東京工業大学工学部附属工業高等学校という名前で、スーパー・サイエンス・ハイスクールに指定されてはいたが、東工大への内部推薦は俺の次の年から始まったという時期だった。当時の教官が「この学校あまり変わってないねー」って言っていたので、まああんまり変わっていないことを仮定して事を進める。あ、当時の電子科で、今の情報コンピュータサイエンス分野です。

 まあ、端的にいうと、本校はいわゆる「自由な国立(コクリツ)高校」の枠に入る高校で、「自由の使い方」が相当難しかったと思う。都立とかに比べたらまあ校則とかほとんどないし(都立の連中、自分たちの高校は自由だと思っているんだろう。君たちは飼いならされている)、公立中学で完全に適応できなかった俺からすると、まあここでないと卒業できなかったなーって思う。

 俺はまあだいたいのことで落ちこぼれで、今の若手に比べると大したことはしていなかったし今もしていないのだが、高校の授業のレベルは確かに低かった。クイックソートまでいったっけ。どうも覚えていない。あと、8086で初歩的なプログラムを書いたり、当時最先端のPICを触ったりしたが、まあすごい高度なことをやるというわけではなかった。

 さて、この高校、生徒のレベルと授業のレベルは全く相関していない。授業や演習は「最低限満たすべきレベルのことを学び、あとは各自やっていく」という種類のものだ。例えば、授業の最後の方で、自分で何を作るか選んで、作っていく課題がある。おそらく今もそうだ。その際、どんなレベルが高いことを選んでも良い。C+Xlibからメタボールを書いてる友人もいたし、今だとWebサービスとかも普通に作れるんじゃないか。あと課題研究のレベルもいくらでも上げることができる。俺はOSを作った。

 それに対して、教官(当時独立行政法人じゃなかったから、「教官」なんですよ)はそれなりにサポートしてくれるし、教官の理解の領域を超えたらまあ各自調べて考えてやっていくことになる。要は、高校や教官はまあ年単位で決まるカリキュラムを粛々とやっているだけで、それと生徒が何をやっていきたいかというのは、さしあたって関係ない。別に俺はそれで良いと思う。むしろ、高校の範囲で教えられることの限界に挑戦するこの高校は面白いと思った。

 俺の場合、理屈が好きなので、手を動かすことより座学が好きだった。高校3年で大学3年の情報工学の内容は半分は学んだ感じがある。まあ誰も教えてくれなかったし、大学のシラバスとかをWebで見て、パタヘネとかオートマトン論の凡庸な書籍とかを読んでいた。「アルゴリズムイントロダクション」とかは当時はなかったかな。SICPは手が出なかった。あと人工知能ニューラルネットワークとかは初歩的なものを作ったかな。肝心の大学は3年で社会学に文転して院まで出てしまったので、最近は「高校で自分でやっていた内容」の続きを学んでいる。

 当然、外で学んだことも多かった。定期が秋葉原に通っていたので週8とか秋葉に行っていた時期もあったし、2chUNIXユーザーオフというものに突っ込んでいって、開口一番NetBSDの設定について聞かれたことがあった。わかるわけがない。そもそも最初に行ったオフ会が、MorphyOneという「みんなで金を募って、自分たちの理想のモバイルパソコンをつくろう」というプロジェクトがあって、それが吹っ飛んだから経緯をリーダーに問い詰めに行くという恐ろしい会だった。

 当時最も関心があったのが、ヨーロッパやアジアで出始めていた「スマートフォン」だ。当時スマートフォンといえばNokiaで、Windows Mobile 2003のスマートフォンエディションも少し出ていたかな。正直今これだけ普及するとは思わなかった。SIMロックが未だにあるのが驚きである。当時、スマートフォンに関心を持つというのは、アジアに関心を持つことで、アジアに関心を持つというのは、アジアの女性に関心を持つことだった。その結果、良い意味でも悪い意味でも怪しいおっさんの友人が増えて、トータルで謎の人生経験がどんどん溜まっていった。交流していた中で一番年上、今70過ぎてるんじゃないか。今思ったが俺はだめかもしれない。

 閑話休題、まあ時間さえ確保できればだいたいなんでも出来た感じがあった。今だともっといろいろできると思う。プログラミングやプログラミングに関わるコミュニティなどの環境は学校で人から教えられて学べるものではないし、俺は「仲間との切磋琢磨」みたいなのはあまり信じていない。最終的に本人がやらないとできるようにならないからだ。

 で、そこでクソみたいに自由を奪っていくのが大学受験だ。俺は研究をしたかったが、そのためには大学に行く必要があった。大学や大学院では、好きにやっていけばいい。しかし、大学入試だけはクソみたいな高校までの概念の集大成をぶつけて、そこから解き放たれる洗礼の儀式のようなもので、一定程度やらないといけない。東工大附属の場合、大学へのつなぎという社会的役割があるので、そこそこの大学には行かせる感じである。まあその辺りは厳しかった。

 まあ高校はそういうもんなんじゃないか。ちなみに、俺は「高校は不要」という結論に至って、積極的に「高校なんて行かなくていいよ」というアドバイスをしている。ぶっちゃけ退学しても問題無いと思う。もし高校に行く必要があるなら、東工大附属は理想の環境でも楽園でもないが、ベストな選択肢の一つではないかと思う。だからこそ、それ以上を求めるなら「高校には行かないほうがいい」というロジックに行き着いたのだが。あと、大半の大学の周囲のモチベーションは東工大附属よりはるかに低いし、プログラミングについても必ずしもレベルの高いことを学べるとは限らないので、大学に行ったら結構大変だと思う。