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戦い-競争と生活-安全

非常にくだらないんだが、根本的に話が噛み合わない話題として。古典的な話題なのだが、特に「技術の力で社会を変える」といったテーマでは、ここで挙げる違いは大きいと思う。

 人には2タイプいると思う。生活で基本的に何かが欠けていて、それを得るために戦わないといけない人と、既に生活に不満がなくて、それを守りたい人だ。いわゆる「社会を良くしよう」「社会に不満がある」人々もそのモチベーションは同じで、現代「社会問題」と言われている分野で、誰もが即死するような問題はほとんどない。生きることはできてしまっている。このため、その上の「生活」のレベルで皆何かをしようとするのだ。特にテクノロジーに関わる分野では、「生活できない」人とのコラボレーションは未だできるに至っていない。

 まず、その価値観に大きな違いがある。前者は誰かと戦って勝ち取らないと、何かが手に入らないと思っている。後者は何かに関する戦いそのものを避けよう、さらには見ないようにしている。その「何か」は人によって違っていて、一概には言えない。金は戦わないと手に入らないが、彼女は生活の中で普通にできると思っていたりする人もいる。

 次に、目指すものに違いがある。前者は、競争に勝ち抜くことと、そのテクノロジーを得ることを目指している。一方、後者は競争がなくなることを、つまり自分の生活でやっていることを人に脅かされないことを目指している。これは大きな違いだ。というのも、前者は多様性な取り組み方を認め、正解のない世界で物事に挑んでいく。一方、後者は予め自分の中にある正解を維持するため、多様性をなくしても良いと考えている。

 これは、社会を良くする活動のあり方の根本に影響してくる。何しろ同じ生活課題に対して「変えたい」「変えたくない」人が混在しているのだ。そして、多様性を認める人と認めたくない人が混在している。議論を過度に発散させたり、逆に過度に煮詰まらせたりということはよくある。新しいテクノロジーの導入などにも、どんどん推進していこうという派ととても慎重な派に分かれる。この違いはそれなりに場の違和感として出てきたりする。

 まーそれはあまり顕在化していない問題だし、どうにかなるとは思うのだが、俺はクソみたいな人生を歩んできた自由主義者で、世の中なんてガンガン変えてしまえばいいし、いろいろな人がいてもいいと思う。一方で、すぐとなりにいる、確固たる生活が成り立っていて、安全を求める人に対して複雑な感情である。この人達が、なんで競争なく生きているのかわからない。しかし、生活が安定していたら、俺もまたそれを守りたくなるんじゃないか。