努力は滑稽である

何かを成し遂げようと体を壊すまで駆けずり回っている自分があまりに滑稽に見え、高校くらいまでにもらった賞状など家で額縁に飾ってある物を全て破り捨てた。ガラスで怪我をして病院で処置をしてもらい帰ってきた。

 

基本的に努力は滑稽である。努力をしなくても才能や環境で何かを成し遂げる人間は一定数いるし、そういう恵まれた人間は圧倒的に効率的であり努力をする人間がそれに優る成果を出せるとは思わない。同じ事ができたとしても、努力をしているということそれ自体がマイナスである。

 

にもかかわらず、今年下手になにかやったら何かできる環境に行ってしまった。それ自体は良い。しかしそれは人間の汚さの始まりである。それでもっと何かできるかもしれないと思って朝は5時から26時まで、土日も一日潰していろいろやっていた。先日の爆弾低気圧の日も関東中を場所から場所へ移動して新しいことの話をしていた。その結果、一生話すことはできないだろう地位の人々と何かをすることも始まっている。

 

ただ、うまくいっているということなど関係なく、その滑稽さは拭い去ることはできない。そもそも何かを得られるから何かをする、という事自体が動物の行動そのもので、餌につられて走るハムスターの姿にほかならない。