自分のダメさを言葉にするというセラピー

少なくとも20年以上,自分のダメさと戦っているのだが,どうも理解してもらえないので書いておく。

まず基本的な点として,私という人間がだめであり,存在しないほうがいいということと,私が何かをするということは,頭の中で明確に分かれている。何かをするということについては,相当粘り強いほうだ。例えば半年の納期が2週間になったという場合でも,やるとなったらやる。6年間研究を頑張って何一つ期待した結果が出ないことがわかっているとしても,最後まではやる。

その上で,私という人間がだめであること,これを明確に定義するのは難しいのだが,頭の中で勝手に湧いてくるようになったのだから対処するしかない。腹減った,眠い,だめだ,そういう感じで,外界と接していると常にたまっていく。

で,どう対処するかだ。基本的に考えて言葉に出すか,何もしないかのどちらかなのだが,早く終わらせたほうが精神的にもなにかする点でも良い。だから,考えて言葉にする。考えて言葉にすると数時間程度で終わるが,何もしないと大体半日は何もしなくなる。この生活における違いは大きい。何もしなかったり,無理してポジティブに振る舞うことでなかったことにしたりすると今度は発達障害の症状の方が出てきてもっと悪くなる。

だから,何があって何がだめでと,いつか考えただろう思考をループさせながら考える。「真理」を発見して人に話したりソーシャルメディアに書き込んだりすることもある。そうすると症状自体が小さくなって消える。

これは治し方だ。なので止めないでほしい。

コロナ後に「平時」を取り戻す際の考慮をしたかった

Twitterの投稿がバズったので一時的にあまり見ないようになった。このような投稿がバズるのも世相を表しているとは思うが,バズは人間の汚い部分や偏見もさらけ出すのであまり好きではない。

 ここ数日,私にも「コロナ慣れ」のようなものが来た気がする。あからさまな鬱症状は普段に戻りつつある。現状に対する不満も消えつつある。これを単純に良いと捉えてよいかというと,微妙である。「自粛」「三密」「行動変容」といったよからぬ環境に対する不満というのは正常な反応で,それに対する感覚がマヒしている印象がある。どちらかというと死の受容のプロセス

ja.wikipedia.org

に近い。

 さて,前の記事でも指摘したように,感染症対策に対する総動員体制を批判することは難しい。感染症対策の専門家の意見は一般の意見を変える政治的な影響力を持ち,保守,革新,穏健,過激を問わずほとんどの政治的スタンスは自主的に行動を制限する方向に向かった。それに異を唱える声はかき消された。私にも公開できなかった記事がある。

 状況は少し変わり,医療従事者内部,評論家などから過度な行動制限の促進を危惧する声が出てきている。

www.mnhrl.com

dot.asahi.com

 両方が「家畜」という表現を使っているのは恐らく偶然で,あまり好きではない。しかし,「医療による死の恐怖は、まるで国民全体を徐々にカゴの中へ誘っているのかのようだ」「世界はコロナの恐怖に駆り立てられ、自由や人権についての議論をかなぐり捨てつつある。」といった危惧がようやく出てきたというのが重要な点だ。

 もちろん,これは今コロナ対策の手を緩めるべきということではない。程度や認識はともあれ世界的に先進国がとっている方策と離れているようには見えず,実際にある程度の効果はあげるだろう。COVID-19のもたらす健康的・経済的・社会的影響を抑えるためには今しばらくは現状を続けるしかない。それがいつまで続くかはわからない。個人的には慣れてしまったもんは仕方がないのだからその方が都合がよい。

 さて,重要な論点が「コロナ対策が終わった後,適切に制限を解除し,自由を確保できるのか」という点である。今,自由は制限されている。確かに,緊急事態宣言下でも我々は自由に国内を移動でき,危惧していた警察力の強化も,警察官の感染コロナ対策にキャパシティを割くことによる基礎的な治安の悪化の懸念などから二の足を踏んでいる。しかし,私たちが基本的に消費社会の下に生きている以上,そしてその多くが未だ対面で行われる以上,「不要不急」店舗の閉店は私たちの実質的な行動の自由を奪っていく。インターネットにおいても,そもそもCOVID-19関連の情報が洪水状態にあり,多様な情報に触れ,発信する機会が急激に減った。

 下手なことを言っちゃいけないと思い,Wikipediaの「自由権」の項を見たところ,驚いた。今の状況で,精神的自由権経済的自由権の多くが制限されているではないか。礼拝は三密で制限されている。学校は閉鎖。集会やデモは元から終わっている。今海外渡航したり,都民が疎開したら村八分。夜の仕事は選べない。今まで整理しなかった私が悪かった。

 正直,この記事を構想した段階では,表現の自由,集会・結社の自由についてだけ述べるつもりだった。そして,日本にデモを許容する文化,健全な議論や政権運営を行える野党など,それを支える基盤がないことも述べるつもりだった。だが,実際の状況はそれより悪い。もう少し整理してから続編を書くことにする。皆も考えるとよい。

緊急事態宣言に向けて

基本的にこのブログでは自分の人生のこと以外はネタにしたくないのだが,事ここに至り歴史的な事態となりうるため,いくつかメモランダムを残しておく。

現在の体制について

 そもそもなぜ感染症でここまでの事態になったのかについて,私の認識を示しておく。100年前と比べて,感染症で人は圧倒的に死ななくなった。それは,「人を死なせない国家にすべきである」という特にベトナム戦争以降の先進国に対する考え方から,最優先事項の一つとなった。感染症対策は他のことすべてを犠牲にしてでもなすべきことであり,微妙なバランスによって成り立ってきた社会の成り立ちにも容赦なくメスを入れていく。その過程で芸能を中心とした文化の消滅や,少数の死者が出たとしても仕方がないという立場だろう。これを止めることは難しい。戦争を目的とした総動員は悪だが,感染症対策を目的とした総動員は悪ではないからだ。そして,感染症対策の専門家は意図せずして強い政治的発言力を持つことになり,彼らはより権力を求めることを目的とする集団に積極的に協力することになるだろう。

警察力の強化について

 これは高確率で起こると考えている。というか,外出自粛という話が出てきた当初から,可能だった。例えば交通安全キャンペーンなどで,街中に警察官が多く配置されるのを見た人は多いだろう。また,点数稼ぎのために自転車泥棒を捕まえるべく怪しい自転車利用者を片っ端から止めるのを見た人もいるだろう。実際のところ,ある程度の動員は定期的に行われており,その延長として主要な交通の結節点,駅周辺や幹線道路の交差点などにあまねく警察官を配置することは可能である。そして,彼らが片っ端から職務質問を行い,その後に「家に帰りなさいよ」と言えば,それを無視して移動したがる人は多くないだろう。

散歩について

 どうしても人と会いたい場合,散歩は許可されている有用な手段となる。散歩という大義名分がある以上,止めることは難しい。世界的に有名な散歩として「汎ヨーロッパ・ピクニック」がある。複数人で場所を決めて散歩することは可能であろうし,小規模な集会も可能だろう。もっとも,現状においては外を出歩くことは危険であり,いつ感染してもおかしくない。最小限行う最後の抜け道の一つにすべきであると考える。本来必要もしくは急を要することであっても,政府や警察にとって「不要不急」と解釈される可能性はある。

コロナウイルスが私の生きる手段を否定していく

 私は生来の障害のため多少人と違った生き方をしており,そのような生き方は普通はスポットが当てられることはない。しかし,昨今のコロナウイルスの件でいろいろ明るみに出てきて,私が何年も生き延びてきたやり方が安易に否定されていく。正直疲弊しており,あまり長文を書くことができないし,考察もできないが今の段階で吐き出せることを吐き出す。

リモートワーク狂騒曲

 私は規則正しい生活をすることができず,人が近くにいる環境で仕事をすると恐怖で動けなくなってしまう。だからリモートワークで正社員の仕事をいただき,今月で8年になる。やっていけたという事実はとりあえずあり,特別扱いされているということはない。普通に仕事をできており,できてないのは案件の性質が悪いせいだと言える。

 コロナウイルス後,多くの人間がリモートワークを始めた。始められなかった人間は最初から怨恨を振りまいている。始めた人間も,今のところ良い印象を持った人は少数派で,やりにくさや,人とのかかわりの薄さなどの否定的な意見が多い。

私は思った。やはり私はこの世で多数を占める人とは違うのだ。

酒に金を払うことによるコミュニケーション

 私は人に自分から話しかけることができない。だから,基本的に最初から集まっているか,もしくは人から話しかけられないとコミュニケーションがとれない。その例外がバーである。バーでは金を払って座っているのだから,クソみたいなことをしなければとりあえずバーテンとはそこまで邪険にはされない。常連もいるし,ある種の仲間意識のようなものもある。結果的に飲み屋でのコミュニケーションが私の人間関係の主を占めている。

 さらに面倒くさいことに,私は定期的に人と話さないと精神が不安定になる。精神が不安定になると最悪の場合自殺未遂をする。それがなぜかはわからない。だから,バーの盛衰は私の生き死にを左右している。しかしバーの一生は人間の一生より短いため,それではいけないとここ1年試行錯誤しているが,まだ代替案は見つかっていない。

 さて,東京都内でのコロナウイルスの感染経路にバーやライブハウス,その他いわゆる水商売が多いことはもはや事実であろう。本日,ついに都知事の会見によって目の敵にされた。それに伴い,普段行かない人から「私には影響がないから問題ない」との声が多数出てきた。いわゆるサイレントマジョリティというやつで,恐らく他の様々なことに恵まれているのだろう。ライブハウスやクラブなどは,文化の拠点として生存をかけて頑張っている。しかしその声は多くの人間には届かないように見える。

私は思った。やはり私はこの世で多数を占める人とは違うのだ。

本当は私は生きていてはいけない人間なのかもしれない

 言いたいことはこれに尽きる。正直,コロナウイルスが突然死を招くならさっさと殺してほしい。私は人から色眼鏡で見られるような生き方をしてきた自覚があるし,できるだけそれを考えないように,もしくはバレないようにしてきた。しかし今この時点において,もはやそれは通用しない。

 当然コロナウイルスとの戦いは行っている。外食を一切避けるためにカップヌードルを大量に購入し,食べている。バーに行くのも我慢している。その上で多数派の声にも耐えなければならない。お前が普通にやっているリモートワークは変なことだ,もしくはバー通いなんて変なことだ,そういった声に押しつぶされそうになる。成人して15年間培ってきた生き方が否定されていく。

多数が言う。私に死ねと。

「お前がだめなわけじゃない」

 皆がそう言う。しかし,仕事や研究でだめな成果を出し続けてきたし,それは共通了解である。また,「これこれの理由でだめじゃない」という根拠のある説明を聞いたこともない。その結果,私はだめでありつづけ,だめな成果を出し続けることを止めることができない。

 その結果人が怖くなった。根本的なところで食い違っている。私には親も資産もない。だから能力を発揮して生きていくしかない。それができていないことに非常に危機感を感じる。しかし人はそれを覆い隠そうとする。人同士が安易に互いに認め会えるのは,恵まれているからだ。私はその輪の中にはいない。

 このようなことを闇雲に吐き出してもどうにもならない。説得的に論じないといけない。

コンピュータに関する知識が枯渇したので勉強している

 3D地理空間情報(点群)+AR+土木という,一見典型的に見えてあまりそうでもない仕事をしている。モバイル環境でのAR技術は,恐らくこの10年で,今普及しているものよりも計算量の面,データの面で圧倒的にリソースを食うようになるだろう。その一端に触れている。

 このため,今年度研究開発からプロダクションレベルに移行するにあたって,基礎的なCPU,メモリ,I/Oなどがボトルネックになった。そもそも今存在するタブレットなどは,それ自体で高度な計算をするように作られていない。その中で様々なボトルネックが発生し,それはアプリケーションのレベル(React Native for Windows+WebView(edge)+Three.js)で対応できたり,OS/ハードウェアのレベルで対応できたり,対応できなかったりした。

 関連各社で性能的に厳しいことをしているという認識は共有されているため,顧客に「強い」エンジニアが付いたようだ。下請けという関係上コミュニケーションは制限されていたが,「強い」ことは明らかだった。

 この状況下で,ある機能でパフォーマンスの問題が起きた際に,私の力量のなさが浮き彫りになった。正直アプリケーションの方では対処のしようがなく,調査結果の回答にあぐねていた。その間に,「強い」エンジニアからOSレベル,CPUレベルのサジェスチョンが来た。

 結果的に,これに関してはOSレベル,CPUレベルでなにかしても顕著な改善が見られず,妥協するしかなかった。しかし,これは私に強い危機感を与えた。一応私はそれなりに技術があるということで雇用されているが,勤怠を守ることができず,人と対面で喋ると負担がかかり,最悪の場合倒れてしまうのでほぼリモートワークである。なので,技術を失うと即仕事を失うことにつながる常に背水の陣である。そして,私に基礎的なコンピュータサイエンスの知識がないことが露呈した今,その陣の一つが崩れた。検査通ったから良かったねではなく,OSやCPUに立脚した議論ができないことが露呈したことが問題である。そして,こんなニッチな仕事には,転職先がない。死だ。死。

 オープンソース技術を活用するということは,むしろ基礎的なコンピュータに関する知識を要求する。ソフトウェアの内部がブラックボックスになるためだ。最終的にはOSやCPUなど,ソフトウェアの実行環境の仕組みについて理解する必要がある。

 私は東工大附属高校から電通大の情報通信工学科に行ったが,3年次で身内の不幸により精神が弱りドロップ・アウトし,社会学に行ったところ働きながら博士課程をするところまで行ってしまった人間だ。コンピュータサイエンスへの興味関心はあったし,高校3年あたりから大学のシラバスを参考に独学しようとして撃沈し続けていた。「コンピュータサイエンスのカリキュラムで何を学ぶか,学んだ人間に何ができるか」は知っていても,やってはいない。だからわかる。私には知識がない。

 とりあえずどこか都内の大学院を受験することを検討した。東大,東工大JAIST電通大放送大学(一見して本格的なコンピュータサイエンスはできなさそうだが,実際はやろうとすればいろいろできる)を検討し,サイコロに割り当てて振ってみたら東大が出たので「ハアー」と思いながら東大の情報理工学系研究科の入試情報を見た。過去問を見た瞬間私は不合格した。

 しかし,東大のサイトで得たものは大きい。

www.i.u-tokyo.ac.jp

お前らウチに来るならこれ読んどけという書籍が並んでいるのだ。これを理解すれば,とりあえず面接の際に「君は教養がないようだねェ」と1人の教員が言い,他の教員が「ハハハ…ハッハッハッハッ…いやすみませんねえハッハッハッハッ!!!…あ,君まだいたの,わかっているでしょう,帰りなさいよ」と言われる危険はなさそうである。人は,クズをみたら笑う。そこに礼儀は関係ない。

 そしてもう1つ。少なくともアルゴリズム形式言語理論,計算機アーキテクチャに関しては私が高校3年の頃,17年前と教科書は変わっていない。つまり,挫折しながら積み上げてきた経験を途中から引き継ぐことができる。OSに関してはタネンバウムの諸書籍よりこちらがいいだろう。論理学に関してはvan Dalenは全く定番で,ちょこちょこ学んでいるので普通に続ければ良い。ということでこれらを教科書とする。

 大学院に話を戻すが,実際のところ社会人院生を続けている身としては,正直もう金が無い。また,フルコミットもできない。なので,実質的に放送大学しか選択肢はない。単位も取ってあるというアドバンテージがある。研究テーマをコンピュータサイエンスの知識を総動員する必要があるように適切に選択すれば,つまりある種「教育的な」研究テーマを選べば,実際に手で動かすことで理論をより理解できるだろう。実際にどうするかは8月までに決める。

 私の「末路」を暗示する記事を見た。

gendai.ismedia.jp

低体温はあるし,セルフ・ネグレクトも疑っている。このくらいまで生きるとすると,最大であと15年生きることになる。それまでにどうあがけるかというと,今は知識が必要だ。

メモ:

MSc Computer Science Online - York – Study Online

好きに生きて死ぬということについて

昨日,博士課程の最後の在学延長書類を提出してきた。

祖母が亡くなり身寄りを失った障害者になった中で,「これで終わりか。無理に決まっているが博士号だけが心残りなので,一通りやって,好きに生きて,それから死ぬなりなんなりすればいい」と覚悟を決めて入学してから,書類が通れば6年目になり,1年後に単位取得退学となる。

正直,職業研究者にはなれない。優秀な人は一瞬で私を追い抜き,とっくの昔に私からは見えない場所にいる。入学してからこの年まで,業績という観点では私はビリであり続けてきた。社会人学生であることを鑑みてもあまりにもひどいといえる。今日も論文に向き合っているが,26ページを25ページにおさめるのにどこを削ったらいいか皆目見当がつかない。

一応大義名分として,インターネットという障害者である私がある程度平等に振る舞える場が,どのようにうまくいっている(もしくはいない)のかを研究するということがある。しかしそれが私の生きやすい世につながるかというと研究だけでは足りない。率直に言って,自分の知性がどこまでいけるか試したいという願望だけがあった。

私はそれに多くの犠牲を強いた。2015年以前の多くを失ってしまったし,30代前半という一種の人生の地ならしをする期間に何をやっているのだというのもある。また,この数年間会社に居続けられたのは奇跡としか言えず,関係する皆様には感謝しかない。

この時期になると,「次何をするか」を考えないといけない。今までのことを続けても数年は生きられないだろう。かといってさっさと死ぬのも怖い。だから新しい生産や社会参加の手段をいろいろ模索したり,新しい心の拠り所としてVTuberを開拓したりしている。

それら外部のことが整って初めて研究もうまくいくものだろう。人文の研究は実家に恵まれていないとできないという身も蓋もない話があるが,私に実家はない。もしくは才能があればやり遂げることができるが,私にはなかった。しかしそれでも,ある程度まで続けてしまった以上この研究テーマとは1年後も付き合っていくことになる。

結果的に中途半端な生き方を続けていくことになる。まあそうなると思っていた。それも因果だと思うしかない。そういう生き方をしなかったらとっくに死んでいる。

そこで人生の「最期」というものが見え始めてくる。死ぬとき私はどういう状況にあるのだろうか。粘って社会にかじりついて日銭を稼いでいくか,それとも諦めて破産して生活保護を受けるか,他にも絵空事を含めて色々浮かぶがどれも現実味がない。現実味はないが現実はやってくる。そんなに遠くはないだろう。体感で15年ほど人生の猶予をもらってきた。しかしその先の15年も私の存在が許されるとは思わない。

「好きに生きる」ことのゴールとしての「好きに死ぬ」ことは,私には贅沢すぎる。