この世界への関心を諦めない人に博士課程はオススメ

この記事は博士課程 Advent Calendar 2015 の1日目のエントリです.参加したい人はどうぞ.

Abstract

 面白い研究はやめられないから,社会人だろうがなんだろうが博士課程行くしかないっしょ.その間の苦労や,その後のことはしらんがね…

自己紹介

 今年の4月に図書館・情報学の博士課程に入学したものです.社会学修士を出て一旦CTOやエンジニアになり,会社に籍を置きながら入学しました.会社が「勤務先自由,完全フレックス」なので,研究も続けられるという形になりました.なので,学部からプロパーな方や,会社でR&Dをやっていて,それに役立つ研究をするというTypicalな博士課程の学生とはちょっと違います.

 もっとも,海外の図書館情報学社会学,計算機科学の博士課程では,LinkedInなどを見る限り一度社会に出て3年位たって大学に戻ってくるパターンが散見されるので,そういう点では正社員3年目ですし1つの節目かなと思います.

 やっている研究は,Webなどでオープンな参加ができるサービスにおいて,人々に役に立つ知識というのがどうやって作られているのかについて,社会学の方法を使ってアプローチしています.今は,Webエンジニアだと誰もが使ったことのあるStack Overflowについて,質問と回答という行為の観点から研究しています.といっても非常に荒削りで,そもそもこれは会話のような普通の行為と同じ扱いをしていいのか,という原理的なところから既にわかっていない.完全に手探りです.具体的な研究の話は別エントリで.

何で博士課程に

 ンーまあ修士を出た時は,あそこも非常にいい研究室に大学を変えて飛び込んだのですが,自分の能力のなさに絶望して博士無理…ってなりましたね.震災で修了式もなかったし,実質フリーランスをやっていたら1年後に正社員として雇ってもらえました.

 でまあエンジニアも向いてなかった.向いてないというと私に親しい同僚やエンジニア界隈の友人などからすると反論があるかと思うのですが,主な問題はコミュニケーション.最初はブチ切れて案件を外されてしまったりもしたが,流石にそういうことはなくなり,良い落とし所や交渉による解決をするようになった.しかし,疲弊するし得意な人に比べたら全然駄目.一方で技術はというとそこそこはできるが伸びしろはないように思える.GISデータベースもWebGLもオープンデータポータルもやった.しかし,そこからさらに高度なことや,複雑なものを作るために構造を与える作業をやろうとすると限界があるだろう.

 まあそんな感じで微妙だったのですが,研究会にはちょくちょくと顔を出していました.今お世話になっている教授とも,アメリカから帰ってきてからそこそこ話したりゼミに出たりもしていました.ただ,研究としてやっていくかというと,社会人という立場もあり,何よりゴールがとても見えない.

 そんな自分を後押ししたのが,実家の破綻でした.もともと片親が亡くなって両親がいない状態で祖母の家にお世話になっていたのですが,叔父が事実上破産したので借金が降りかかってくる可能性があってどうにか副業で稼いだり,叔母が亡くなったり,最後には一緒に助けあっていた祖母の体調が急激に悪くなり,介護の甲斐なく亡くなってしまいました.今は一人では広すぎる実家に暮らしています.

 その間,仕事すら手につきませんでした.そこで感じたのが,このまま人生が良くなることはないし,次にこれくらいの大きなことが起こったらもう新しく何かをすることはできなくなる.そこで今一番やりたいことをとにかく何が何でもやろうと思いました.それが博士課程でした.ちょうどお世話になっている教授が博士課程を取れるようになったタイミングだったのもありました.そして,つたない研究計画書を書き,面接で慌て,叔父の借金は降りかかってこなかったのでその分浮いた金を入学金につぎこみ,今博士課程にいます.

社会人博士ってどうよ

 いくら「勤務先自由,完全フレックス」とは言っても,結局Web案件をやっているので,忙しさとしてはWeb屋とあまり変わりません.つまり暇な時と忙しい時がある.暇な時は結構進みます.特に理論的な洋書の講読や,論文のサーベイ,分析などまとまった時間が必要な局面がいろいろあるので,1日何時間とか決めないでこの日は仕事,この日は研究と比重を決めてやっています.逆に,それができない企業だと自己管理は圧倒的に難しくなると思います.そういう方もいますが,なんでできるのかわからない.

 忙しい時は,お察しくださいと言いたくなりますが,一言で言えばミンチです.学会投稿の締め切りと案件の締め切りがバッティングした時は死ぬかと思いました.しかし,やると決めたからにはどっちかを捨てる訳にはいかない.あれっ,何かおかしいぞ?と思った時は実際におかしく,草稿を教授に見てもらっている間全力でコードを書きます.そして草稿のリプライが来た直後に案件のミーティングが始まります.

 なんだろう,自己管理が大切ということをよく聞きますが,ここまでくると例えばTodoリストを作って,見た段階で心が折れます.あ,あとたまに倒れます.私は4日以上まともに睡眠を取らないのは無理です.これは迷惑をかけてしまうのでどうにかしないといけません.

 しかしながら,初の学会発表も無事に終わり,案件も納品し,少しずつこの先の見通しが広くなってきました.話もどんどん高度になってきており,一旦落ち着いたらまあ良いかなーという感じ.できないほどではない.本当に駄目な時がきたらまあ…

博士課程が何を与えるか

 面白さ.それ以外にないと思います.

 博士課程を出た後のキャリアパスについては,私は企業に籍を置いている以上一定以上のことは言えません.友人が博士を取って同じような会社に入った時は(おいおい…)と思いましたが,まあそんなもんかと思います.アカポスはどうなんでしょうねぇ…大学教員ですが,事務仕事が多いため「勤務先自由,完全フレックス」でようやく働けている私は全く向いていないと思います.

 その後を考えるとしたら,生き延びながら金がかからない研究を継続するのが現実的かなと思っています.その点でオープンサイエンスには可能性があり,先日も国会図書館のハッカソンでいろいろやってきました.あと,今の研究は教授の指導もあるものの,ほぼ完全にオープンサイエンスの環境でやっています.Stack Overflowの全てのQ&Aはクリエイティブ・コモンズライセンスで公開されており,DBのダンプも提供されています.

 では,社会人にとって博士課程が何を与えるか.世の中にいると,やはり「研究としてこのテーマをやりたい」というのが出てきました.弊社や私が関わっているコミュニティでの活動は,オープンソースやエンジニア同士,もしくはエンジニアと他の人々とのオープンな協働に関連するものが多く,その意味で研究と普段の活動はリンクしています(最近は忙しいのでコミュニティ活動まで手が回りませんが).

 その中で,「これってこうだよね」とか「コミュニティでこういうことが起きていて,こうすべき」みたいな議論になることが多いのですが,研究をしていた身からすると雑に見えてしまう.「雑なのにうまくいっている」というのは本質の一つなのですが,やはりちゃんと調べたくなってしまうし,そこまできたら研究をせざるを得ない.かといってそれがコミュニティに貢献できるかというと微妙です.

 なんかそうやってバッサバッサ研究と社会の関係を切っていくと,結局面白さでやっており,その面白さを得るにはかなり厳しくてもやるしかないなという感じでやっています.私は,この世界への関心を諦めない.

あとがき

 こう書いてみると,世によくある博士を出たら未来がないとか,与えられたテーマの研究への関心を失って終わってしまったとか,社会に出たら研究は無理とか,そういったこととは違うことをしているなと改めて思う.一方で,「研究楽しい!!」と将来を考えずやっていっている人も,なんだかんだで親が裕福だったり特別な才能があったりして続けられているフシはある.その中で私をポジショニングしてみると,うん,人生捨ててるなあ.まあでもやめられないじゃん.今のところは以上.その後のことはわかりません.