インターネットってクソだよねー的な話について

ガード下 Advent Calendar 2017

なんかインターネットはクソだみたいな議論があって、割りと一般に共有されてる感覚なんじゃないかなーと思い適当に書いていく。

まず、「インターネットはクソ」の類型を適当に並べると

  • 情報を探す媒体としては、中身がなかったり嘘だったりとクソみたいな記事が大量にある
  • コミュニケーション媒体としては、単に感情を吐き出す場になってて、集まっても炎上させたりろくなことしないからクソ

というあたりだと思う。

 もしインターネットしかなかったとしたら、インターネットは人々の日常なので、「人間クソだねー」という話になるので、そこには比較対象があると思うのだが、まあ現実世界のことだと思う。例えば組織におけるコミュニケーションはだいたいシュッとしているし、紙媒体もだいたい正しいことが、だいたいちゃんと書かれている。

 インターネット、というかWebの可能性として言われてきたことは、情報発信やコミュニケーションを個人が自由にできるようにすることで、これらの現実世界の特権から解放されてもっと良くなっていくんじゃないかということだった。そして、それはうまくいかなかった。裏切られた、インターネットはクソだ。そういったものだと思う。

オルタナティブとしてのインターネットはあまりスジがよくない

 この「現実世界の特権から解放されてもっと良くなっていくんじゃないか」というのは、明らかにオルタナティブ、つまり今の人生と違った代わりの人生を探す考えである。その観点では、今Webで流通していることとしては(そうでないことについては山下陽光「バイトやめる学校」などに詳しい)

  • アフィリエイトブログや仮想通貨など、多くの人がやっている方向をやるか
  • それとも、才能がある人間やすごい努力を出来た人間が「俺はやっていった」と新しい方向を切り開いていくか

のどちらかだと思う。まあこれは一種のディストピアである。昔からやっていった人間はやっていったし、流行っているものに飛びつくなら雑誌を読めばいい。インターネットに独自の「代わりの人生」などまるで流通していない。

 むしろ、それを阻害する要因をインターネットは多大に提供してきた。今の人生が嫌だと思っていたら、酒を飲んで、さらにソーシャルメディアで愚痴を書けば良い。また、「こういうことをやってみたぜ!」と報告しようとしても、SEOを行う大量のクソブログの中に埋もれてしまう。知識として溜まっていかない。そもそも、あまり大したことをしていないと思ったら、情報発信をするモチベーションがわかない。

しょぼい人生ノウハウを公開するという方法

 さて、ここから1つの可能性を検討するわけだが、その前に人生に関する問いをしよう。ここに、適当な人生を持ってきました。

表1 ライフプラン表の例 ― ヤングファミリーのためのライフプラン|知るぽると

これとほとんど同じ人生を送ってきた人はどれだけいるだろうか?まあいるとは思うのだが、本質的な話ではない。ここで言いたいことは、それぞれ異なった人生を歩んできて、それぞれの生活を楽にする習慣なり、少しでも何か他の人がうらやむことがあるかもしれない、ということだ。

 宗教だとここで「あなたの人生をグアっと変える方法があります!」とか言うのだが、私は宗教家ではないのでそれはやらない。重要なのは、いろいろな人がインターネットに参加して、情報発信とかコミュニケーションができるようになったにも関わらず、どうして生活を楽にする習慣とか、人がちょっとうらやむような物事や金を稼ぐ方法とかに簡単にアクセスできないのだろうか?ということである。そういうことは極めて基本的なレベルで共有されていない。私は、祖母がなくなって一人で実家に暮らすようになった際、まず洗濯機の使い方から学ぶことになった。

 ギークハウスの pha は、そのあたり書籍でうまくやっている。「持たない幸福論」(だったっけかな、違う、「ひきこもらない」だ)とか、本当に大したことのない生活習慣を大量に集め、パッケージ化して誰でもphaの生活をできるようにしている。先程紹介した山下陽光「バイトやめる学校」は、「誰でも自分なりの稼ぎ方ができる」と銘打っているが、正直彼自身の才能があるので俺は出来ないなーと思う。

 重要なのは、こういったなんでもない事柄をWebで発信したりアクセスできる状況にはないということである。ちょっとした工夫やノウハウは、金につながるものにせよそうでないものにせよ、人生を変えることにつながる。そういうのを手軽に発信して、自分に合ったもの合ってないものを探せて、自分なりにやれて、さらにその経験を共有して情報源にしていく。そういったものがあると良いんじゃないか。

 というのも、私は質問回答サイトStack Overflowの研究をしている。その中で、「なんでもない事柄」を気楽に共有し、アクセスできるようにすることが、どれだけ巧妙な仕組みで行われているかが少しずつわかってきた。そのなんでもなさは尋常ではなく、vimを終了させる方法が100万人の役に立っている。質問回答というのは人から知識を引き出す良い手段で、しょぼいことを発信することには障壁があるが、しょぼいことを聞いて答えるという形になったら一気に楽になる。そして、自分が当たり前だと思っていることでも、聞かれて答えることで言葉にできる。まあそういったことが積み重なって資源となる。

 今の段階では、Webエンジニアなどの職種が幅広い人々に門戸を開いていることからして、プログラミングをできるということがオルタナティブの1つとして見られることもあるが、それは知識に簡単にアクセスでき、オープンソースという形で道具にもアクセスできるということに基づいている。そして、質問回答はその手段の1つとして、メーリング・リストの時代から確立されている。だからといって誰でもエンジニアになれるわけではなく、N高のプログラミングコースの終了率や、今は手元に論文がないが、MOOCsのコースの終了率が高くないことに、それが見て取れる。しかし、知識だけはアクセスできる。

 そういったことを、もっと幅広い領域でできたら、インターネットはクソでなくなるのではないか。その中にはプログラミングと共通する方法もそうでないものもあるだろうし、簡単な道ではないだろう。だがしかし、今のインターネットの無力感を打破する一つの手段ではあるだろう。ここでは知識のアクセスの問題を扱ったが、ほかにも色々あると思う。

それでも俺は圧倒的な世界を見たい

ガード下 Advent Calendar 16日目

 このブログで継続的に書き続けているとおり、私は人を自由にする技術を継続的に考えている。だからといって何か特別なことをしているわけではなく、人文社会系の研究の進め方は、基本的な点では似通っており、それを忠実にたどっている。私などが解説したところでたかが知れているのでKMDの奥出先生の議論を引用しよう。

okude.blogspot.jp

 これは非常にクリアに書かれているので、いかなることをしている方でも読んで損はないと思う。研究は知識の連鎖から成り立っている。そして、その中に自分のなすべき課題を論理的に構成していく。それをできたところでようやく自分の思考が自由になる。

 私は技術と人の関係の中でも、専門的な知識の在り方、専門性へのアクセスの話に焦点を当てている。当然、これも過去の知識の連鎖の中に位置づける必要がある。そして、それを始めて既に1年半が経過している。

 基本的に、知識はちゃんとまとめられていたほうが良い。一方で、それからある意味ではみ出した、誰でも情報を公開でき、知識をつなげる手段も柔軟になったWebは、人が物事を行う可能性を広げるという主張がずっとなされてきた。しかし、これはまさにいま書いている論文の核心なので詳しく述べないが、ほとんどの既往研究はWebをそう見ていない。

 人の自由と技術の問題については、学術研究においては問題を提起することすら難しい。ハイパーテキストの提唱者の1人であるTed Nelsonは、皆誤解しているが社会学者である。彼はタルコット・パーソンズが設立したHarvardのDepartment of Social Relationsという大学院に1960年に入学し、そこは間違いなく世界で最高の社会学の研究拠点だった。全くもって社会学の正統と言える。そして、彼は入学した途端にコンピュータにハマった。その中で、小集団研究の(エスノメソドロジストにとっては、「エスノメソドロジー命名の由来」でよく知られた名前だろう。もしくはStudiesの1章の事例にも出てくる)Freed Balesによって「コンピュータは人の個性やアイデアを表現する最高の道具だ」との示唆を受け、その考えは数年後にハイパーテキストとして結実した。

 しかし、ハイパーテキストはその当初評価されなかった、いわば鬼っ子であった。ハイパーテキストの原論文はACM(当時はCHI、SIGGRAPHなどの分科会はなかった)で発表されたものとされているが、実際にはその前にWorld Documentation Federationという図書館情報学の学会で発表された。その時に杜撰な扱いを受けたようで、具体的な箇所は忘れたが「リテラリーマシン」では「図書館学の人々にはわからんだろうが」みたいなことが書かれている。また、自伝ではほんの少ししか語られていないので何かあったのかと思うのだが、パーソンズとうまくいかなかったようで、大学院を修士号をもらって中退し、イルカの知性の研究に従事し「イルカは素晴らしかった」と述べている。ここからはよく知られていることだが、40年後に慶應義塾SFC論文博士を取得している。どうやら、ハイパーテキストは、その構想段階では、いろいろあったようだ。そして現在もいろいろある。

 その後、様々な概念やバズワードが産まれては消え、その際に毎回「人を自由にする技術」としてコンピュータが注目されてきた。恐らく、私もその1人なのだろう。しかし、その側面を知識の観点でちゃんと見てきた研究は、ほとんど見られない。一種のアンタッチャブルな話題として扱われてきたか、もしくはうまくいかなかったのだろう。

 話を戻すと、私は現在保守的な研究がほとんどを占める中で、自分の理解したい方向に話をつなげていくという状況にあり、その間を埋めるのは本当に骨が折れる作業である。特に私は

niryuu.hatenablog.com

で書いたとおり、一回社会から切り離されている。そういった状況に置かれた人々をどうにかしたいと考え、今の研究をしている。これは奥出先生のこの記事

okude.blogspot.jp

でいうところの「情熱」であり、譲ることができず、またそうだからこそ難しいことを行わなければならない。しかし、しかしこれは心が折れる作業である。そして、既往研究をまとめた帰結として当然「このような研究は難しい」という考えに至る。このような状況下で、精神が非常に不安定で、昨日ゼミで発表した際は、我慢を続けていた感情がついに表に出てしまい、皆に迷惑をかけてしまった。

 このまま闇雲に続けるわけにはいかない。少なくとも自分がどういった状況に置かれているかくらいは知っておかないと、人に迷惑をかける。「情熱」は、エゴだ。だから、学術的な議論として説得的に語らなければならない。そこで、自分が前に書いた記事を思い起こした。

niryuu.hatenablog.com

 私は、自分を「圧倒的な人間を見ているだけの人間」として自己規定してきた。しかし、今私がやろうとしていることは様々な観点から見て難しい作業で、正直に言うとどこかを妥協するのが、博士号に向かう正統な道だろう。しかし、しかし、単に博士号を取るためではなく、自らの知りたいことを知るために大学院に来たのだから、その道は選びたくない。

 だとしたら、結果的に私も「圧倒的な人間のやっていること」に足を踏み入れている。それはそうだ。「できる」と言っているのは圧倒的な方々で、彼らにとってはできると想定できることなのだから。そして、私には残念ながら一定以上の才能はない。結果的にどこかで物凄い負担が来るということになる。そして、耐えられず他の方々に迷惑をかけてしまっている状況にある。

 上記記事の「圧倒的」概念の基になっている小説がある。

やる夫短編集 (,,`д`)<とっても!地獄編 【やる夫で】学ぶ冒険者生活の現実【世界樹の迷宮Ⅱ】

簡潔にまとめると、主人公は職にあぶれ、死と隣合わせの迷宮で稼いでいる。その中で、街で一番強いギルドに偶然入ることができるも、迷宮でも下層にあたるところに現れたモンスターに、自分より明らかに強い面々が斃されてしまう。そこから様々な選択が出てくるのだが、物語の正式なルートでは、直後にどんな敵でも一瞬で倒すことのできる強さを持ったギルドが現れ、彼らに同行することに成功する。そして、迷宮の最上層に向かう直前で、最後の選択を迫られる。これ以上は同行させることはできないと言われるのだ。そして、これまで同行させてきた理由は、街で一番強いギルドが壊滅したトラウマにより、自分で自分の能力に枷を課していたように見えることであり、そしてそれが解消された今、自分の身の丈に合った「冒険」をすべきではないかということである。そこで「身の丈に合った冒険」をする方向に進むと、街で一番強いギルドの敵討ちをしようとし、死んでしまう。しかし、別のルートでは主人公は最後までついていくことを選ぶ。それを、圧倒的な人間はこう表現する。

一歩下がって過去と対決するのではなく
前に突き進む事で過去を葬り去る
その為の手段は問わない、方法は選ばない、自力にこだわらない
結果としての果実を手にする事で
全てを解決させる―――

 祖母が亡くなり天涯孤独になり、これからの人生をどうしようかと考えていた私は、これを読んで行くところまで行ってみよう、いや、行ってやろうと思った。一方で、この連載中に付いたレスではこう書かれている。

言ってることは決して間違いじゃないとは思う
自分の力で道を切り開けず野垂れ死んだものより、寄生してでも目的を果たせたものの方がいい、と考えるのはありだろ
他人の目から見てどう思われるか、とかそういうことを一切考慮しなければ……

 正直に言えば、私などは出来の悪い博士課程学生の1人に過ぎず、私の研究などに関心を持つ人などいないと考えている。その点で、私は「寄生して」いるだけであった。しかし、私が見たいのは単に寄生しただけでは見られないことである。

 この研究は恐らく失敗する。どうしようもない形として。しかし、それでも俺は圧倒的な世界を見たい。道が問われている。

 図を書いてみたが、恐らく答えは出ていそうな気がする。

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生きる手段としての情報技術の構想

ガード下 Advent Calendar

の4日目です。渋い話をしたいときはご参加ください。

今日話すのは,以下の記事でいうところの

niryuu.hatenablog.com

「その冬,母親が俺の受験と祖母の借金でいよいよ疲れたのか,狂った.」からの2年間,中学時代の地獄の日々において,情報技術に願いを託した経緯である。

私が置かれていた状況

  • 母親はあからさまな統合失調症の症状こそ示してしなかったが,私を疲れて寝るまで怒り続けることで自身を保っていた。そもそも,元のてんかんでいつ亡くなるかわからなかった
  • 実家の2000万円の借金の問題は解決されていない
  • 私の体はどうやら非常に弱いようだ。あと恐らくADHDか何かの障害である

ということで,いつ状況が変わって自分が路頭に迷うかわからない状況だった。それは,いつ起こるかもわからない。そして,路頭に迷ってできる仕事といえば力仕事であるが,体が弱く生きていけないだろう。

それゆえに,大学を目指してはいたが,いわゆる新卒で会社に入って安定して暮らす,ということは難しそうだ。まあ30くらいまでは生きたかった。

生きるために何を考えたか

生きるためには,戦略が必要である。まず,手に職を持っておけば少なくとも有利と考えた。

それ以来,図書館にこもってひたすらコンピュータ,情報工学などの書籍を読み続けた。ある図書館の本を大体全部読むという乱読だったので,身になったものもそうでないものもある。プログラミング言語については,99年当時で図書館で最新のものはJavaで,基本的にはBASICやCである。awkなどの本も読んだが,「日常のことについて簡単に書くことのできるツールがある」ということくらいしか(それはそれで重要である)わからなかった。LinuxTCP/IPなどについても乱読したが,そもそもPCがなかった。まあ,実際にコンピュータを手にしてみて割と楽にサーバー構築からコードまで書けたので,概念や基本的なコマンドは身についていたと思う。珍しいものだとNEWSワークステーションの解説書だろうか。NEWSを触る機会はないと思っていたが,プロフェッショナルのための道具がどうできているか知りたかった。「ワークステーション」と名のつくものを初めて手に入れたのは先日である。

それと同時に,重視していたのがコンピュータの歴史である。そもそも,なんでコンピュータというものが登場して,どういった変遷を遂げたかを知らないとコンピュータに何ができるかはわからない。そこで欠かせないのが,最初期,つまりENIACからメインフレームに至るラインと,パーソナルコンピュータの発展史,つまりMEMEX,エンゲルバート,リックライダーなどから,Xerox PARCのAlto,Macintoshに至るラインである。特に後者の理想に惹かれた。恐らく「思考のための道具」あたりの史観が最も共有されているものだと思う。以下は新版である。

新 思考のための道具 知性を拡張するためのテクノロジー ― その歴史と未来

新 思考のための道具 知性を拡張するためのテクノロジー ― その歴史と未来

 

それに加えて,アラン・ケイの「パーソナル・ダイナミック・メディア」なども読んだ。

アラン・ケイ (Ascii books)

アラン・ケイ (Ascii books)

 

やはり,「人がものを考えるのを支援する道具」としてのコンピュータに可能性を感じた。というのは,要は「突然路頭に迷い,社会から切り離されたらどうするのか」ということを考えているのだから,その際に人の助けに頼ることは難しい。しかし,コンピュータなら助けてくれる。これは一つの基本的なトーンである。

もう1つ,99年といえば欠かせないのがインターネットと今後来るであろう第三世代携帯電話である。そもそも,路頭に迷っても社会から切り離されない方がいい。例えば,メールアドレスしか知らない相手に連絡を取って仕事をもらう,みたいなことが可能であると考えられる。今では普通であることが全部未来だった。

そして,図書館で本読みにのめり込んでいる過程で,もう1つの考えに至った。「生きるためには情報が必要だ」。図書館の本を大量に読み,新宿紀伊国屋などで立ち読みをし,自分の力だけでは得られない知識があることに気づいた。1つが難しい話で,どうやっても読めない本があった。もう1つが属人的な話で,人と話さないとわからないことである。こういったことが流通すれば,もっと生きられるようになる。インターネットは,その可能性を広げるだろう。

さて,その上で,「もし自分が突然路頭に迷ったら,どう生きていくか」に戻ると,「その時にはインターネットがもっと発展しているだろうし,PCを持っていればどうにかなるような仕事,例えばプログラマーやライターの仕事を頼める人とつながっていれば,生きていけるのではないか,多分30までは生きられる」という結論に至った。

その後の変遷

結論から言えば,母は大学在学中に亡くなったが,路頭に迷うことはなかった。一緒に暮らしていた祖母も2014年に亡くなったが,路頭に迷うことはなかった。2004年にライターになり,2010年からはプログラマーもやっている。私は障害を正式に認定された。結局のところ,「働き方改革」などと言っても労働の仕方は変わらず,割と重い発達障害を抱えた私が就ける職場は非常に限られる。その意味で,「常に路頭に迷う可能性がある」のは変わらないと思い,当時考えた体制をまだ続けている。

もっと私が暮らしやすい社会にしたい

私自身は,当時の構想がうまくいったと思っているのだが,正直運と才能に恵まれていたというのを感じる。執筆に関しては編集の方からは評判がよく,プログラミングにも向いていた。一応社会性のなさをひっくり返せるくらいにはいけているのだが,この先どうなるかわからないので,一般的な技術の研鑽の他に特殊技術の研究開発を行っている。そして,いかんせん実家が残ったのが大きい。何度も破産しかけて,私が救おうとデスマーチ案件をやって金を稼いだこともあった。家を守れたのは幸運である。そして,これはあまり言いたくないが,母親が亡くなったのは,幸運である。

まあはっきり言って,これは普通の人とは別の形で人生をうまくやっただけで,「路頭に迷ったらどうするか」に対する答えになっていない。そして,その答えを出せない限り,私は納得できない。だから,個人で,大学院で研究を続けている。

「PCを持っていればどうにかなるような仕事,例えばプログラマーやライターの仕事を頼める人とつながっていれば,生きていけるのではないか」という前述の主張をもっと一般的な形で表現すると,

  • 専門的な仕事に誰もが入っていくことができ
  • それを可能な限り柔軟な形のつながりで行える

ということになるだろう。これにさらにもう1つ加えたい。

  • このような体制を,様々な領域で行える

人には向き不向きがある。プログラマー,ライターなどだけでなく,いろいろなことの入り口が開かれていたほうがいい。もちろん,どうしても不可能なこともあるだろうが,思ったよりいろいろできるのではと考えている。

結論

ありません

橘ありすと「クール」 - SSR[ありすのティーパーティー]橘ありすを深読みする

ガード下 Advent Calendar 2017」を作ったはいいが、私のガード下についてはこの記事で既にまとめてあり、特に書くことがない。

niryuu.hatenablog.com

なので、アイドルマスターシンデレラガールズの記事を書きます。

クール・タチバナの衝撃

アイドルマスターシンデレラガールズについては、今はいろいろな展開があるが、私はアニメから入った。モバゲーの方は2012年にエンジニア界隈で大流行したが、私はその波に乗れず、2016年にようやく始めた。

アニメを見たきっかけは、私の行きつけのバーが事実上のアイマスバーとなっているので、話を合わせるためにアニメを見ようと思ったからだ。とはいえ忙しく、アニメを全部チェックするほどのオタクでもない。面白いものを選んで視聴している感じだった。「私がこのアニメを観る理由はなんだろうか」。2話を5回観た。正直CPのみんなについては決め手に欠けていた。そんな中、目にかかったのが上条春菜である。春菜を目当てに視聴を決定したが、春菜が次に出てきたのは16話である。

さてアニメ終盤、デレステが登場した。私は相変わらず春菜Pだったし、比奈、ユッコなどにも目を向けていた。そんな中、「敷居が高そう」と感じたのが橘ありすである。いっぱんに真面目な小学生というのは苦手だ。そう思っていた。

2016年3月、ありすが上位報酬のイベントが開催された。モバゲーの方では「ありすゲーム」と呼ばれるくらい熾烈なイベントがあったらしいので、単にイベントを楽しむために走った。結果的にイベントは大して熾烈ではなく、SR[オンリーマイフラッグ]橘ありすは簡単にお迎えできた。

その後、特訓後のコミュを見たところ、激しい衝撃を覚えた。自分がより年上のアイドルに追いつけないことを話している際に

そもそもプロデューサーもいけないんですよ。

私をあまり大人扱いしないから、

いつまで経っても差が詰まらないんです。

 という発言が出てきた。

--- 俺、何で怒られなきゃいけないの… ---

まあとにかく先を見よう。自分でいろいろ考えたらしい。

クールジャパンから発想を得た案……

名付けて、クールタチバナです。

今までに着たことのない衣装で、新しい一面を…

エッ、クールジャパンかよ…どこから発想を持ってきているんだ…

そして、クール・タチバナ後の「ホーム」画面、「ルーム」画面での

もう、ただの優等生ではありません。絶対的な橘が、ここにいます
(P)さんの反骨精神を、私も取り入れてみようと思って
旗を立てましょう。ここに。問題ありますか?
出口へ導いてください。いえ、部屋のではなく、心の!

といった尊大な発言に徐々に「個性的だなー」と思い始め、熱狂的に吹聴した。当時失踪していた友人にクール・タチバナについてメールを送った。返事は来なかった。私が個性的だと思うというのは、だいたい将来的に惹かれていくということである。

ストーリーから外れていくクール・タチバナ

ところが、ありすは親愛度が最高まで上がると

アイドルとして、やっと一歩前に進めた気がします。これでもう、私を子供だと思って笑う人はいなくなるでしょう。
な、なんですか?ほめないでください、(P)さん。せっかくクールに決めているのに、スキがあっては……。
もう、冷やかさないでください。顔が崩れます。くっ…クールタチバナはここまでです!つぎも新しい私をしっかりお願いしますからね。

と、クール・タチバナをやめてしまう。 そして、デレステにおけるありすは違う方向に進んでいく。

1) 一人の人間として「素直」になっていく橘ありす

 私はモバマスに途中から入り、ありすのカードも最近のものしか持っていないので、実のところあまり語る資格がない。しかし、ざっと様々な記事を見る限り、「素直」になっていく過程が、1つのメインストーリーだというのは認識していた。そして、それゆえにプレゼンで自分の趣味を出すことを実現し、魔導師を基調とした[ひかりの創り手]や、当時流行っていた動物のアニメに明らかに影響を受けた[賢者の翼]など、様々な展開が可能になったのだと思う。

 というか、ありすは最初からそのような素質を持っていた。この男の記事を引用する。

ch.nicovideo.jp

彼は本物の男で、本記事でありすについて深い洞察のある記事を書いたあとに

残るは自分の未熟な技量しかない訳です。これを克服しない事には、本気で何とかしない事にはとてもじゃないけど「橘ありすのプロデューサー」は、僕には名乗れません

(中略)

という経緯の元に、「強いオタクになるための修行」のために時間を作る必要があると感じました。そこで色々と考え、現時点で一番時間を消費しているのがTwitterだったのでアカウントを削除したという事です。

と言ってしばらくいなくなってしまった。私の「ありすP」に対する考え方は主に彼の在り方から来ている。それゆえに私も「ありすP」を名乗ることはできない。

閑話休題、氏はぷちデレラの衣装の名前に目を向ける。

で、なのですが。そんなN+のありすが身に纏っている衣装の名前、皆さんは御存知でしょうか。ぷちデレラの登場によって明かされたその名は「リミットレスギャラクシー」といいます。直訳すれば「無限大の銀河」でしょうか。徹底的に自己と向かい合い、ありのままの自分を受け入れて歩むという決意を抱くありすが、「無限の可能性」を想起させる衣装を着て、ステージに立つ。そんな姿が最初のカードにおいて描かれているんです。実はこれって、とんでもないことだと思います。

 この「無限の可能性」に向けて走り出したというのが、近年の動向だと思う。それを支えているのが個人としての「素直さ」である。自分の気持ちを素直に出せなかったら可能性は消えてしまう。だから、素直が必要なのである。これは、デレステでもクールタチバナの直後に登場したSSR[はじめての表情]橘ありすにおいても継承されている。そして、ストーリーコミュ「Be honest with yourself」において、ありすは皆の助けを借りながら難しい家庭の問題に対して「素直」になることができた。

2) チームの中で「素直」になっていく橘ありす

クール・タチバナが報酬となったイベント「LIVE Groove Vocal boost」では、初期を除いて基本的にイベント曲を歌うアイドル同士が一丸となっていくストーリーを見ることができる。クール・タチバナの場合は例外で、イベント曲である「Absolute Nine」をそもそもありすは歌っておらず、ストーリーもない。逆に、そうだからこそ「色物」ともとれるクール・タチバナを出せたのではと思う。

その後のイベントにおいて、ありすは他のアイドル達と交流を始める。一時期の勢いは凄かった。

これらのイベントにおいて、ありすは他のアイドル達の長所を見るようになり、ぶつかりながらも交流し、張り合い、イベントを成功に導いていく。この一連のイベントのコミュを見たら、間違いなくそこに成長、つまり、チームとのうまい関わり方を覚えながら、チームの面々に対して「素直」になっていくありすを知ることができるだろう。

クール・タチバナの謎

以上の2つが、典型的なありす像だと思う。2)はデレステ全体の基調とも言える。デレステのコミュでしばしば批判されていることは、「チームを重視しすぎて個々のアイドルの個性が出ていない、もしくは表現が制約されてしまっている」といったことである。チームワークはたしかに美しい。でもそれだけじゃない。

それを踏まえてありすに話を戻すと、1つの疑問が生まれてくる。「何でクール・タチバナを登場させたのか」。クール・タチバナはチームとは間逆である。自分で理想像を考案し、その通りに尊大に振る舞い、プロデューサーにも楯突く。孤高である。

1つの説明としては、この孤高さは、後に来るチームワークによる成長との対比なのではないかというのがある。元々チームワークができているアイドルと比べ、最初が孤高だったアイドルは「成長物語」として綺麗に描くことができる。

しかし、これには違和感がある。それならば、最初の孤高さはストーリーの中で描けばよいことなのではないか。最初の方は人と関わるのが下手だったのが、後になるとどんどん経験を積んで成長していく。それでいいのではないか。わざわざクール・タチバナなどは必要ない。

実際、「生存本能ヴァルキュリア」のコミュにおける有名なやりとりで、クール・タチバナはさっそくネタになっている。

夕美:クール・タチバナだもんね。

ありす:どうしてそれを…… !

 プロデューサーさんですか、そうなんですね ! ?

藍子:ふふっ。クール・タチバナ、楽しみにしてます。 

前述の親愛度MAX時の自己による終了と、このやりとりによる「ちゃかし」で、クール・タチバナとしての橘ありすはかなり弱められたと言っても良い。

しかし一方で、1つ気にかかることがある。少なくとも、

  • 親愛度MAXになるくらいまでは活動していて
  • 他のアイドル達にちゃかされるくらいには知られていた

ということは、一時期でもクール・タチバナで活動しており、そして恐らくその試みは成功していたんじゃないか。そして、もっと言えばクール・タチバナの方針は何らかの形で続いているのではないか。

謎解き:自己提示としての「クール」

先日SSR[ありすのティーパーティー]橘ありすが登場した。ありすが皆のためにお茶会を開くというコンセプトのカードである。これは一見してクール・タチバナと対比され、「チームワークを通した成長」の成果に見える。しかし、単純にそうでもないのではないかと考えている。

まず基本的な事項を確認する。

あれこれ考えて、準備をして、みんなに来てもらって。わいわい楽しんでもらって、後片付けをして。本当に、楽しいお茶会でした。
みんなにちゃんと楽しんでもらえたことが、すごく嬉しくて。あの喜びは、なんだかLIVEに似ています。ファンのみなさんから、笑顔を向けてもらえるあの嬉しさに。
きっとこれは、昔の私が知らなかった喜びです。アイドルになって、いろんな人やいろんなお仕事と出会って、(P)さんに教わった、私の一番の楽しみです。

(SSR親愛度MAX)

 「みんなにちゃんと楽しんでもらえた」ということは、まさに他のアイドル達との交流を大事にしていた証拠だろう。それがこのカードに一貫する、前述した2)のテーマである。それに加えて、ありすは自分が考えて工夫したことを他の人に評価してもらったことも喜んでいる。

最初は、ただみんなに楽しんでほしくて準備をしていました。でも、あれこれ悩んでいるうちに、自分の方が楽しくなっていて。人を楽しませるのって……楽しいですね。うふふっ。

(SSR親愛度100)

中には、私が考えたことに気づいて、褒めてくれる人がいて。
それだけで、こんなに嬉しくて、誇らしいものなんですね……!

(特訓後コミュ) 

それを踏まえて、ありすはSSR+のプロフィールにあるように、お茶会で「クール」に振る舞うことをやめる。つまり、それまでは「クール」だったのだ。その点をもって、ありすは基本的に「クール」として自己提示していると考えて良い。過去のイベントコミュにおいても、ありすは「クール」という言葉を自分の理想として何度か用いている。その上での「素直さ」あるいは「チームワーク」があり、そして時にはクールであることをやめることもできる。そのトーンを提示したという点で、「クール・タチバナ」は必要だったのだ。「クール」はアイドルマスターシンデレラガールズの属性を表す語でもあるが、それは作中にはない概念なので、導入したのではないか。これを一旦の結論とする。

ここからは間違いを臆さない深読みに入る。

まず、「オンリーマイフラッグ」と「ありすのティーパーティー」は、構造が類似している。

  • オンリーマイフラッグ:屋外のデリカフェで年上のアイドルにもてなされ、自分が追いついていないことを知り、クール・タチバナになる
  • ありすのティーパーティー:お茶会を開くことでもてなし、そこから得られた喜びを学び、「クール」に振る舞うことをやめる

つまり、もてなしたりもてなされたり、といった人との関係が、自己提示を変えるきっかけになっているのだ。この類似点が気になって、さらなる類似点を探していたところ、ありすがお茶会「おもてなし」をやっていること、そのものに関心が行った。特に、ありすがお茶会を開くにあたって行った様々な工夫や「考えたこと」は「おもてなし」であるといえる。ある意味でもてなされる相手を考えない形で、「こういうのがおもてなしだろう」という像に基づく文化を与えているのである。つまり、

「おもてなし」は、クールジャパンである。

クールジャパンに発想を得た案がクール・タチバナなら、「おもてなし」をやっているありすは、実は、クール・タチバナなのではないか。

間違いを臆さない深読みでした。

活動をゆるく強くする手段としてのWeb

要約

Webでの人々の共同作業はゆるくなりうる。現実世界もWebを使ってゆるくしていくと楽になるのではないか。

Web発の活動があまりWebっぽくないという問題

私は現実世界での人間関係にうとく,Webで自由につながった界隈にずっといる。オフ会に初めて参加したのが16で,今32なので人生の半分はそうだ。そのうち,Web発で現実世界で何かやろうという流れがぼちぼち盛んになってきた。ギークハウスもそうであるし,オープン・ガバメントも理想型としてはそうだろう。

一方で,ひとつの疑問が頭に浮かんでいた。Webから出てきた活動が,その主な活動を現実で完結させてしまい,結局現実世界の一つになってしまうということが多い。もっとWebの良さを活かした活動はできないのだろうか。それができないとしたら,なぜなのだろうか。

例えばギークハウスは創立者のphaさんがオープンソース活動との類似性を指摘しているが,そんなにWebっぽくない。チャットなどは活発だが,普段やっていることの多くは普通のシェアハウスと変わらない。参照元オープンソース運動にしても,カンファレンスなどが頻繁に開かれていることからして,現実世界の交流をおそらく必要条件としている。オープンガバメントに関しては,推進役は現実世界でのワークショップ,ハッカソンなどを主軸としていた。

例えば,「住む」ということを変えていくとしたら,どうすればいいのだろうか。例えば,「統治する」ということを変えていくとしたら,どうすればいいのだろうか。それを現実世界でやっている人も数多く見ている。しかし,Webから出てきた活動なら,Webが活動を支援する形で,もっと言えばWeb世界と現実世界が混ざった形で,世の中をよくできるんじゃないか。現実世界の良いところ悪いところ,Webの良いところ悪いところを都合良く使って,人生をよりよくできないものだろうか。

「Web上での共同作業」に注目した

まあぶっちゃけ現実世界はだいたいうまくいっているのはわかっている。私がうまくやれていないだけだ。しかし,Webはうまくいっていること,いっていないことが大きく分かれており,例えばWebを前提とした新しい「住むということ」を考えるとしても,どっから入っていいかわからない。

そこで注目したのが,Webで人々が集まって,何か生産的なことをしている場である。Wikipediagithub,さらには後述するStack Overflowがこれにあたる。プログラミングに関するものが多いのは,「自分たちがやりやすい環境を自分たちで作る」エンジニア文化もあるだろう。

元々の社会学的な関心もあり,そのようなことを研究計画書に書いて博士課程に入学した。実家がなくなったり人生にいろいろあったのもある。会社もそれを許してくれ,厳しいがなんとかやっている。

Stack Overflowと,参加者による知識の生産

その中で特別に関心をもった研究対象は,Stack Overflowである。Wikipediaはわざわざ長い記事を書かないといけない。githubもコードを読んだり書いたりしないといけない。しかし,Stack Overflowはスマートだ。知識だけをさらっとやりとりする。専門的なことを扱っているのに,質問してから答えが返ってくるまで平均1時間。しかも,編集されたりしてWebで検索をかけても割と役に立つようになっている。これはよさそうだし,知見がいろいろなことに使えそうだ。

最初の方に関心を持っていたのは,「とはいっても,Stack Overflowに特有の共同作業ってどんなものなのだろうか?」とか「人が集まってるってことが重要なのだが,Stack Overflowにおける人の集まりってどんなものだろうか?」とかいったものだった。

例えば,「知らない相手でもちゃんとわかるように聞くことが必要なので,他のいろんな人にも役に立つんじゃないか」とか「やったことが即座に記録されるということが,共同体の維持に強く関わっている」とかいったことを明らかにした。

そういう活動の成り立ち,どうやっていくかを見ていくと,もっといろいろなことがわかるのではと思った。そんな中,根本的に水をさされた。

生産だけ見ちゃだめ

私の悪い特徴として,話がいろいろとっちらかっちゃうという問題があった。それは博士課程を2年やっていてもそうで,ビシッとまとめるために先行研究を整理することにした。たくさん文献を集め,ひたすら読んでいた。質問や回答の内容に関する研究や,利用者個人個人の研究は多くあるのだが,活動がどうやって成り立っているのかという行為の側面に関する研究はほぼないようだった。これはいけるぞ。

といったところでご指摘を受けた。「Stack Overflowなどでは何か知識体系みたいなものがありそうなので,それの理解を目指すべきで,個別の活動の成り立ちだけを見ていたらつまらなくなってしまうのではないか?」

そりゃそうだ。Stack Overflowの強みは,だいたいどんなプログラミングの質問を検索しても結果に出てくる大量の質問や回答の蓄積で,しかもだめなものも多いが割と役に立つ。これを研究のスコープに入れないで何をする。

Stack Overflowのゆるさ

ということで,研究の最初の方でStack Overflowの成り立ちについて調べていたのをほっくり返したらドンピシャリなことが言われていた。創立者の一人のJeff Atwoodは,「プログラマーによるプログラマーのための,世界の中の良いプログラミングに関する知識の総和を集合的に増やす究極的な目的」をもって,Stack Overflowを作ったのだ。

ただ,理想だけじゃサービスは動かない。なので,Stack Overflowのブログやマニュアルなどで挙げられている様々な方針をまとめてみた。まず挙げられるのは,どんな質問が良くてどんな質問がダメか簡単に判断できる基準だ。

例を挙げると,「実践的な質問」つまり実際にプログラミングをしていて直面した質問で,論争を引き起こすようなものとか曖昧なものはだめ。そして,「少なくとも他の1人に役に立つような質問」をすべき。ただ聞いて答えるだけでは満足しない。その辺を抑えておけばOK。

このほか,質問が重複したらどうするか。同じ質問に何度も答えると疲れてしまう。だから,重複した質問にはマークをつけて閉じよう。しかし,一見同じように見えてある質問で解決できなかった問題は重複ではない。じゃあどこに線を引こうか。その場の判断に任せる。

あと,大規模なので管理者が必要なんだけど,わざわざ任命したり権限をどうするみたいな話はもめ事の元になる。Wikipediaではそんなことがよく起こる。Stack Overflowではその問題について,質問や回答などの貢献度に応じて権限を解放する方法をとっている。提案や文句があれば議論できるサイトもある。

そして,「知識の総和を増やす」ことはどうやっているのか。Web検索に丸投げである。Stack Overflow内部での検索も充実している。わざわざ厳格に管理しなくても,他の人にわかるように書いて,無駄に重複しないようにすれば誰かが見つけられるようになる。

結局だいたい紹介してしまったが,ここでStack Overflowの「裏の方針」といったものが垣間見える。「ゆるい」のだ。利用者は,別に完璧な文章を書けなどとは言われていない。他の質問と被っちゃっても「俺はこれじゃダメだったんだけど」と言えばだいたいOK。管理権限は要するに良い質問や回答をずっとやってる人が,良い質問や回答を維持できるというクリアな仕組み。あんまり片意地張ってやる必要がないのに,「知識の総和」はどんどん増えていく。

これには事情がある。創立者のAtwoodはブロガーである。当時の専門的なブログでは,コメント欄で知識を求める人が質問をしまくっていた。マニュアルやWeb検索では解決できない問題を誰かに聞きたい。そうだ,有名な人に聞こう。しかし答える側としてはたまったものではない。もはや,仕事を辞めるしかないレベルまで質問がたまっていたのだ。

1つの手段としてはブロガーを増やすという手段があるが,正直ブロガーになって定期的に記事を書くのはだるい。もっとみんなが参加できるようにするには,ゆるくしないとだめだ。ちゃんとやるとだめになる。ゆるくしないとだめだ。そういう経緯でStack Overflowは設立された。

もちろん「ゆるい」だけじゃだめだ。多分実際のやりとりを改めてみると,ゆるさを維持しながらちゃんと物事を行うようなやり方が見えてくるんじゃないかと思う。これは今後調べるべき課題となる。

ゆるさとコミュニティ

ここからは適当に思いつきでしゃべる。ここまで思いつきじゃなかったかというとそれなりに学会発表の内容が入っているので関心のある方は適当に読んでください。

Web上での交流が現実世界の濃密な交流と比べてゆるいことは,10年以上言われているので適当に書籍でも読めばわかると思う。そして,そのゆるさは何かを生産するときにも適用されると言うことがだいたいわかってきた。Webにおける協働生産、ピアプロダクションのモデルでは,上下関係の組織からネットワーク状の組織へみたいなことはよく言われているが,ゆるさに注目した言及は見られない。

その理由の1つとして,オープンソースWikipediaの偉い人の中に「堅い」人がいるからなんじゃないかなーというのがある。具体名は挙げないので各自思い当たる人は想像してください。コミュニティをうまくいかせよう,もっといいものを作ろうという気持ちはわかるのだが,それをもっていろいろ縛っては本末転倒なんじゃないか。なんだっけ,node.jsの0.10時代の話。node.jsの不十分な部分に皆うんざりしていたのに,リーダーは提案をことごとく却下した。「私は非暴力的コミュニケーションを熟知している」とか言いながら,確かに非暴力なんだけど厳しすぎた。

別に何でもゆるきゃいいってものじゃない。ゆるさは1つのあり方に過ぎず,しかしWeb技術は人をよりゆるくする力があると考えられる。「知識の管理」といった堅いことすらゆるくできる。だったら,それをもっていろいろ活動をしてみるのはアリなんじゃないか。

可能性:現実世界を侵食してゆるくしよう

まあそう考えてみると,私が現実世界で厳しさを感じる理由も「ゆるくない」からである。社会的に見れば私は相当ゆるい環境で生きている。今働いている会社ではいつどこで働いても良い。毎週のオンラインの全社ミーティングに出ないことすらある。この働き方を続けたいので納期は全力で守る。しかし,その一歩外に出ると厳格さが支配する世界で,あらゆることが厳しくなる。だるい。

「ゆるい」と「楽」で,結果的に仕事もはかどる。しかし現代は人が多く,誰が何をしているかを知らないと物事をうまくやるのが難しい。その結果として組織ができ,文書で管理される。さらに知らない人は怖いから,様々なルールを作る。現実世界には物事からゆるさをなくしていく傾向がある。

私は自分を自由主義者(いわゆる「リベラル」とはニュアンスが違うと思う)と規定している。自由主義に関する書籍は多く読んだが,どの自由主義論にもどうもしっくりこない。縛るな。好きにさせろ。それを実現した先に別の形の縛りや生きづらさがある。その連鎖を本来は止めなければならないのだが。

60年代の米国のヒッピー・ムーブメントなどは「ゆるさ」としての「解放」を目指していたように見える。また,ギークハウスや国内でも多くあるオルタナティブなスペースも「ゆるい」と言えるだろう。何しろ雑な私でも店長ができるバーがあるくらいだ。外山恒一の著書に言わせると「ドブネズミ」か。

こういう運動は結局は「文化」という形で吸収されつつある。ガチで権力に闘争を挑んだ人々はゆるくなくなり,破滅していった。これらのことは現実世界では「左」といわれる人々が主導していたように見える。一方,Webにおいてはゆるさは本質的な特徴の1つで,右とか左とか関係なく浸透しつつある。

ここで最初の「Webっぽさ」にもどると,その1つは「ゆるさ」なのではないか。ゆるく,なおかつうまくやれる仕組みや実際の活動があれば,もっと楽に生きられるし,それはおそらく現実世界の問題のいくつかを解決する手段となる。しかし,厳格な組織などはわかりやすいが,ゆるさはわかりにくい。おそらく個々の振る舞いの中に隠れてしまっている。それを理解しデザインしていければ,それは強い力となる。

なんでこのような文章を書いていたかというと,私は研究者を目指す多くの学生と比べて能力がなく,また現代の研究者はゆるくない要素の塊である。その上で研究を続けていく理由は何かと悩んでしまっている。その際に,研究の着想に至った経緯が現実の生きづらさから来ているのだから,いったん現実に話を戻してみてはどうかと考えたからだ。まあ少し楽になった気がする。

仕事における緊急事態と感情について

社会では原則的に感情は出してはいけない

 私は発達障害を持っており,理不尽なことを要求された際に怒りを表明してはいけないということを学ぶのに27年かかった(その例外を次の年に見た)。基本的に仕事の連絡では,感情を出さないで事務的な態度で連絡,交渉することが双方に求められている。

 ソフトウェア開発の現場では顧客が高圧的な態度に出たり,感情をあらわにすることはある。私はその猛威に2回晒され,4ヶ月休職して復職したばかりである。「ITエンジニアのためのハイプレッシャー下での対応術」という本を読んだ。この本にはそういった場合に相手の激情を抑え,現実的な対応を模索する方向に持って行くことが書かれていた。このような本が有用になるほど,ITの現場では感情の表出は起こる。そして,それは一般に下策であると思われている。

感情を出す人も何もなくて感情を出しているわけではない

 しかしながら,顧客が激情した場合も,私がやってしまった場合も,「通常の業務が回っている」ところでやるわけではない。やる人もいるかもしれないが,幸い私の周囲にはいないようだ。

 たとえば,突然展示会での出展が決まり,それに併せて目玉の新機能があると吹聴してしまった場合(そもそもやらないでほしい),強いストレスに晒されることは容易に想像できる。また,私にしても遅れているプロジェクトで私のみが見せられる成果物を出したら,成果を出していない人は何も言われず,私だけ「もっと頑張ってください」と言われた。こちらも限界に近い状態でやっているので非常に不当だった。

「冷静な対応」では事態の緊急さを伝えることが難しい

 以上の例に限らず,「これはやばいのでどうにかしてほしい」ということを伝える必要がある局面が存在する。しかしそれは,「冷静な対応」つまり事実のみを列挙し,論理的に意向を伝えるだけでは,ほとんどの人に伝わらない。多くの他の緊急でない出来事と一緒になってしまう。私自身がそうだし,エンジニア仲間でもそういったミスは多い。また顧客に対してもそう感じることはある。

 冷静な対応が緊急さを伝えることができない理由の一つとしては,まず普段人々が持っている「緊急度」の範囲があり,通常のコミュニケーションではそれを超えたものを扱えないという問題がある。「普通に」動いているプロジェクトが1から10までの緊急度だったとすると,たとえば100が起こってしまった場合でも「普通」のコミュニケーションでは10までしかつけられない。しかし,100を想定して要員が動くというのは通常の業務では不効率を生むため,難しい。

 もう一つ,カテゴリーの問題として,「通常の」課題と「緊急の」課題を設定するメカニズムが多くのプロジェクトでは存在しない。「通常の」話題を扱う会議では「緊急の」ことを話しても「通常の」こととして受け取られる。分けて別途「緊急」と定義された会議をするなどの対策が有効かもしれない。

 これらを考えると「火消し」の役割というものが出てくる。火消しは高い緊急度を前提として動く。また,火消しが外部からやってきて会議などに存在していることそのものが,その場を「緊急」と定義する。火消しがいることが緊急事態を定義し,そして緊急事態に対処できるように動く。会社によってはそういう人員が常に待機していることもあるかもしれない。

そもそも感情は出せる範囲で出した方がよいのではないか

 緊急時の対応というのは難しい。どうやっても答えが出ないし,きれいな解決はされず誰かしらが不幸になることがほとんどである。人は「だからこそ冷静になる必要がある」と言う。警察や消防などの方は当然のようにそう考えているだろう。

 しかし我々は緊急事態のプロフェッショナルではない。できるなら無理なく仕事をしたいし,緊急事態の下で動きたくなんてない。そして,いったん起こってしまったら対応策は限られる。その中で,一種の潤滑油として「感情」は必要なのではないかと思われる。

 たとえば,飲み会などに代表されるインフォーマルな交流や,普段からのコミュニケーションは緊急時に対面したときの相手への不安を幾分かでもやわらげる。

 また,業務中の「少しの」感情の表出は良いものでも悪いものでも出しておく,また出せるような雰囲気を作っておくことも有効なのではないか。エンジニアリングでは,同僚であっても相手に自分の成果が伝わりにくいことがある。その際には,丁寧に説明した後に「It is indeed a progress.」などと強調したりした。そうすれば人に認めてもらえるし,良い評価をもらえるとやる気も出る。

 悪い感情も同様である。「悪い感情を出すことは職場の雰囲気を悪くする」というよくあるチームに関する議論があるが,私はそうは思わない。むしろ,「悪く思われているかもしれない」と相互に疑心暗鬼になる方がはるかに危険だし,難しい問題や先の見えない問題に挑むことが往々にしてあるエンジニアにとっては,「悪い」時期は当然ある。そこを差し置いて良い部分しかコミュニケートしない職場には不信感がある。
 そういった日常の積み重ねが,緊急時にチームを少しでも強くできるのではないか。良い感情を共有している人とは結束できる。悪い感情を共有している人とも,やはり結束できる。我々エンジニアも,他の職分の方々も,顧客も,エンドユーザーも,理想的な感情を持たない「冷静」な人間ではない。その悪い面だけを見ないで,感情があることは仕方ないのだからせめて有効活用し,緊急時に力を発揮できるようにできないだろうか。異論はあると思うが。

障害が辛いのでそろそろ社会人人生は終わりか

健康保険組合傷病手当金の申請の際に、どうやらかなり重い病状であるらしいという扱いを受けてから、自分の障害の辛さに気づいてしまい、そのことばかりを考えている。

発達障害及びPTSDは様々な症状の出方があるが、
私の場合人の言うことを文字通り受け止めてしまう特徴が一番人生設計を困難にしている。

 例えば3人のチームで私が客観的に見て進捗を出している方なのに、「niryuuさんはがんばってください。他の人はこれまで通り続けて下さい」と言われると、解釈としては「他の人が遅れているけど君は進捗を出せているから今のところは支えてくれ」ということになるのだが、他の人が順調で私がだめであるというような感情が残ってしまう。
 また、根拠を示して無理だと言ったことを「やってくれないと困ります」で押し切られると、本来は調整が必要なのにもかかわらず「無理だとわかっていてもやって、自分が責任を取らないといけない」というようになってしまう。
 さらに、「この範囲でやったことではこの結果しか出ないので、限界がある」といったことをやって、納得行かないが認めるしかない結果が出て、事情を知らない人が見て「全然ダメじゃないか」と言われたことがある。結果は出た。進捗はあった。それはわかっている。しかし、やはり私及び私の成果物は「全然ダメ」だと思ってしまう。

 普通の人はこういったことを「聞き流す」もしくは「気にしない」。私だってそうしたい。しかし、脳のレベルでこれらは固定され、増幅され、悪い心象が残ってしまう。そんなことの連続に耐えられず、2度めの休職をした。もはや、何も言われなくても「誰かが私のことを悪く思っているんじゃないか」というどこまでいっても可能性レベルの気にしなくても良いことを気にしている。
 「どこにいってもそういうことを言う人はいる」「そんなことではどこにいってもやっていけない」確かにそうだ。その意味で、同じような企業に転職しても結果は同じだろう。また、現在社会人院生をやっており、ようやく成果が出始めて研究者になるという選択肢も少しずつ現実味を帯びてきた。しかし、研究者こそ業績が誤解されやすい世界である。正直、やっていけないのではないかと考えている。もっとも、研究における批判は根拠がないとできないので、その意味では会社でのケースとは違うのではないかとも考えている。
 発達障害といえば、周囲といろいろな問題を起こしてしまい、それを解決することが自ら及び周囲の主要な問題となっている。正直それはうまくいき始めているのだが、私とて発達障害なれど一人の人間である。心は傷つくし、それを表に出すことが不得意である。だから一気に噴出してしまった。


 これからどうしたらよいだろうか。もし傷病手当金が1年半降りることになり、失業手当が1年降りることになったら、合計で2年半仕事をしないで良いことになる。しかし、根本的な問題は解決しない。将来への不安しかなく、押しつぶされそうである。
 
こんな状態で5年間頑張った。それを褒めてくれる人はいないだろうが、もう十分ではないか。